鐘を撞くのはデリンジャー

山田恭

かくて決闘は始まった

 夕陽は既に沈んでいて見えなかった。軋む風車はなく、転がり草タンブルウィードなどどこにも見えなかった。硝煙の匂いはせず、牛飼いの声も聞こえなかった。誰の皮も剥がれておらず、口笛もハーモニカの音も聞こえてはこなかった。駅馬車はなく、駅馬車強盗もおらず、相対するふたりを隔つのは手すりつきの石階段だけだった。


 それでもこれは決闘だった。


 闇夜は決闘に似つかわしくない。

 いや、正確には、銃同士の、という但し書きがつくだろうか。これが刀を持った武士同士の決闘であれば、月夜を背負い戦うというのは絵になるだろう。だが銃を持った者同士の戦いとなると、少し距離が離れれば見えなくなり、発火炎マズルフラッシュが時折光るだけの画面映えしない決闘になる。だから闇夜は銃の決闘には似つかわしくない——いや、しかし銃の勉強をしているときに、闇夜に銃を撃ち合うシーンはそこまで珍しくはなかった気がする。そう、古く有名な西部劇でもそうだった。胸を銃で撃ち抜かれたものの、弟から受け取っていた銀貨が身代わりとなって生き残り、復讐を目指す物語だ。あの物語の最後の決闘は、薄暗い闇の中で行われていた。であれば、この状況が決闘に似つかわしくないと考えるのが、ここが誰もが西を目指した十八世紀の米国ではなく、現代日本だからかもしれない。

 しかし銃を持った者が向かい合い、睨み合っているのだから、場所がどこであろうと、時代がいつであろうと、空がいかに暗かろうと、どんなに似つかわしくなかろうと。決闘には違いなかった。


 時は六月。

 場所は国立T大学理学部裏手の石階段。

 銃は二挺。


 片や、九ミリ弾五連装シングルアクション回転式拳銃リヴォルヴァー、日本国警察官正式採用拳銃ニューナンブM六〇。

 片や、・二二LRロングライフル弾中折式ダブルアクション二連装複銃身式拳銃マルチバレル安価大量製造サタデーナイトフィーバーの米国製ハイスタンダード・デリンジャーD一〇〇・複製品レプリカ


「小さな銃でした。わたしの掌でも隠れるくらいの、ほんとに小さな銃です。暗かったのでよく見えませんでしたが、真っ黒ではありませんでした。月明かりを反射していたあれは、たぶん銀色で、手で握るところだけが茶色か、黒か、そんな感じの暗い色だったと思います。あと、形状が少し変わっていて……あの、わたしはあまり銃とかには詳しくないんですが、ふつう、銃って握るところと、弾を発射する筒がくっついてて、その間に四角い枠があって、引き金がついてますよね? まず変なのが、筒がふたつ、縦にくっついていたところです。撃たれたときには、どちらかの筒から弾が出てきたのか、あるいは両方から同時に出てきたのか、それはよくわかりません。ただ、ほとんど同じに見える筒がふたつあったことは確かです。暗がりでもわかったのですが、筒に人差し指を添えて、中指で引き金を引いているように見えました。それと、引き金のところなんですけど、たぶん……銃って事故で引き金を引いちゃわないように、安全を考えて引き金の周りに枠がついていると思うんですけど、それがありませんでした。引き金も、筒から細い棒みたいのが出てるんじゃなくて、握っているところから、四角い釦みたいなのが出てて、まるで玩具みたいでした。だから………」

 そんな言葉を思い出す。半年ほど前に起きた事件で、被害者だった女性の言葉だった。事件の犯人の顔を忘れてしまっていた彼女は「見れば思い出す」と主張していたのだが、そんな主張は疑わしいと思っていた。見れば思い出すだなんて、そんな都合の良いことはありはしないと——だが、その主張は正しかった。


 女の顔を頭の中から振り払い、現在の出来事にのみ集中しようとした。

「まさかおまえが犯人だとはな」

 小高い山の上にあるT大学理学部裏手の石階段の最下部から見上げ、その頂上に立つ人物を睨みながら、ニューナンブを持つ犬上大輔いぬがみだいすけ刑事は言った。

 犬上は制服警官——いわゆる「お巡りさん」ではない。三ヶ月前から白瀬署の刑事課に任命された、捜査官だ。だから通常は拳銃など携帯していない。にもかかわらず、この決闘の夜に拳銃を携えていたのは、果たして涙を流すほどの類稀なる幸運だったのか、鉱山が爆発するほどのよくある不運だったのか。


「まさかって、犬上さんも気づいていたんでしょう」

 と言い返したのは音無春邦おとなしはるくに——半年ほど前のとある強姦殺人事件の犯人であることを認めた男は言い返した。彼は二十二歳の大学生で、つまり犬上と同い年だ。だがその表情は疲れ切っていて、声には諦観に塗れていて、膝や腕は汚れていた。


