1-2
◇
県立常乃倉高校、校門付近。
教室から見て死角になっている木陰のそばで、一ノ瀬由佳は携帯端末を開き、ある人物へと向けて通話を開始する。
1コール、2コール、と通知音がなり、
『どうした?定時連絡にはまだ早いぞ?』
サボりか?、と観測手を務めていた男の嫌味ったらしい声がスピーカー越しに響き出した。
「任務遂行上仕方の無いことよ。それよりも何か分かった?」
『任務遂行上でのサボりとは恐れ入るね。まだ具体的には掴めてないが、軍関係の線は消えたよ』
「じゃあ、公安絡み?」
『だろうな。4年前にうちがこの地区の保安管轄権を手放した後、後釜に入ったのは県警ではなく何故か公安だったそうだ』
公安の内情については現在引き続き調査中、と観測手の男は言う。
「バックアップは期待出来そう?」
『事の真相がはっきりしない限りはなんとも、だな。正直即応性は期待しない方がいい』
「分かってる。そんなことは」
そう言って由佳はため息を吐く。話がとんとん拍子で進んでいるのなら、昨日の時点で本来の管轄先となんらかの連携が取れていた筈だ。
『失望ついでで悪いが、俺の合流時間は、変わらず17時頃の予定だ。出来るだけ飛ばすつもりだが、これもあまり期待するな』
「了解。でも極力早く来て。ストレスで変になりそう」
由佳は中指で自身の頭を軽く2、3叩いた。彼女の昔からの癖で、先程の授業中も何度か同じ仕草をしていた。
『お前さんのイライラなんて知ったこっちゃないが、善処はするさ。それよりも例の新装備、一回ぐらいは着けてみたんだろうな?』
「着けるわけないでしょ」
由佳はさも当然のように返答すると、制服のポケットに突っ込んであったブレスレットを取り出す。
刻印された幾何学模様こそクラオカミのものと酷似していたが、その全体は純銀ではなく灼熱を連想させる橙色に覆われていた。
「まだ気力も回復し切れてない。試験運用したせいで本番で変身出来なかったなんて馬鹿馬鹿しいことはしたくないの」
『嘘つけ。本当は使いたくないだけだろ』
「それは否定しない」
彼女は正直に答える。この男に対し下手な誤魔化しなど不要だ。
『堂々と職務放棄宣言しやがって。一応、お前さんとこの会社の新商品なんだろ?』
「“本社”が作った新商品擬きよ。結局コンペの当て馬にすらならなかったけど」
『そりゃ辛辣な解説どーも。というかお前さんちゃんと授業聞いてるんだろうな?』
コンペの結果発表あったのついさっきだぞ? と観測手は訊ねるが、
「あらそう。知らなかった」
ブレスレッドを片付けつつ由佳は適当に突っぱねた。
コンペの結果発表があったのは初耳だったが、出来レースにすらならない惨めな比較検討など、結果を見ずとも答えは明白だった。
……そしてこの男もそのことは百も承知だった筈。
「とにかく、事態は急を要してることには変わりない。早ければ今日の午後にも奴はこの町に到達する」
『分かってんだよそんなことは』
そもそもの到達予測の話だって俺の聞いてきた話だろうに、と、男は由佳の強引な話題転換に突っ込みを入れるが、
「っ!?」
通話以外では静寂を貫いていた筈の空間に足音が木霊する。それも段々と大きくなってくる。
「ごめん、また後で連絡する」
『了解』
状況を察したのか男の対応は素早く、彼女が通話終了ボタンに手をかけるよりも先に通話が遮断された。
「なにやってんだ?」
由佳は携帯端末を仕舞うと同時に、足音の方向、今は声の主の方向へと振り向いた。
◇
「なにやってんだ?」
そう言葉を発しつつ真也はふと思う。この奇天烈な転校生に対して似たような台詞を言ったり、また感情として思ったのはもう何度目になるのか。
そもそもの出会いは2日前に遡る。
真希絡みのこともあり、曲がりなりにも校内の情報網を構築していた真也にとって、突然の転校生の話は文字通り寝耳に水であり、それは直接その転校生を見た時も同様だった。
すらりと伸びた長身に腰まで伸びた銀色の髪。そして、男子生徒用のスラックス。
端的に言って、驚くな、と言われる方が無理だった。
銀色の髪はイギリス系の母からの遺伝、男子生徒用のスラックスは突然の転校で女子用の制服が間に合わなかったという理由……ではなく、彼女自身が自らの意思で選択したのだという。
