1-1

 

 県立常乃倉高校2年2組教室にて。


「……じゃあ、次は飛んで103ページ。"彗星症と新たな国際協調"だ」


 時間は3限目後半で授業は公民。

 電子黒板に書かれた民主主義と共産主義の違いをノートに書き終えたばかりの草津真也は、公民教師の桐原の言葉に対し背筋を凍らせた。


「ここのページはテスト範囲外、勿論受験にも出ないが、時間が余ったことだし折角だからな」


 ……何が折角だ馬鹿!


 普段であれば、「キリがいいなら早めに授業終わってくれよ」と大半の生徒が思うことを考える真也だが、今回ばかりは違った。


 公民の教科書に彗星症の記述があることはデータを貰った時点で把握し、警戒はしていた。授業が問題のページに近づいたのなら然るべき対処を行う筈だったのに、桐原の気紛れで当初の算段が全て狂った。


 まだ、それだけなら良かった。


「赤宮、読んでくれ」


 忌々しい中年教師は何時もの席順でのルールに則って、一人の少女を指名する。


「……はい」


 そう言って桐原からの指名を受けた少女は、電子教科書に「103」とタップし、指示されたページが画面に映ったのを確認してから、ゆっくりと立ち上がる。


 彼女は短く纏めた茶色の髪と赤い枠の眼鏡が印象的で、いつもその顔には憂いを浮かべていた。


 既に衣替えが終わり、大半の生徒が半袖のカッターシャツに袖を通しているにも関わらず、未だに長袖を羽織り続けている彼女は、その儚げな雰囲気と実際の病弱さも相まって、いつしか「長袖の令嬢」と校内で持て囃されるようになっていた。


 それが、彼女、赤宮真希。


 そして、真也にとって大切な人物であり、何よりもこれから起きる事態から一番逃したい女性だった。


「1999年、終末彗星の飛来を契機に、全世界で新しい感染症、彗星症が流行した」


 真希が朗読する前に何か騒ぎを起こして授業を止めてやろうと考えていた真也だが、彼の体が動き出すよりも彼女の唇が動き出す方が早かった。


「彗星症は、発症時に高熱に襲われた後、感染者に直接害を加えることはなかった為、当初は風邪の一種と考えられていた」


 

 視線をちらりと真希に向けるが、彼女の視線は電子端末に注がれており、こちらを見る気配はない。真也も真也で凝視し続ける訳にも行かず、自身も教科書の該当ページへと移動する。


「しかし、2001年の同時多発隕石雨の後、世界各地で未確認襲撃種アンノウン・レイダー(UL)が発生、彗星症発症者のみを襲撃する彗星災害が多発し、各国はその対応に追われた」


 朗読を感知したのか、教科書の中にある写真欄が終末彗星を報じる新聞記事から、未確認襲撃種の被害の後の写真に切り替わる。ある国の都市部の病院が襲撃に遭い、病院のみが精密爆撃を受けたような廃墟の写真だ。授業を受ける学生を考慮してか、怪物そのものの姿が映らないのが真也にとって救いだった。


「2004年、未確認襲撃種への国連の武力行使容認決議が行われ、ULに対抗する特別国連軍が結成。我が国からも災害救援の名目で自衛隊が派遣された」


 再び写真が変わる。其処に映るのは対UL用の特殊装備を身に纏った自衛官の姿だった。


「2013年、ULに対する大規模掃討作戦が実施され、ULによる彗星災害は激減。2015年、国連は彗星災害の終息宣言を行なった」


 たった2,3行だけの説明。だが、そのたった数行の中でどれだけの戦いと血が流れたのかは、TVやネットの報道で散々目にしてきた。


「しかし、彗星症への抜本的治療の目処は未だについておらず、彗星被害から彗星症発症者を差別する事件も後を絶たない。彗星災害によって成り立った国際協調は今後、これらの差別問題の解決に向け努力していく必要がある」


「よし、そこまででいい」


 ありがとう、と言って中年教師はこの害しかない朗読をやめさせると、真希もそれに応じ席へと座る。


 真也の視線はすぐさま真希の方へと向かうと、視線が来るのがわかっていたのか真也の方を振り向いて軽く微笑んだ。「大丈夫だよ」と言わんばかりの仕草であったが、額に走った汗とその青くなった表情から無理をしていることがバレバレだった。


