2-2


「……ん」


 くもるような音を喉から漏らしつつ、草津真也はゆっくりと目を覚ます。


 全身をあの堅いアスファルトに叩きつけられた筈だった。止むことのない大雨に打ち付けられ、凍ってしまうほどに全身が冷え切っていた筈だった。


 けれど、今はそうじゃない。


 アスファルトは使い古されてそうなベッドの感触に変わり、上を見上げると雨雲はなく、切れかけの蛍光灯が時折点滅しながら真也を照らしていた。身体もずぶ濡れではなくなっていた。


 瞳のぼやけたピントが次第に最適化される。ここは、今まで来た記憶のない、古ぼけた病室だった。


「……っ!」


 さらに状況を確認する為に体を動かそうとしたが、全身の痛覚が過敏に反応し動けななかった。


 だが、その痛みは熱を帯びた痛みであり、最後に感じた冷たい痛みとは違う。恐らくは筋肉痛の類だ。


 依然として状況の整理は進まないが、少なくとも意識が途切れる前に見た光景が、夢の類ではなかった可能性が高いことくらいは推定出来た。


 そうやって徐々に動き始めた脳の回転を更に早めようとすると、


「よう、やっとお目覚めかい」


 病室の扉が開く音がすると、続けざまに見知らぬ男の声がした。


 真也は声の主の方角へと振り向くと、長身の男がこちらを見ていた。


 灰色を基としながら所々に紅白のワンポイントの入ったフライトジャケットを羽織り、その左腕には最新モデルのスマートウォッチ、ボサボサの黒髪が目につくが、何よりも印象的なのは、他者からの視線を遮る漆黒のサングラスだった。


 少なくとも真也が今まで出会った人物でここまで不審な男は見たことがなかった。


「……誰だよ、アンタ」


 故に、真也の警戒は当然のことだった。


「おっと、そういや自己紹介がまだだったな」


 男はそういうと胸ポケットから名刺入れを取り出し、


『未知の感染症に対する国連防衛軍<<United Nations Guard Force for Xeno Infection >> 日本支部 第11特別遊撃隊 隊長代理 一場 善次朗』


 と書かれた名刺を真也の目の前に差し出した。


「日本語名はクソダサいが、これでもれっきとしたWHOの下部組織だ。仕事は察しの通りULの撃退及び彗星症患者の保護だ」


 因みに組織の略称はUGXな、と一場善次朗を名乗る男は笑うが、真也はUGXとなる組織の名前を聞いたことがない。知ってるとしても国連の中に彗星症に関する組織が存在していることくらいだ。


「で、俺は今回の事件に関する組織側の統括責任者だ。当然ながら彗星症発症者で、つまるところの」


 そう言いながら一場は自らの頭を真也の眼前まで近づけ、


「お前さんと同類、ってところになるな」


 視線が交わるようにサングラスを少しずらした。


「!?」


 一場のあまりに突飛な行動にも驚いたが、続けざまに衝撃を与えたのはサングラスの奥に隠れたその瞳だった。


 右目は日本人特有の黒い瞳だったが、その対となる左目は獲物を狙う鴉のように紅の輝きを放っている。


 オッドアイ、漫画やアニメのキャラクターでよく目にする症状だが、現実で、しかもこんな禍々しいものを見るのは初めてだった。


「みーんなこの目を見るとビビるからさ、室内でもグラサン、許してくれよな?」


「……あ、はい」


 サングラスを元の位置に戻してから笑う一場に、真也は項垂れながらそう返答するしかなかった。驚いた衝撃で体が動いたせいか、また痛覚が悲鳴をあげる。


「ちなみに、お前さんも色々凄いことになってるぞ」


 見てみ、と一場は病室の机に置いてあった手鏡を真也へと差し出す。


 判断は相変わらず追いつかないが、今はこの男の言うとおりにするしか無いと、腕の痛みを堪えながら、彼から差し出された手鏡で自分の顔を見ると、


「はっ?」


 鏡ごしに映る異様な光景に変な声が漏れながらも、見間違いじゃないかと瞼を二、三開閉するが、


「はっ? はっ?」

 

 鏡に映る己の姿は変わらない。


 別に真也の表情そのものには右頬に絆創膏が貼られてる程度で、大した変化はない。問題は、彼の瞳から上の領域だった。


 ごく一般的な日本人男子なら当然の黒い頭髪がその場所には無く、代わりに存在するのは燃えるような彩を放つ橙色の髪だった。


「はっ? はっ? はっ?」


 何かの悪いドッキリじゃないのかともう片方の手で髪を触るが、感触は以前のものと変わらない。前髪に隠れた眉も凝視するがこちらも変色してしまっている。


「彗星症の副作用だな。もう全身の毛髪がその色に変わってる頃だろうに」


 多分下もな、と笑いながら助言する一場の言葉に、真也は慌てて入院着で隠されていた自身の下半身にも視線を通すと、


「はあぁぁぁぁぁ!!??」


 想像を超えた光景に、常軌を逸した叫びが病室に響き渡っていった。


 

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