1-5
「うわああああああ!!」
情けない雄叫びを上げつつ、草津真也は原付のアクセルを吹かし、目の前に映る怪物へ向かって突撃する。
「ちょ、ちょっと待ちなさい!」
背中から血塗れになった転校生の制止を無視し、彼女達の横を突っ切っていく。
……何か武器にと工事用の鉄パイプなど拝借しているんじゃなかった。
俺がもう少し早く到着していればこんなことにならなかったのではないか。そんな自責の念からアクセルを握る手が強くなる。
真希から送られてきた写真と同じ怪物を一瞥する。生まれて初めて肉眼で見るULは想像以上に醜悪で、ただ見ているだけでも恐怖で心臓が凍りそうになる。
こんなおぞましいものから真希は逃げ続けていたのか、一ノ瀬由佳は対峙していたのか。
……そして、あそこまで痛めつけられたのか。
恐怖に打ち負けているような場合ではない。直線上にULを捕捉する。
「おりゃああ!!」
願掛けのように真也は叫び、荷台に乗せていた鉄パイプを強く握り締めてから、愛車の原付バイクから飛び降りた。
運転手を失ったバイクはそのままULに向かって突撃、ULは自らの身を守る為に己の鎌で迫り来るバイクを一刀両断に切り裂いていく。
「ヴォ!?」
その刹那、真っ二つにした際に発生した火花が飛び散ったガソリンに引火、UL自身を巻き込んだ爆発へと変貌した。
「どっ、どうだ?」
勢いよくバイクから飛び降りた衝撃で、ヘルメット越しではあるものの頭部を地面に叩きつけた真也が爆発物となり黒煙を撒き散らした愛車の方向を凝視した。
「ォォォ」
ULは健在だった。灰色の皮膚が黒煙で黒く染まり、一瞬転倒したくらいで、よろめきながらも再度立ち上がってくる。
「こんの!」
剣道の竹刀ほどある長さの鋼鉄製の単管パイプを握り締め、今度は真也自身が突撃する。
爆発が効かないのだったら、今度は物理攻撃あるのみだ。
ULの姿勢が安定していない隙を狙って真也は敵の左側面、杖にしている鎌を狙って大きく振りかぶった単管パイプを一気に振り下ろす。
人間相手であれば、一撃で首の骨だって折ることが出来る筈の威力。怪物といえどひとたまりもない筈だ。
だが、
「ヴォ?」
「ん、なっ!!」
勢いをつけたその一撃は、ULを再度転倒させることすらせず、逆に鋼鉄のパイプがULとの接触点を起点に不気味にひん曲がり、
カキンッ!!
甲高い音を出し、真っ二つに分かれた。物理に疎い真也にすら理解不能な出来事が、目の前で起きた。
「ヴォオオオ!!」
「あ゛がッ!」
体勢を立て直したULは自由の利く右腕の鎌の峰を眼前の真也の胴体へ叩きつける。刃でない方を叩きつけられたとはいえ、彼の身体は砲丸投げの鉄球のように滑空し、全身をアスファルトでヤスリがけするような状態のまま、地面へと胴体着陸した。その衝撃でヘルメットのバイザーが網目状に砕け、目の前が見えなくなる。意識が飛ばなかったのが奇跡に思えた。
「何をしてるの! こんのバカ野郎!!」
意識がはっきりした途端に聞こえてきたのは、転校生の罵声と銃声音だった。真也がもう使い物にならなくなったヘルメットを投げ捨てる最中、一ノ瀬由佳がULに目掛け発砲し、敵は僅かにそれでのろけた。
「すぐこっちに来て!」
あとその鉄クズも持ってきて! と満身創痍の由佳は叫ぶ。
「あっ、ああ!!」
鉄クズとはこの単管パイプのことか、と思いつつ、真也は由佳達のところへ駆け寄ると、
「せっかく逃げる為のバイクを捨てるなんてどういうつもりよ!?」
瞬く間に鉄パイプを強奪され、それを杖代わりに立ち上がった由佳が罵倒する。
「だ、だってあいつ倒さないと」
「あの程度で倒せたらみんな苦労しない!!」
シロウトが勝手に行動するなこの馬鹿! と由佳は右腕で真也の胸倉を強く掴み、睨みつける。その気迫に真也は何も反論することが出来なかった。
「……まあ、いいわ」
「ちょっ、おい!?」
一瞬のため息のあと、胸倉を掴んでいた手は器用に真也の制服のネクタイを解いたかと思うと、今度は自身の胸元のネクタイも解き始めた。
突然の出来事に思わずドギマギする真也を他所に、由佳は右足のスラックスの裾を掴み、隠していたナイフを取り出すと、
「赤宮さん、ごめん」