常識、という観点で言えば、一ノ瀬由佳は限りなくNGに近い存在だった。極力派手な格好で登校してはならないと記載された校則に、彼女の銀髪は明らかに抵触するだろうし、女子が男子生徒用の制服を着るのも、あったとしても学園祭くらいの非日常的な一瞬で限ることで、日常的に許されることではなかった。
だが、彼女、一ノ瀬由佳は堂々とそれに噛み付いた。
何故、地毛なのに髪を暗く染めなければならないのか、制服も「校則には『女子が男子生徒用制服を着用してはならない』とは、何処にも書いてない」、とよく言えばルールの穴を突いた、悪く言えば屁理屈としか思えない主張をぶち上げ、
「この学校は人権侵害を推奨しているの?」
という教職員からすれば絶対言われたくないであろう台詞を堂々と言い切り、自身の主張を認めさせたらしい。
その話を聞いた時は、人権保護主義団体の見本市みたいな人物が現れたと思い、そしてつい先程の出来事のせいでその印象が更に深まっていた。
転校早々そんな出来事があり、曲がった事が大嫌いな生真面目タイプ、と思っていたが、そんな思い込みも転校初日の3~4時限目の頃には授業も聞かず居眠りをし始めたことにより一瞬で砕け散る。多分、このタイミングで「なにやってんだ」と一人呟いた筈だ。
その他にも、高校生であるにも関わらず学校給食の有無について聞き出したり、わけの分からない時間帯に校内清掃をし始めようとしたりと、一度砕けた清廉なイメージを更に粉砕していく彼女には、最早、奇天烈と表現するしかなかった。
閑話休題。
真希を保健室まで送り届けた帰り道、授業に戻るには中途半端な時間になり、学食近くでフライングの準備でもしてやろうかと思った手前に、この奇天烈な転校生を目にしたのだ。
人気の無い木の影に隠れて誰かと通話。それも堂々と授業をサボっての行動となれば、流石に見逃す気にはなれなかった(授業をサボっていることに関しては人のことを言えないが)
「そういう貴方こそ何をやってるの、草津くん」
質問に質問で返すふてぶてしさは否めないが、この転校生は自分の名前をもう覚えていることは分かった。
「保険委員として、赤宮を保健室に連れていったところ。それでそっちは?」
「別にいいでしょ、私のことは」
こんの野郎……!
律儀に答えてやったのに、自分は守秘義務行使ときやがった。大の大人に燦然と立ち向かう面の厚さはこんなところでも発揮されるのか。
「それよりも大丈夫なの、赤宮さんは?」
「いっ、いつもの発作だよ。放課後には一応、見舞いに行くけどな」
真也の憤りなど全く気づく素振りを見せずに訊ねてきた彼女に、彼は思わずたじろいでしまった。
……ああ、そうだ。そうだった。
真也は、この奇天烈で愛想のかけらもなさそうな転校生に憤るよりも先に感謝をしなければならなかった。
自分が先に動けなかった情けなさはあるが、あの先公の愚行に強烈な釘を刺したのは間違いなく彼女だ。
間違いなく真也にはあれだけ華麗な一撃を見舞わせることは出来なかった。それも踏まえて彼女には何か御礼の一言でも言いたいと思っていた。まさに今がチャンスだった。
だが、
「体調の悪い時に当てられるなんて飛んだ災難だったわね」
お大事に、って伝えておいて、と真也が口を開くよりも先に彼女はそう呟く。
その言葉に心から心配する素振りは見られない。よく言えばクール、悪く言えば他人事だ。
だからこそ、
「……さっきの授業じゃあんなに熱くなってたのに、ホントのところは冷たいんだな、一ノ瀬さん」
彼は彼女のその発言に失望させられた。本当は授業中に真希を助けてくれたことに礼を言おうと思っていたが、真っ先に皮肉が口に出てしまった。
その失望が彼の勝手な想いであり、同時に平時の真也であれば絶対に口にしない迂闊な発言であったが、特殊な状況が続き過ぎた彼には我慢することが出来なかった。
「さっきの授業と赤宮さんに何の関係があるか知らないけど、私は間違っていることを間違ってるって言っただけ。それだけよ」
一瞬眉間に皺を寄せた彼女だったが、その毅然とした態度は揺るがない。
「ああ、そうかよ」
対照的に真也は悪態を吐くしか出来なかった。なんだこの冷酷なまでの冷静さは。彼女に対し希望を持ちかけた自分が馬鹿馬鹿しくなりそうだった。
一体何を、期待していたんだ。
「だったら、一ノ瀬さん、彗星症のことはあまり口にしない方がいいと思うよ」
