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「何をしているの! はやくそこから逃げて!」


 奇襲で腰を抜かした救護対象に檄を飛ばしつつ、一ノ瀬由佳は両手で構えた生体接続式拳銃の照準器から排除対象を強く睨んだ。


 対象は、ULランク2、クロコヘッド。


 本来であれば、背中の翼で天を舞い、両脚の鉤爪と両腕の大鎌で標的を細切れに引き裂き、その名の由来となった巨大な鰐の口で捕食する、UL発生初期から存在する悪趣味な怪物だった。


 だが、彼女の瞳に映る悪趣味な怪物は、その左半身に巨大な風穴を空けていた。左翼は捥がれ、左脚は腰部ごと消失し、辛うじて残った左腕の大鎌は、失われた脚部の代わりに杖として機能していた。頭部の巨大な口も三分の一が抉れている。


 この個体は間違いなく由佳が仕留め損ねた最後の一体だった。通常出力の半分、更に直撃を免れたとはいえ、地を這う重戦車を大地ごと吹き飛ばす破壊力を持つ電磁投射砲の威力を持ってしても、殲滅することの出来なかったあの個体。


 救護対象が我に返り、由佳に向けて走り出す。敵もそれに応じ動き出すが、由佳は即座に発砲し、対UL用に特殊加工された銃弾が敵の胸部へと突き刺さり、悲鳴を上げてよろめいていく。


「あっ、あの、一体……?」


 足止めが功を奏し、救護対象、赤宮真希と呼ばれる少女が由佳の元に辿り着くが、彼女は完全に気が動転していた。


「どうして、って聞きたいのはこっちよ」


 そう言って由佳はため息を吐く。状況の理解が追いついていないのはある意味、由佳も同じだ。


 ……観測手からの続報、そして警告があったのは昼食を終えた直後だった。


 己の保身を優先している間に、事態が刻一刻と悪化していたことにようやく気づいた公安が口を開いたらしい。


 詳細を聞く暇は無かったが、直面する事態の深刻さは由佳達の予想を遥かに上回り、即座に行動を起こさなければならなかった。


『草津って苗字の女だ。そいつをすぐに確保しろ!』


 そう観測手は叫んだ。だが、由佳の知っている草津は、突然噛み付いてきたあの目つきの悪い黒髪の男だ。女性のようには見えなかった。


 違和感を上申するよりも先に、公安からの情報提供、草津と呼ばれる女性のGPS位置情報が由佳の元へと届き、彼女あるいは彼の位置する場所へと駆け付けてみれば、この有様だった。


『一ノ瀬、一ノ瀬、さん、なのか……?』


 赤宮真希が手に持つ携帯端末から、男の方の草津の声らしきものが聞こえてくる。


「ちょっと貸して」


 由佳は真希の手から強引に携帯端末を奪うと、


「貴方達が何者かは知らないけど伝えておく。貴方達を守っていた公安の担当者は一週間前に死んだ」


 真希にも聞こえるように彼女は言う。


『なっ……』


 驚嘆の声が聞こえたかと思えば、どいういうことだよ!?と喚くような雑音に切り替わった。目の前の草津と呼ばれていた少女の表情を見るに、担当者の死はこの二人にも知らされていなかったらしい。


「詳細は私も知らない。けど今の状態じゃ赤宮さんを助けることは出来ない」


 由佳は淡々と事実を述べる。致命傷にまで至っていないが、彼女の側にいる救護対象は血塗れだった。恐らく護身用に持っていた対UL用手榴弾の使い方を誤ったのだろう。それでいて生存していることを除けば、珍しい話ではなかった。