そう謝罪すると、真希の身体から流れ出ている血を掴み、それをナイフへ塗りたくる。杖代わりの鉄パイプの先に真也の由佳のネクタイを使って、即席の薙刀を作り出した。
「ヴォォォオオ!」
「来る」
伏せて、滑空し迫り来るULを真也越しに睨む由佳がそう呟く。そんな身体で無茶だと言うべきだったのかもしれないが、状況の整理の追いつかない真也は彼女の指示に従うしかなかった。
ULの右鎌が迫る。刃が降りかかるよりも素早く、血塗れの薙刀が敵の右肩に突き刺さったかと思うと、
「ヴァァアアア!?」
ULの右腕が鎌ごと吹き飛び、止まらない運動エネルギーにより薙刀が右翼にも接触、瞬く間にその翼も引き裂いた。バランスを失ったULはそのまま吹き飛んでいく。
「嘘でしょ……」
唖然とする真也よりも先に驚嘆の言葉を呟いたのは、その一撃を放った由佳張本人で、まじまじとその場に倒れている真希を見つめていた。
「な、なんなんだよ今の……」
ガソリンの爆発でも、強烈な物理攻撃でもビクともしなかったあの怪物が、真希の血を塗りたくっただけの刃でいともたやすく切断された。通常の物理法則では理解不能な話だった。理解が追い付かない。
「……貴方、感染者じゃないわね」
ため息を吐いた由佳から返ってきたのは、彼の問いへの返答ではなく、別の短い問いだった。
「あっ、ああ、そうだよ」
この場合の感染者の意味が何を指すのかは分かっていた。草津真也は彗星症患者ではない、だが、それが今聞かれることなのか、必要な問いなのかは分からなかった。
「……そう」
真也の答えに対する由佳の返答は至極短かった。だが、血塗れになった彼女の表情は心なしか微笑んでいるように思えた。
「さあ、当初の予定通り行きましょうか」
赤宮さんと一緒に逃げて、とフラついた身体を薙刀で支えながら由佳は指示する。
「おっ、お前はどうするんだよ!?」
立ち上がることすら出来ないでいる真希を助けなければならないのは確かに真也の最優先事項だが、だからと言って由佳を置いていくのは筋違いだ。
「だから予定通り。ここであいつを足止めする」
「無茶言うな!」
重傷を追いながら軽く鼻で笑う由佳を理解することが出来なかった。
「俺がやる! 貸せ!!」
「ほら、シロウトは首を突っ込まない」
勢いを折るように彼女は薙刀の柄で真也の足を軽く叩く。軽くと言っても鋼鉄で出来たそれは激痛を与えるのに十分だった。
「それに、歩けない赤宮さんを誰が背負って逃げるのよ?」
私のこの足でやらせるつもりなの草津くん? と由佳は自身の左足をわざとらしく見つめる。
真也には返す言葉がなかった。悔しいが、由佳の言い分の方が理に適っていた。
「……私もね、赤宮さんと同類の人間よ」
「……ああ、そうだろうな」
突然のカミングアウトに戸惑うが、別段驚きはしなかった。つい数時間前まで彼女のことをそうであってほしいと思っていたし、その直後にそうであってほしくないとも思っていたのだから。
「そしてずっとあんな怪物と戦ってきた。いわば私はプロ」
今日は本調子じゃないからこのザマだけどね、と皮肉っぽく笑う。
「だから安心して逃げて。貴方達のことは絶対に守るから」
そういって真也の肩を軽く叩く。由佳の顔は真希に劣らないくらいに真っ青で、それが強がりなのは誰が見ても明らかだった。
……止めなければならない。このままでは彼女は死んでしまう。それで俺は本当にいいのか?
「分かった」
だが、自身が口にした言葉は自身の意思に反するものだった。
「真希、行こう」
真希の手を取った真也の言葉に、彼女は小さく頷いた。真也はそのまま彼女を背負う。彼女の荒い呼吸の鼓動が背中越しに伝わってきた。
今は真希の無事が最優先だ。
そう、真也は自分に言い聞かす。
「……赤宮さんを、大切にしてあげてね」
真希を背負って立ち上がった時、由佳はポツリとそう呟く。そこに先ほどまでの笑みも、強がりも見られなかった。
「……一ノ瀬さんも、死ぬなよ」
彼女の発言の真意は分からない。真也は今の想いだけを口にするしかなかった。
「……努力してみる」
彼女の口から明確な肯定の言葉はなかった。しかし、真也にはどうすることも出来ず、ただ走り出すしかなかった。
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