 結局、何も出来なかった。


 真希は彼を安心させようとしたのかもしれないが、その無理な頑張りが逆に真也の罪悪感をちくちくと痛めつけた。彼女が倒れそうになってから中断させればいい、と心の中で思っていたのではないか。どこかで彼女の無茶に甘えていたのではないか。そう糾弾する自分が確かにいた。


「教科書だからまあこう淡白に書いてあるが、実際はどれだけ大変だったかはお前達が一番よくわかっていると思う」


 真希の朗読を総括するかのように桐原は言う。


「何せ、アニメや漫画の産物だと思っていた怪獣が実際に現れて人を襲ったんだ。それも全世界でな」


 冗談混じりなのかどうなのかは分かりたくもないが、両手を広げ怪獣が襲ってくる仕草をこの先公はやり始めた。


「だが、そんな大騒動も2年前に終息宣言だ。正直、いつまでもこの災害は終わらないと思ってたが、実際はあっけないものだった」


 そもそもこの項目をこのタイミングでチョイスしてきたことから嫌悪感があったが、他人事のように語るこの調子に嫌悪感が更にヒートアップする。


「残る彗星症患者も世界人口のうちのたった2%に過ぎない。確かにまだ問題は山積みだが、ULがなんとかなったんだ。これもじきになんとかなるだろう」


 ……この野郎!!


 本人は軽く締めたつもりなのかもしれないが、当事者の片鱗を知る真也からすればあまりにも、あまりにも無責任な発言だった。


 この先公の適当さ加減に目を瞑ろうと思っていたが、ここまで喧嘩を売られては我慢が出来る真也ではなかった。怒りの反論をぶつけるべく彼は立ち上がろうとするが、


 ガン!!


「!?」


 真也が動き出すよりも先に、机を強く叩く音が教室全体に響き渡った。


「失礼」


 衝撃音の発生源は真也の席から見て左後方、真希の席とは真反対に位置するその場所にクラス中の視線が集中する。


「煩い蝿が飛んでいたもので」


 言葉に反し、謝罪するつもりなど毛頭ないような鋭さで立ち上がったのは、つい一昨日転校してきたばかりの文字通り異色の少女、一ノ瀬由佳だった。


「あ、あぁ」


 あまりの突然の出来事に桐原は思わずたじろいでしまう。



「蝿を潰したついでですいませんが、先生、発言には気をつけた方がいいと思います」


 彼女の鋭い眼光が先生へと向けられる。蝿を潰す為、というのは明らかに嘘だ。


「彗星症発症者が全人口の2%と言っても、その人数は日本人口を上回るものです。『たった』で収まるような数字でありませんので」


 その冷静な指摘は、女子の平均身長を上回るその長身と腰まで伸びた銀色の髪も相まって、より説得力のあるイメージを生徒達に植え付けるが、それ以上にその語気から来る熱量は凄まじいものだった。


「それに、彗星症発症者は残ってなんかいません。生きているんです。これからもずっと普通の人々と共生していくんです。教職につくような人が、まるで対岸の火事のように話さないで下さい」