 彼の言う通り、犬上は気づいていた。自分が白瀬署に赴任するよりも三ヶ月前に起きた事件——平和であるはずの日本国内で銃が用いられた凶行の概要に。音無の犯行に。

 なのに、ずっと見逃していた。彼は一度記憶を失ったから。何もかもが以前と様変わりしてしまったはずだから。新しく生まれ変わったはずの音無に罪はないはずだから——そう信じていたから、だから何もできないで、何も起こらないままで時が過ぎ去ってくれるのを期待していた。


「どうするつもりですか?」

 音無が続けて問いかけた。どうするつもりか。すなわち、この決闘を如何様にして終わらせるつもりなのかと、そういうことだ。

「これはおれがもたらした不幸です」


 ニューナンブM六〇対ハイスタンダード・デリンジャーD一〇〇。

 片や警察省公式採用銃に対し、片や一山いくらの粗雑な大量製造品。

 片や回転式拳銃に対し、片や複銃身式拳銃。

 片や口径九ミリメートルに対し、片や口径〇・二二インチ(約五・六ミリメートル)。

 片やシングルアクションに対し、片やダブルアクション。

 片や警察官にして、片や殺人犯。


 決闘に向かい合うふたりはさまざまな点で対比ができた。どちらが有利でどちらが不利かも。ニューナンブのほうが装弾数が多いうえ、犬上は刑事として銃を撃つのに慣れている——とまではいわないまでも、射撃訓練で何度も拳銃を撃ったことがある。手のひらに包み隠せるほどに小さい暗器コンシールドウェポンの類であるデリンジャーは軽く、取り回しは容易だろうが、一九八ミリメートルの全長があるニューナンブも、拳銃であれば極端に動作は変わらない。石階段は二十段はあり、上下の位置の違いもあって距離は十分に離れている。銃身の小さいデリンジャーでは容易には狙えないはずだ。


 何よりもニューナンブの優位性を位置づけるのは、ニューナンブそのものの性能ではなく、デリンジャーの問題点だ。

 銃は〈平等の手段イコライザー〉だという。それまでの武器、刀なり弓矢なりと違って、力ないものでも、牙がないものでも強大な力を得ることができる。だから平等の武器なのだと。


 それは一面としては正しいが、あらゆる状況で正しいかといえば、そうとはいえない。より高みから敵の位置を探るには、高い上背が要る。相手の動きを察知して銃に手を伸ばすには、鋭い反射神経が要る。銃をホルスターから引き抜くためには、手首の力が要る。相手より素早く撃鉄を起こして引き金を引くためには、指の力が要る。そしてその点で、ハイスタンダード・デリンジャーには問題があった。

 銃には誤って引金が引かれて暴発しないよう、引鉄を覆うような引金保護具トリガーガードがつきものだ。もちろんニューナンブもその例に漏れず、引金の先には細い引金保護具がついている。だが、相対するデリンジャーにはそれがない。

 安全装置がないわけではない。ハイスタンダード・デリンジャーの安全装置は、その馬鹿みたいに重たい引金引張力トリガープルなのだ。その重み、実に約十一キログラム。つまり、指で十一キログラムの引っ張る力がないと、引金を引くことができず、銃弾が発射されない。であれば、非力な女子どもに向く銃ではない。その法外な引金引張力を満たすための僅かな時間は、初速時速六〇〇キロメートルの世界では致命的だ。


 だから、そう、ニューナンブを持つ犬上が有利のはずだった。


 だがニューナンブとデリンジャーは、その立ち位置がまったく違う。

 ニューナンブは警察官に正式採用されている銃だ。であれば、その目的は治安維持であり、殺害ではない。たとえ相手が凶悪犯であっても、だ。警察官として犬上が受けている訓練は、五メートル離れた場所から目的の場所に命中させるための訓練であり、殺すためのものではない。もちろん、決闘のためのものでもない。

 デリンジャーも決闘のためのものではないが、治安維持のためのものでもない。暗器であり、どこにでも隠せるそれは、殺すことを目的としたものだ。いかに引金引張力が重くとも、いかに射程距離が短くとも、十分に近づけるなら、十分に油断させているのなら、そんな欠点は問題にならない。デリンジャーは、誰よりも速いわけではない。誰よりも殺したわけでもない。


 ただ、小さいだけ。

 だが、殺すにはそれで十分。不幸を作り出すにはそれで十分。

 そこに殺意があるとき、十一キログラムの引金引張力は何の抑止力にもならない。

 だから、デリンジャーほど復讐に向く銃はない。


 犬上はデリンジャーが月明かりを跳ね返すのを見つめたまま、音無の言葉を反芻した。どうするつもりか? どうする。

「おれが——」

 犬上のその先の言葉は、音無には聞こえなかっただろう。既に動いていたから。言葉を紡ぎながら犬上が動き出したから。決闘の最中で気を払うべきは言葉ではなく、場の動き以外にないのだから。


 かくて決闘は始まった。

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