 だが、彼女が負傷者であることには変わりはない。満足な戦闘も出来ない状況下で、負傷者を守りながら戦うのはあまりにも非現実的だった。


「だから貴方が此処にきて赤宮さんと一緒に逃げて。貴方が来るまでの時間は私が稼ぐ」


 本来であればこれ以上民間人を戦地に近付けるのは御法度だが、今は手段を選んでいる場合ではないし、救護対象の苗字を名乗る彼が全くの部外者であるわけがない。


 ……そして、今更ながら数時間前に繰り広げられた、彼の支離滅裂な言動にも合点がついた。


「貴方原付で通学してたよね?すぐに来て ?」


『そうだけど、なんでそれ知ってんだよ!?』


 忘れるものか。彼の通学姿を見て自分も二輪を持ってこればよかったと後悔したし、今この場所に向かう際にも、彼の原付を拝借して向かおうかと一瞬躊躇したほどだ。


「赤宮さんの場所はどうせ分かるでしょ? 急いで!」


 そう言って通話を切ると同時に、再度動き出そうとしていた敵へ弾丸を浴びせる。


「行きましょう」


 敵が銃弾の衝撃でバランスを崩し転倒する音を尻目に、真希の手を引き、走り出す。


 狭い路地を抜けつつ、由佳は状況を再整理する。赤宮真希を護衛し、草津真也が辿り着くまで時間を稼ぐ。それが当面の間、彼女に求められるイレギュラーだらけの使命だった。


 通常であれば、最優先されるべきは周囲の人払いだが、彼女達のいる住宅地帯は気味が悪い程に人気を感じられなかった。この事象も明らかに異常事態ではあるものの、由佳からすれば最優先事項を省略出来るのだから都合はよかった。


 人払いの後に続く事項は、ULの撃退、排除。しかし、追跡してくる相手が満身創痍だったとしても、現時点の状況でそれを実行するにはあまりにもリスクが大きすぎる。


 特殊加工された弾丸はULに傷を与えることは出来ても、それだけで決定打にはなり得ない。文字通り足止め程度が関の山だ。


 あの敵を確実に倒す為には専用装備が不可欠になる。だが、一ノ瀬由佳が普段使用している装備は先日の戦闘により使用不能、臨時で充てがわれた最新装備は、彼女自身がその装備に慣れていないことに加え、時間的制約があることも判明している。


 最終的な事態の解決としてこの装備の運用は必須だが、己の命すら預け難い装備を持ってして負傷者を護衛しながら戦う程の無謀さを由佳は持ち合わせていない。


 使いどころが肝心だ。今抱えているリスクを極力最小限にした上で、追跡してくるULを打ち負かす。


 観測手の男も最大速力でこちらに向かっているが、彼の到着までULを足止めし続ける余裕はなく、リスク軽減の切り札にはなり得ない。


 だからこそ、草津真也の到着まで逃げ続ける必要があった。全てはULを倒せる最高の瞬間を掴みとる為に。


「ごめん。もう少しだけ頑張って」


 呼吸を乱しながら走り続ける真希に声をかける。彼女の纏う長袖のカッターシャツはULの攻撃と自らが放ったであろう手榴弾の破片で所々切り裂かれ、裂けた箇所からは滲んだ血が純白だったそれを紅に染めていた。何も守るものがなかった足には生々しい傷が露出している。


 栗色の髪に隠れて見えなかったが、頭部に深い切り傷があるようで、彼女の額からも血が溢れていた。顔には痕になりそうな怪我がなかったことが幸いなことくらいで、瀕死の彼女を依然として走らせる自体、ほぼ拷問に等しかった。


 今の由佳にはその手に持った拳銃で追ってくる敵を足止めし、彼女に発破をかけて走らせることしか出来ない。


 普段の装備が使えるのであればまずあり得ない絶望的な事態に唇を噛みしめる他なかった。


 逃走は続く。赤宮真希を連れてどれだけ走り続けたのだろうか。既に弾倉を一つ使い切ってしまった。今更機密防止もない、意味はないと分かりながらも敵に向かい空弾倉を投げつけ、即座に予備弾丸へ切り替える。


 まだ、草津真也は到着しないのか。内々に溜め込んだ歯痒さが最高潮に達しかけていた時、



「ぅあ……」


「赤宮さん!?」


 突如、言葉にならならい悲鳴を上げて、真希が膝から崩れ落ちた。自身の体を腕で支える気力もなく、咄嗟に由佳が抱き締めなければ、アスファルトの舗装に顔面から倒れるところだった。


「何やってるの!早く立って!」


 滴り落ちる真希の血が服に付くことにためらうこともなく由佳は彼女を持ち上げようとするが、真希の身体にはもうその力すら残っていなかった。荒かった呼吸が更に酷くなり、真希の背中を擦る由佳の手にもその感触がはっきりと分かってしまう。


