鐘を撞くのはデリンジャー
山田恭
序
かくて決闘は始まった
夕陽は既に沈んでいて見えなかった。軋む風車はなく、
それでもこれは決闘だった。
闇夜は決闘に似つかわしくない。
いや、正確には、銃同士の、という但し書きがつくだろうか。これが刀を持った武士同士の決闘であれば、月夜を背負い戦うというのは絵になるだろう。だが銃を持った者同士の戦いとなると、少し距離が離れれば見えなくなり、
しかし銃を持った者が向かい合い、睨み合っているのだから、場所がどこであろうと、時代がいつであろうと、空がいかに暗かろうと、どんなに似つかわしくなかろうと。決闘には違いなかった。
時は六月。
場所は国立T大学理学部裏手の石階段。
銃は二挺。
片や、九ミリ弾五連装シングルアクション
片や、・二二
「小さな銃でした。わたしの掌でも隠れるくらいの、ほんとに小さな銃です。暗かったのでよく見えませんでしたが、真っ黒ではありませんでした。月明かりを反射していたあれは、たぶん銀色で、手で握るところだけが茶色か、黒か、そんな感じの暗い色だったと思います。あと、形状が少し変わっていて……あの、わたしはあまり銃とかには詳しくないんですが、ふつう、銃って握るところと、弾を発射する筒がくっついてて、その間に四角い枠があって、引き金がついてますよね? まず変なのが、筒がふたつ、縦にくっついていたところです。撃たれたときには、どちらかの筒から弾が出てきたのか、あるいは両方から同時に出てきたのか、それはよくわかりません。ただ、ほとんど同じに見える筒がふたつあったことは確かです。暗がりでもわかったのですが、筒に人差し指を添えて、中指で引き金を引いているように見えました。それと、引き金のところなんですけど、たぶん……銃って事故で引き金を引いちゃわないように、安全を考えて引き金の周りに枠がついていると思うんですけど、それがありませんでした。引き金も、筒から細い棒みたいのが出てるんじゃなくて、握っているところから、四角い釦みたいなのが出てて、まるで玩具みたいでした。だから………」
そんな言葉を思い出す。半年ほど前に起きた事件で、被害者だった女性の言葉だった。事件の犯人の顔を忘れてしまっていた彼女は「見れば思い出す」と主張していたのだが、そんな主張は疑わしいと思っていた。見れば思い出すだなんて、そんな都合の良いことはありはしないと——だが、その主張は正しかった。
女の顔を頭の中から振り払い、現在の出来事にのみ集中しようとした。
「まさかおまえが犯人だとはな」
小高い山の上にあるT大学理学部裏手の石階段の最下部から見上げ、その頂上に立つ人物を睨みながら、ニューナンブを持つ
犬上は制服警官——いわゆる「お巡りさん」ではない。三ヶ月前から白瀬署の刑事課に任命された、捜査官だ。だから通常は拳銃など携帯していない。にもかかわらず、この決闘の夜に拳銃を携えていたのは、果たして涙を流すほどの類稀なる幸運だったのか、鉱山が爆発するほどのよくある不運だったのか。
「まさかって、犬上さんも気づいていたんでしょう」
と言い返したのは
彼の言う通り、犬上は気づいていた。自分が白瀬署に赴任するよりも三ヶ月前に起きた事件——平和であるはずの日本国内で銃が用いられた凶行の概要に。音無の犯行に。
なのに、ずっと見逃していた。彼は一度記憶を失ったから。何もかもが以前と様変わりしてしまったはずだから。新しく生まれ変わったはずの音無に罪はないはずだから——そう信じていたから、だから何もできないで、何も起こらないままで時が過ぎ去ってくれるのを期待していた。
「どうするつもりですか?」
音無が続けて問いかけた。どうするつもりか。すなわち、この決闘を如何様にして終わらせるつもりなのかと、そういうことだ。
「これはおれがもたらした不幸です」
ニューナンブM六〇対ハイスタンダード・デリンジャーD一〇〇。
片や警察省公式採用銃に対し、片や一山いくらの粗雑な大量製造品。
片や回転式拳銃に対し、片や複銃身式拳銃。
片や口径九ミリメートルに対し、片や口径〇・二二インチ(約五・六ミリメートル)。
片やシングルアクションに対し、片やダブルアクション。
片や警察官にして、片や殺人犯。
決闘に向かい合うふたりはさまざまな点で対比ができた。どちらが有利でどちらが不利かも。ニューナンブのほうが装弾数が多いうえ、犬上は刑事として銃を撃つのに慣れている——とまではいわないまでも、射撃訓練で何度も拳銃を撃ったことがある。手のひらに包み隠せるほどに小さい
何よりもニューナンブの優位性を位置づけるのは、ニューナンブそのものの性能ではなく、デリンジャーの問題点だ。
銃は〈
それは一面としては正しいが、あらゆる状況で正しいかといえば、そうとはいえない。より高みから敵の位置を探るには、高い上背が要る。相手の動きを察知して銃に手を伸ばすには、鋭い反射神経が要る。銃をホルスターから引き抜くためには、手首の力が要る。相手より素早く撃鉄を起こして引き金を引くためには、指の力が要る。そしてその点で、ハイスタンダード・デリンジャーには問題があった。
銃には誤って引金が引かれて暴発しないよう、引鉄を覆うような
安全装置がないわけではない。ハイスタンダード・デリンジャーの安全装置は、その馬鹿みたいに重たい
だから、そう、ニューナンブを持つ犬上が有利のはずだった。
だがニューナンブとデリンジャーは、その立ち位置がまったく違う。
ニューナンブは警察官に正式採用されている銃だ。であれば、その目的は治安維持であり、殺害ではない。たとえ相手が凶悪犯であっても、だ。警察官として犬上が受けている訓練は、五メートル離れた場所から目的の場所に命中させるための訓練であり、殺すためのものではない。もちろん、決闘のためのものでもない。
デリンジャーも決闘のためのものではないが、治安維持のためのものでもない。暗器であり、どこにでも隠せるそれは、殺すことを目的としたものだ。いかに引金引張力が重くとも、いかに射程距離が短くとも、十分に近づけるなら、十分に油断させているのなら、そんな欠点は問題にならない。デリンジャーは、誰よりも速いわけではない。誰よりも殺したわけでもない。
ただ、小さいだけ。
だが、殺すにはそれで十分。不幸を作り出すにはそれで十分。
そこに殺意があるとき、十一キログラムの引金引張力は何の抑止力にもならない。
だから、デリンジャーほど復讐に向く銃はない。
犬上はデリンジャーが月明かりを跳ね返すのを見つめたまま、音無の言葉を反芻した。どうするつもりか? どうする。
「おれが——」
犬上のその先の言葉は、音無には聞こえなかっただろう。既に動いていたから。言葉を紡ぎながら犬上が動き出したから。決闘の最中で気を払うべきは言葉ではなく、場の動き以外にないのだから。
かくて決闘は始まった。
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