1-8

「……なに、やってんだよ」


 自身の瞳に映る、変わり果てた転校生の姿を見て、真也は息を切らしながらそう呟いてしまった。


 戦場へ戻る途中、不意に発砲音と咆哮が聞こえなくなった時、脳裏に一瞬だけ最悪のイメージが過った。そんなことはあるはずない、もしかしたらあの転校生がULを倒したのかもしれない、と都合の良い未来を願いながら路地を奔走したが、現実は甘くなかった。


 転校生、一ノ瀬由佳は自力で立ち上がれなくなるほどに疲弊していた。幸い、ULとの距離は離れているが、鎌をアスファルトに擦り付ける不快音がだんだんと近づいてくる。今、あの敵は真希ではなく、由佳に狙いを切り替えたのは明らかだった。


 やっぱり、彼女の軽口は強がりだった。そして、その強がりに縋ってしまっていた自分自身が、また許せなくなる。


「あとは、任せろ」


 口元に垂れる血を手で拭い、真也は由佳の持つ薙刀を強引に奪い取ろうとするが、


「……待って」


 立ち上がる気力すら残っていなかった筈の薙刀の持ち主は、その手を離さずに、


「貴方、その血は何、なの?」


 鬼気迫る瞳で真也を睨みつける。


「姉さ、真希の血、だよ」


 口についてるのは飲みきれずに吐いた分だけど、と真也は苦々しく付け加える。まだ口の中では不快感と鉄っぽい匂いが充満し続けている。


「これで、俺も戦える」


 彗星症患者を捕食するULは同時に彗星症の人間でないと倒せない、そのシステムの輪に真也自身を組み込んだ。


 彗星症の感染経路は血液を通じた体液感染、感染スピードがどれだけ速いかは知らなかったが、既に全身に凍るような寒気が走っていた。


「貴方、自分が何をしたか分かってる……?」


 怒気の篭った声だった。絶対にこの転校生には怒られるだろうとは思っていたが、案の定だ。


「……俺も、お前と同じようにしただけだよ」


 それ故に、言わないといけないことも決めていた。


「何もしないで、一ノ瀬さんを見殺しになんかしたら後悔するに決まってる。そんな後悔、絶対にしたくない」


 だから俺の出来ることをやるだけだ、と真也は自身の決意を口にする。


 本音を言えば、遅すぎるくらいの決意だった。


「……それでも、やっていいことと、そうじゃないことだって、ある」


 真也の決意に対し、返ってきた由佳の声は酷く弱々しかった。


 瞳に宿っていた怒りは消え、今にも泣き出しそうな程の悲しみが垣間見えた。


「ッ!」


 彼女が何故そんな表情を浮かべるのかを訊ねようとした時、獲物を見つけた怪物の咆哮が響き渡る。


「くそっ!」


 振り向くと、敵は目の前にまで迫っていた。真也は改めて薙刀に手を伸ばすが、


「待ちなさい!」


 再度、由佳の静止の叫びが木霊する。


「確認させて。胸のあたりに強烈な寒気は、ある?」


「……胸じゃなくて全身がずっと寒いけど、それがどうかしたのか?」


 そんなことより今はあいつを、と真也は彼女の意味不明な問いに答えている時間はないと動き出そうとしたが、


「こんな武器じゃあいつを完全には倒せない、突っ込むだけ無駄よ」


 由佳はそう吐き捨てる。


「だったら、どうすればいいんだよ」


「試したいことがある」


 そう言うと、薙刀から手を離した彼女は自身の左腕に装着していた橙色の端末を取り外し、それをそのまま真也の左腕に付け替えると、


「スターティング・オン」


「ッ!?」


 由佳の言葉に呼応するように、端末からホログラムが放出されると同時に端末を起点に軽い電撃が走った。


「変換濃度、適正。稼働可能時間、90秒。再キャリブレーション成功。体内コアの発見に失敗、転送システム以外はオールグリーン」


 真也には理解出来ない数値の羅列を由佳は早口で読み解いていく。彼女が何を試しているかは全く理解出来なかったが、緑から赤に変わったホログラムの中に映る、ある三次元データが彼の目に止まった。

 

 其処に映るのは人間と同じ四肢を持った鋼鉄の異形の姿だった。濃緑に彩られた重戦車を連想させる直線上の装甲を全身に身に纏い、右腕にはアンバランスな程に巨大な籠手を装着し、そして鎧兜を連想させる頭部装甲の隙間からは6つのカメラセンサーが妖しく光り、異形の印象を決定たらしめるそれは、