「一ノ瀬……さん、逃げて」


 あたしはもう、駄目だから、振り絞るように真希は言う。


「駄目なんかじゃない!!」


 真希の諦観を認めてなるものか、新たに装弾した銃で迫り来るULを再度足止めする。


「ッ!?」


 だが、真希の諦観こそが冷静な分析だった。一発でも悲鳴を上げていたULは、少し怯むだけでその足を止めず、少しずつこちらに近づいてくる。


 まさか、この短期間で耐性をつけてくるとは。


 心の何処かで満身創痍だと侮っていたのかもしれない。じきにこの生体式拳銃も完全な役立たずになる。


 このままの作戦展開なら二人共々あの怪物の餌食だ。


「ああ、もう!!」


 だったら、別の作戦、由佳が一番したくなかったもう一つの案に掛けるしかない。


 由佳は懐から橙色のブレスレットを取り出し、そのまま左手首に巻きつける。


「スターティング・オン!!」


 由佳がそう叫ぶと、橙色のブレスレットが光を放ち、その上部に濃緑と橙の入り混じった直方体系のデバイスが出現、同時にそのデバイスからシステムの各種情報を示すホログラムが投影される。ホログラム右側には各種数値、左側には由佳がこれから装着する新装備の三次元モデルが映される。


「エコノミーモードを選択、装備オプションはバスターグラップル!」


 音声認識に合わせホログラムの数値が変わり、三次元モデルの右腕にも追加装備が展開される。


 ホログラムに映るシステム継続数値は、ここに来る前に確認した1分に変わりはない。由佳自身が回復しきれてないとはいえ、彼女とこの新装備はあまりにも相性が悪いらしかった。


「転送に関するキャリブレーションチェック完了、体内コアとの同調成功、マーカーシステム安定起動開始……」


 巡り巡り表記されるシステム結果報告を由佳は復唱する。


「ヴォォォォ!!」


 逃げるのをやめた由佳達に勝利を確信したのか、ULは雄叫びをあげ、片翼を大きく広げる。壁に激突しながらでも滑空し、ケリをつけるつもりなのか。


「システム、オールグリーン!」


 ホログラムの映像が緑色に切り替わる。ケリをつけるのは自分達だ。


 敵の飛翔と同時に脳裏に勝利へのイメージを浮かばせる。変身を終えたら即座にオプションユニットを起動させ、すれ違いざまに敵を爆散させる。極端に短い稼動時間で決着をつけるにはそれしかない。


「昇華式、起動!」


 ここで終わらせる。起動コードを力強く叫ぶ。


 だが、


『Unknown Error. Systm forced termination』


「なッ!?」


 ホログラムが突如として赤に切り替わり、そのまま光が消失する。最悪のタイミングでのシステムクラッシュ。


 脳裏に浮かんでいたイメージは瞬く間に崩れ去る。そして、現実の敵はすぐそこにまで迫り、何もかもを切り裂く右腕の鎌が、真希を目掛けて大きく振りかぶる。


 この間合いでは反撃手段のとりようがない。このままでは文字通り真っ二つだ。


「もうッ!!」


 咄嗟に由佳は真希に飛び掛り、覆いかぶった。


 追い払うことは適わない。だが、まだ助けることは出来る。


「こんの!!」


 ULが最接近し、鎌を下ろす瞬間を狙い、敵へ向け左足を大きく蹴り上げる。


 元々不安定な飛翔をしているのだ。ちょっとの物理的衝撃を与えれば、望みどおりの軌道は描けまい。


 由佳の機転に間違いはなく、ULの鎌は目標の位置を大きく逸らし、対象物であった真希にそれが接触することはなかった。


「あ゛あぁぁ!」


「一ノ瀬さん!」


 だが、その鎌の先端は寸前のところで由佳の背中を捕らえていた。その刃先は彼女の皮膚を制服ごと切り裂き、突き出していた左足の肉も掻っ切り、そのまま滑空を続け、彼女達から離れていく。


「大丈夫、大丈夫、だから」


 そう強がって立ち上がろうとするが、左足の激痛がそれを阻害してよろけてしまう。


 ……そういえば、生身で切り裂かれたこと、あったっけ。


 何故かは分からないが、そんな疑問が脳裏に浮かぶ。記憶が正しければ初体験だ。


「ッ!」


 左足に続き、背中に描かれた一本線の傷が熱を帯びる。一瞬意識が遠のきそうになった。


 由佳はこの苦痛を与えた敵をにらみ付ける。あちらも思ったように着地出来ず、かなり離れた位置で倒れていたが、今の行動で怪我を負った様子は見られない。


「ごめん、赤宮さん」


 由佳の息も荒くなってきた。作戦は大失敗。まさに悔いしか残らない最悪の状況だ。


 現状況を打開出来る術など浮かびはしなかった。せめて、藁を掴むつもりで、あの観測手に意見を求むぐらいの足搔きしか思いつかない。


 そんな時、


「うわああああああ!!」


 彼女達の後方から、エンジン音と共に聞き覚えのある男の叫びが木霊した。


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