「そ、そうだな……」


 由佳の畳み掛けに桐原が反論する余地も、気力もなかった。そもそもの熱量があまりにも違いすぎた。


 K.O.パンチが華麗に決まる。それを証明するかのように終鈴を告げるチャイムがスピーカーから鳴り響いていく。


「きょ、今日はここまでだ。それじゃあ」


 と桐原は授業終わりの号令すら忘れ、逃げるように教室から出ていった。


「ふん」


 軽蔑するように鼻を鳴らした由佳も、そそくさと教室から去っていく。


「……なんだ、これ」


 あまりの電光石火の出来事に、真也も含めクラス全員が唖然とするしかなかった。



    ◇


「ねえ、真也」


 3限目後の休憩時間、つい数分前に起きた騒動への驚愕から生徒達がようやく正気を取り戻そうとしていたなか、声をかけてきたのは真希だった。


「あ、あぁ」


 真也は真也でまだ状況を整理出来ずにいたせいで曖昧な返答しか出来ない。今この瞬間ですら「なんで俺の方から駆け付けなかったんだ馬鹿!」と脳内糾弾が起きている。


「ごめん、やっぱり無理そう」


 だが、真希の意図したいことが垣間見えた瞬間、


「分かった」


 雁字搦めになっていた思考回路は強制停止され、まるで最初からそうであったかのように真也はゆっくりと席を立つ。ここ2、3日、彼女の調子は良くなかった。



「相変わらず以心伝心かよ。凄いなお前ら」


 そう茶々をかけてきたのは、真也の後ろの席にいた直倉だ。


「煩いな。体調悪いのは前から聞いてたんだよ」


「はいはい。お熱いことで」


 真也が弁明するも直倉は聞く耳を持たず、


「なあ、それよりさコレ見てくれよコレ」


 そう言って、真也の眼前にスマートフォンを突き出してきた。画面に映るのはネットのニュース記事だった。


「陸上自衛軍、次期対UL兵装を米国のアドヴァンスドイーグルに内定……?」


「大ニュースだろ!? これ実質国産機開発の打ち切りってことだろ!?」


 呆れる真也に構うことなく、興奮気味に直倉は捲したてる。


「そうだろうな。ULも終息宣言出てそもそも需要ないし、国産機は国産機で色々やらかしてるし」


 ため息を吐きながら真也は思ってもいない意見を返す。


「愛国心もない上に平和ボケかよ草津。ULはまたいつ襲ってくるか分からないんだぞ」


 チッチッチ、と言わんばかりの調子で直倉は意見してくる。彼はなんというか、典型的なオタクの部類の人間だ。


「なあ、今どうしてもその議論しなきゃいけないか?」


 横で待つ真希を一瞥しながら真也は言う。正直言って、時間の無駄だ。


「ああ、あるね! お前と赤宮さんがイチャイチャする時間を1秒でも減らせるならな!!」


「お前な……」


 眼鏡を光らせ自慢げに言う彼に、真也は肩を竦めるしかなかった。彼のこういうところには非常に呆れるが、同時に友人として嫌いになれない部分でもあった。


「ジッキー、その高尚な議論は昼飯食いながらやるとして、俺はこれから赤宮連れて保健室行ってくるから、先生に伝えといてくれ」


「あーはいはい、わかりましたよ」


 やりたい嫌がらせをやりきったからなのか、直倉が素直に応じてくれたのは有り難かった。


「真希、行こう」


「うん」



 教室の外へ向けて歩き出す。真希は真希で直倉に軽く手を振り会釈を振りまき、直倉も直倉でそれに鼻の下を伸ばしながら応えていた。


「草津のヤロー、覚えてろよー。そうイチャイチャしすぎるといつか爆発するんだぞー」


 教室の扉に手をかけたところで直倉があまりにも説得力のない負け惜しみを吐いたのが耳に入る。


 ……まったく、こいつらは。


 真希を先に教室の外へ出した真也は、すぅと息を飲んでから、


「いつも言ってるけどな、俺はあくまで保健委員として当然の仕事をやってるんだ! 別に赤宮と何かあるとかそんなんじゃないからな!!」


 フン! と強く鼻を鳴らしながら真也は教室の扉をピシャリと閉めて廊下へと出た。真也達を奇異の目で見るのは直倉だけでなく、このクラスの生徒の大半で、これがもう日常茶飯事となっていた。


「……ホントに何にもないなら、互いに相手のこと下の名前で呼ばないってーの」


 そして、朴念仁と形容されるくらいに人間関係に鈍感な人物でない限り誰でも気づくであろう突っ込みを、彼らが聞かずに出て行くのもまた、日常茶飯事であった。


      ◇


「悪い。出るのに時間かかって」


「大丈夫、いつものことでしょ」


 既に4限が始まり、休み時間の喧騒さが鳴りを潜めた教室棟の廊下を2人は歩く。


「……悪い」


「なに?」


 真也からの二度目の謝罪、その言葉の意味を真希はぽかんとした調子で聞き返す。


「さっきの授業で、俺、何も出来なかった」


 苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ真也は言う。真っ先に謝罪しなければならなかったのはこのことだった筈なのにと、彼の中で罪悪感が加速する。