「これ、上ノ宮の対UL装備じゃ……」


 以前、クラスメイトが熱心に語っていた対UL装備の片割れにあまりにも酷似していた。


「よく知ってるわね」


 唖然とする真也を他所に由佳は次の作業に移っていた。気づけば、彼女は自身の左腕に銀色の端末を装着、何かしらの操作を行なっている。


「これは上ノ宮の作った次期主力対UL兵装、その試作機」


「なっ、なんでお前がそんなものを」


 ただでさえ追いついていなかった理解が更に遠退く。何故彼女が軍用の試作兵器を持っていたのか、どうしてそれを彼女自身が使わなかったのか。


「説明はっ、あと」


 彼女の付けた銀色の端末が火花を吹き、小さく破裂した。一瞬怯みはしたものの、彼女は破損した端末からケーブルを引っ張り出すと、真也の側の端末のコネクタを開き、それを接続する。


「緊急転送ユニット接続、救援側コア認識、振動バイパス確保、擬似マーカーシステム作動を確認」


 彼女の視線は、自らの端末と真也に着けられた端末が放つ映像を交互に行き交い、


「……いける、か」


 彼女の呟きに呼応するかのように、目の前のホログラムの色が緑へと戻る。


「草津くん、よく聞いて」


  一拍の呼吸の後、彼女の視線は真也の瞳に注がれる。


「確かにあの怪物は彗星症の人間じゃないと倒せない。でもそれは、身体に宿る厄災を身に纏う武器があってはじめて成立する話。そして、今の貴方にはそれが扱える」


 偶然に偶然が重なってだけどね、と彼女は小さく付け加える。


「バックアップは私がやる。貴方はそれを使って全力で戦って。そうすれば、怪物も倒せるし、貴方も引き返すことが出来る」


 一方的な指示だった。簡単な説明があったとはいえ、真也の思考は依然として状況に追いつけていなかった。理解出来ない疑問だけが脳裏にどんどんと蓄積されていく。


「……わかった」


 だが、手段が変われど真也がやらなければならないことに変化はないのは確かだった。その為にこの場所に戻ってきたのだから。


「じゃあ、行きましょう」


 降り注ぐ雨は一段と強くなっていく。冷たい雨は彼女の傷を蝕み、更なる苦痛を与え、全身に冷血が走り続ける彼の身体はより一層と冷却されていく。その中で2人はゆっくりと立ち上がった。


「システムコントロールを”クラオカミ”に譲渡。バトルガイダンス、セット」


 2人の視線は、迫り来る怪物へと注がれていく。両翼を、片腕を、片脚を捥がれた異形は、初めからそれが無かったかのように器用に歩き、一ノ瀬由佳を捕食せんと迫る。


「俺は、いつでもいけるぞ」


 これから何が起こるのかは、草津真也には想像出来なかった。だが、隣に立つ満身創痍の彼女を守る為に、彼女のことを信じる、それだけは、はっきりとしている。


「擬似マーカー、作動」


「ッ!!」


 2人を繋ぐケーブルが蒼く光った直後、真也の胸部に凍るような感覚が走った。全身の寒気とは比較にならない程の強烈な感覚。氷の拳で心臓を鷲掴みにされた気分だった。


「っ、あとちょっとの辛抱だから」


 そうやって励ます彼女の顔にも苦悶の表情が宿っていた。この感覚は、彼女もまた、同じだった。


「昇華式、起動!!」


 左腕で胸を押さえ、彼女が力強く叫ぶ。


 その刹那だった。


「なっ!!」


 ケーブルの放つ光は一層と強くなり、その光は真也の端末から溢れ、彼の全身を眩く包んでいく。


『Put on Cosmic Frame』


 眩い光の渦に巻き込まれる中で、思わず目を瞑った真也の耳元に電子音声が響くと、


『CF UX-602 “ YAMASHIRO” Get Rolling』


 彼の視界に映る世界が変わる。身体に響く音が変わる。


 雨雲に覆われた薄暗い世界は、VRゴーグルをつけたような電子的映像に切り替わる。雨水を吸っていた身体からは、金属に跳ね返る音が何度も木霊する。


 目の前に映る電子映像には、真也が肉眼で見ていた世界が広がる。足元にある水溜りには、草津真也の姿はない。


 水鏡に映るそれは、彼が身につけた端末が映し出していた鋼鉄の異形。頭部に宿る6つ目のカメラセンサーが妖しく輝きを放っていた。


「これは……」


 両腕を動かすと、鋼鉄の腕が連動し動く。左腕には真也の着けていた端末が残り、右腕には巨大な籠手が軽々と動く。


『上ノ宮の第四世代カラミティフレーム、コードネームは”ヤマシロ”』


 真也の耳元で、隣にいた転校生の声が響き渡る。


『草津くん、戦って。愛する者を守る為に!』


 カメラセンサー越しに映る彼女が力強く叫ぶ。



 

 ……これが、草津真也、彼らの全ての始まりだった。





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