「……貴方も桐原先生と同じクチ?」
数十分前に公民教師を襲った眼光が今度は真也に注がれる。だが、真也はそれに臆さずに、
「そんなワケあるか。彗星症は制服や頭髪の話とはレベルが違う。下手なこと言ってるとロクな目にしかあわないぞ」
自然と真也の語気に熱が帯びる。例え本人が彗星症患者でなくとも、彗星症擁護者の立場が弱いのは真也自身が一番分かっていることだった。だからこその忠告だ。
「ご忠告どうも。でも、それが間違いを正しちゃいけない理由にはならないわ」
真也の言葉に熱が帯びようと、由佳の意思に変調は見られない。
「お前、怖いもの知らずかよ」
彼女が何に対しても物怖じしないことは今までの行動からして分かってはいる。だとしてもだ。
呆れるしかなかった。彼女への怒りはいつしか不安へと変わっていた。世界の現実を知らずに中途半端に首を突っ込んだ結果、碌でもない地獄に落ちるのは明らかだ。
「私、怖いかどうかで行動しないから」
深く溜息を吐き、左中指で己の頭部を2、3叩きながら彼女は呟く。
「じゃあ、なんなんだよ」
依然としてブレのない彼女の態度に、逆に真也の方が恐ろしくなってくる。勘違い野郎でも、ここまでの覇気は見せ続けるのは異常だ。
「私は、私が出来ることをするだけ」
恐る恐る訊ねた問いへの答えは一瞬、平穏なものに思えた。
「自分が出来た筈のことをやらずに後悔なんてしたくないから。だから私は何だってする」
彼女からすれば、己にとって至極当然の事を言い切っただけなのかもしれない。
「……っ」
だが、その当然のように振りかざされた少女のポリシーは空転気味だった真也の思考回路を吹き飛ばすにはあまりにも充分すぎた。
そんな絵空事を本気でやるつもりなのか、と反論の言葉の数々が喉元にまで集まってはいた。しかし、その言葉を口にしてしまえばそれは真也にとって自殺と同義だった。故に、唇を噛みしめるしかなかった。
そして、終止符を打つかのように4限の終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
「これでいいでしょ」
私、急がないといけないから、と真也の機微なぞ微塵も気にすることなく、由佳はその場を後にしようとする。
「……ああ」
対する真也は、言葉にすらならない返答を響かせるのが精一杯だった。
◇
常乃倉市某所。
「はぁ」
5限目の始まりを告げるチャイムの音を遠くから響くのを耳にしつつ、通学用の自転車を押しながら歩く赤宮真希は溜息を吐く。
彼女が気を落としているのは、己の体調の悪さでも、学校を早退した後ろめたさでもなかった。
体調不良による早退は彼女にとって日常茶飯事であり、今では早退に必要な体温チェックすら省略されるようになった。
そして、そもそもの体調不良、体の芯まで凍りつくような寒気とその反動から来る発熱の症状は、生涯に渡って対峙しなければならないものと覚悟しているし、症状の傾向と経過についてもある程度自覚はしている。
--発熱のフェイズまで来た、ということは、既に危機は去っている。
殆どの人間には理解されないが、この発熱は真希からすれば不安になるどころか寧ろ安堵するべき状況だった。
発熱のだるさで授業を集中して受ける余裕こそ無くなっているものの、心情自体は晴やかそのもので、だからこそつい軽口を叩いてしまった。
「また、フラれちゃったなぁ」
そう、ポツリと真希は呟く。
彼女の言うフラれた、の対象、最初のため息の矛先は言うまでもなく、いつ如何なる時でも自身のことに気をかけてくれる人物、草津真也についてだった。
今現在の赤宮真希の存在がこの場所にあって、ごく一般的な女子高校生として生活を営むことが出来ているのは、間違いなく真也の家族の尽力、そして真也本人の働きかけによるものだった。
彼の真希に対する日常での支援の数々は尋常ではなく、本来なら彼の性格に似合わない保険委員の職務を全うしているのは、彼女のことを第一に考えてのことであり、今日の授業での一幕にしたって、事前に教科書を読破し対策を講じようとするくらいの徹底ぶりだった。
……まあ、その対策も先生の気紛れ1つで瓦解したし、そもそも事前に教科書を読破する勤勉さを日常の勉学にも活かして欲しいのが真希の秘めたる本音なのだが。