「大丈夫な、ワケないよな……」


 現に彼女は体調を崩している。それが証左だった。


「それなら大丈夫、あたし、気にしてないよ?」


 だが、そう言って彼女は笑う。


「でも、あんな内容、それに」


 真也が言葉を詰まらせる。


「だから大丈夫だって。今の体の調子悪いのは一昨日からの続き。さっきの授業は関係ないから」


 高熱に起因するのか真希の笑顔に対し声は弱々しく、それ故に真也の瞳には痛々しく映った。


「ごめん」


「だから、謝る必要ないって」


 真希の気遣いが逆に彼の罪悪感を加速させていることに彼女自身は気付いていない。


 それどころか、


「でも、啖呵切った一ノ瀬さん、カッコ良かったよね?」


「うゔぁあああんんん!」


 最早悪意すら疑わせる真希の何気ない急所打ちに真也は絶叫し、脆くも膝から崩れ落ちる。既に踊り場まで到達していたから良かったものの、これが教室の横だったら大問題だった。


「えっ、ええ!?」


「やっぱり俺はダメなんだあの時から何も変わっちゃいないやっぱり俺はダメなんだ……」


 真希の驚愕を余所に真也は呪詛を吐きながら項垂れる。


「ねえ、はやく保健室、行こ?」


「……悪い」


 真希の介錯を受け、真也は力なく立ち上がる。これではどっちが保健室に連れて行かれているのか分からなかった。



    ◇



 2人は階段を降りきり、教室棟から保健室のある実習棟に繋がる渡り廊下にまで辿り着く。屋根だけ付いた吹きさらしの渡り廊下からは分厚い雨雲の姿が教室にいる時よりもはっきりと見え、今にも大雨が降るのではないかと見るものを一層不安にさせる。


 梅雨時だから当然かもしれないが、こんな天気が2日3日続いていた。


「早退、するか?」


 踊り場の一件から無言を貫いていた真也が口を開いた。


「うん、そうする」


 そう頷いた真希の表情は重い。


「家まで、送ろうか?」


「そこまでは大丈夫だよ。真也に学校サボる口実、あげるわけにはいかないし」


「そっ、そんなわけねーだろ」


 次は真也が表情を重くする番だった。


「たまには、勉強教える身にもなってよ」


 真也がサボる分あたしの負担も大きくなるんだよ? と半目になりながら彼を睨む。


「じゃ、じゃあ、学校終わったらすぐに見舞いに行くから」


「うん、途中で2Lのスポーツドリンク買って来てくれると嬉しいかな」


「わっ、分かった……」


 そう微笑む真希に真也は苦々しい表情を浮かべる。軌道修正を加えたつもりが上手く先手を取られてしまった。


「そうだ」


 真也がたじろいでるのを余所に真希は、


「週末にショッピングモール行こうよ。新作のアイス、食べに行きたい」


 そう言って彼の腕に手を伸ばす。


 だが、


「真希」


 寸前のところで彼女の手は真也に払われる。


「”今“はそうじゃなくても、いいだろ?」


 彼の調子は豹変としか言いようのない冷淡さだった。先程までの感情の機微の激しさは微塵も見られない。


「そういうのは体調が良くなってからだし、長引いたら長引いたで俺が買ってきてやるからさ」


 彼の主張は至極真っ当で、言葉面だけ見れば優しさに溢れている。しかし、そのあまりにも単調的な調子はエラーコードを吐いた機械となんら変わらなかった。


「……うん、そうだよね」


 そして、その姿を見る真希も驚愕するが、それもほんの一瞬のことだった。彼女も彼女で、真也の中で何が起きたのかを一瞬で理解し、彼の意に沿うような答えを返す。


「それで、新作のシュークリームってどんなのだよ?」


 止まっていた真也の調子が復旧する。直前に自身の起こしていた挙動などがまるでなかったかのような振る舞いだった。


「夏みかんとチョコミントが入ってる」


「……やめとけ。体調良くなったとしてもそれだけはやめとけ」


 真也の反応に真希はクスリと笑った。直前の数十秒の出来事など、最初から存在していなかったかのように。


 これが、この二人にとっての日常だった。


    

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