そんな抜け目もあるけどいつでも真摯な真也にはいつも感謝しているし、上手く立ち回れなかった事に嘆く彼の姿にはある種の愛らしさすら感じていた。
……草津真也は素敵な人間だ。でも、それは私、赤宮真希に対して向けられたものじゃない。
彼の視線は真希へと向けられているように見えて、実は彼女よりも遠くの何かを見つめている。何気ないデートの誘いに彼がフリーズするのはその最たるもので、それは今に始まったことじゃなかった。
彼が真希の先に何を見ているかは分からない。だけど、それが彼女の思い過ごしではないことだけは、悔しいが確信出来た。
少なくとも、昔の彼にはここまで極端なお節介さは微塵も無く、再度出会った時には既にこうなっていたのだから、真希の知らない何処かで彼に何かがあったのは間違いない。
肝心のその何か、についてを訊ねる勇気は今の真希には無かった。そしてそれは真也も同じで、ある意味で変わり果てた彼女の過去を詮索するような素振りを見せたことはない。
……多分、お互いに最初に小さな勇気を出さなかったのがいけなかったのだと思う。
相手を気遣う、なんて都合の良い言い訳をして、聞けた筈のチャンスを幾度なく手放した結果、二人の間に見えない溝が生まれてしまった。
その溝を作り出してしまったのは当然、二人の責任だし、それに対する後悔もある。でも真希は、後悔を後悔のままで終わらせるつもりもない。
同時に、二人の溝に架け橋を作るのはまず自分からだと真希は強く自負していた。別に普段から彼に助けられているから、という訳ではない。寧ろ、二人の関係性を考えるなら真希から動くのが義務だとすら思っていた。
だが、
「うーん」
秘めたる決意とは裏腹に、その進捗は芳しくない。普段とは違った親睦を深めようと時折アタックは続けているものの、真也は今日のようなフリーズを繰り返すばかりで日常茶飯事と化している。
丁度、真也の両親が帰っていた去年のクリスマスはまだ仕方なかったとしても、今年のバレンタインは散々たるもので、彼は心の底では私のことを嫌っているのではないかと勘ぐらせるくらいには酷い出来事になった。
だが、ここで諦めていては真希の女が廃るというもの。まずは、週末までにこの熱っぽさを解消させねば。
「よし」
周囲を見回し、近くに人がいないことを確認した真希は、押していた自転車に跨がって、力強くペダルを漕ぎ出した。
雲空もいつ雨が降り出すか分からない程に暗く、厚い。せっかく治りかかった症状も、雨風に打たれてしまっては本当の風邪になりかねない。
早退中に、すぐ自転車に乗るのはまだ彼女の良心に躊躇が残っていたが、ここまで離れたら話は別だ。「長袖の令嬢」なんて周囲のイメージからはかけ離れた行動をしていると思うが、それは、それ。
……早く家に帰ろう、そして、週末に向けての一人作戦会議をしよう。
そんな思いを胸に、真希は、自転車をさらに加速させようとするが、
「っ!!」
その刹那、彼女の意思に反し、彼女の身体は一瞬にして凍りつく。
ペダルを回転させていた脚は硬直し、動力を失ったチェーンが音を立てて空転、急ブレーキをかけようにもハンドルを握りしめる指がブレーキにまで届かない。バランスを崩さないように舵を切ろうにも腕に力を込めることは出来ず、蛇行の振れ幅は次第に大きくなり、
「っあ……」
そう音を漏らすのがやっとだった。補助輪を外したばかりの子供が失敗するような挙動で、真希を乗せたまま自転車は左向きに転倒する。彼女の頭部は勢いよく地面に叩きつけられ、ろくに整備されていない凸凹のアスファルトが彼女の柔らかい皮膚を容赦なく削りとっていく。
神経が凍りついたせいで擦りむいた痛みも、傷口から滲み出る血の感覚も認識出来ない。頭を打ち付けた衝撃で意識が飛ばなかったのだけが、幸いだった。
……どうして?
今だに解消されない金縛りの中で、彼女の混乱は加速する。
何が起きたか分からないわけではない。彼女を襲った衝動が何を示すのかは、身を持って何度も味わっていた。
これは、恐怖から来る衝動。それも人間としてではなく、生物として、捕食される対象が植え付けられる衝動。
そして、それを証明するかのように、異形の咆哮が彼女の耳を劈いた。
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