第2話 急襲

「……きみの理解の範疇を超えているか。無理もないが……」

 ガイは立ち上がった。

「今日はここまでにしておこう。……いいか、雅也、これだけは覚えておけ。我々がきみを見つけたように、バイパーも既にきみのことは察知している筈だ。きみが記憶を取り戻す前に、バイパーは必ずきみを殺しにやってくる。きみが望む望まないに関わらず、だ。そしてきみが大切に思っている両親や、友人たちにも危害が及ぶことになるだろう。そうなっても、我々には何も、どうすることもできない。永遠に生きるバイパーを倒せるのはきみだけなのだからな」

 ガイはそう言うと、長い黒髪を翻し雅也に背を向け、窓を開けた。

「ま、待って!ここ2階だよ!?どこ行くんだよ!?」

 雅也は慌ててその背に声をかけた。ガイはゆっくり振り返った。

「……いくら私でもこのまま飛び降りる気はないよ」

 ガイはくくっと笑い、窓の外へ右腕を差し出した。

 ばさっという羽音と共に、その腕に一羽の鳥が止まる。大きくてガイと同じ金色の眼をした猛禽類だ。焦げ茶色の羽を持ち爪も嘴も太く鋭い。

「紹介する。私の仲間で、名前は……そうだな、タカとでも呼んだらいい」

「……そのままじゃないか」

 いきなり、その鳥、タカが喋った。

「よろしくね、雅也」

 雅也は口をポカーンと開けて固まった。

「今日きみを監視していたのもタカだ。きみはちっとも上を見なかったようだがな」

 ガイはもう一度くくっと笑うと、左手でタカの頭を撫でた。タカは眼を細め、気持ちよさそうにしている。

「もう一体、今は別のところにいるが、仲間がいる。そいつのことは……ローとでも呼んでくれ。……私を含めたこの3体がきみを守る。守ると言っても、直接バイパーを倒すことはできないから、きみを逃がす手伝いをするということになるがな」

 ガイがそこまで言った時、階下で呼び鈴が鳴った。

 母さんが帰って来たのかも、と雅也は思いガイを見ると、ガイはどうぞ、とでも言うように、肩をすくめて見せた。

「ちょっと待ってて。まだ聞きたいことがあるから勝手に帰らないでよ!?」

 すっかり毒気を抜かれた雅也はガイに告げ、部屋を出て階下に降りる。

 玄関のドアを開けると、そこには宅配業者が立っていた。

「秋月さん?荷物を届けに来ました。ここにハンコもらえます?」

 帽子を目深に被った男は、そう言って雅也に伝票と小さな箱を手渡した。

「あ、はい、ちょっと待ってて下さい」

 雅也は箱と伝票を持ったままリビングに行き、印鑑を探した。

「……確かこの辺に置いてたはずだけど……」

 茶ダンスの抽斗を開けようとした雅也の両肩を後ろから誰かが掴んだ。

「見ィつけたァァァ」

 雅也が振り返ると、それは宅配業者の男だった。

「こいつだこいつだァァァ、ウヒャヒャヒャ……」

 男は雅也の肩をものすごい力で掴んだまま、嫌な声で笑った。雅也はその男の眼を見た。その眼は猫のようだった。

「うわあっ!!」

 雅也は大声を上げて、男の手から逃れようと腕を回した。雅也の手から箱が落ちる。雅也が振り回した腕が偶然男の頬に当り、男の力が一瞬緩んだ。雅也は後ろも見ずに走り出した。外へ!開いた玄関の扉から靴下のままで出ようとした雅也の足首に何かが纏わりつく。

「わあっ!!」

 赤いぬるぬるした細長いものが雅也の右足首に絡みついて、それに足を引っ張られて雅也は玄関先で派手に転がった。

 そのままその赤いものは強い力でずるずると雅也の右足を引き摺っていく。雅也は玄関の段差に掴まってその力に必死で抗った。

「痛っ!!」

 赤いものが雅也の素足に触れた途端に、何本もの針で刺されたかのような激痛が雅也を襲った。キリキリと差し込まれるような鋭い痛みに雅也は悲鳴を上げる。

「エヒャヒャヒャァ!」

 後ろから男の笑い声が聞こえてきた。

 はっとして振り返ると、床を這うようにして男がすぐ近くまで寄ってきていた。その開いた口から伸びた赤い舌が、雅也の足首に絡みついていたのだった。

「な……何なんだよ!?……」

 雅也は痛みを堪えながらなんとか腕の力を振り絞り玄関のドアまで辿り着いた。しかし、男の舌はまだ足首に絡みつき、さらには脛の方にまで伸びてこようとしていた。刺されるような激痛もさらに強くなってくる。

「雅也っ!」

 ガイの声が響く。そして、雅也の足を引っ張っていた圧力と苦痛がふっと消えた。雅也はその反動で玄関の外へ転がり出た。

 その身体を抱き起こし、ガイが叫ぶ。

「走れるか!?」

 雅也は慌てて頷いた。

 ガイは雅也に肩を貸しながら走り出す。右足が地面に着く度に雅也は苦痛に顔を歪めた。男の舌に絡みつかれたところが痺れるように痛み、気は焦るのだが速く走ることができなかった。

「まずいな……」

 ガイがぼそりと呟く。

 雅也が後ろを見ると、男が追ってきていた。男はすでに人間の形をしていなかった。顔は男のままだったが、身体からは何か赤い触手のようなものが宅配の制服を突き破って何本も出ている。男は口を開けてだらんと舌を出したまま、笑いながら走っていた。舌の先は鋭利な刃物で切られたように無くなっている。

 住宅街を抜けるとその先は繁華街だ。ガイがまずいと言った意味に雅也はようやく気付いた。人がたくさんいるということは、バイパーにとって餌がたくさんあるということだ。つまり、繁華街に出る前になんとかしなければ、バイパーはより強力になり、そして誰かが死ぬということに他ならない。

「雅也、この近くに人のいなさそうな広い場所はあるか?」

 ガイが走りながら聞く。雅也は頷いた。

「中学校!……グラウンドがある!」

 今頃の時間ならもう部活も終わって誰もいないに違いない。

「どっちだ?」

「左!」

 雅也の返事にガイは雅也を引きずるようにしながら路地を曲がる。

 校門が見えてきた。

 雅也が後ろを振り向く。異形の男はすでに路地を曲がってあと数メートルの位置にいた。

「ヒャァヒャァ」

 男の笑い声が後ろから聞こえてくる。


 グラウンドには灯りはなく、人影もなかった。

「雅也、あそこの植え込みまで走れ」

 ガイが指し示したところには花壇があり、低木が群生している。

「あ、あんたは!?」

 雅也が言うと、ガイは唇の端を上げた。

「奴の狙いはきみだからな。きみから離れた方が私は助かる」

「はぁ!?」

 雅也は情けない声を上げた。

「俺を助けてくれるんじゃないのかよ!?」

ガイはくくっと笑い、雅也の腕を離した。

「とにかく自力であそこまで走ることだな」

「ひでぇ!」

 雅也はガイに言い捨てて、右足を庇いながらも植え込みを目指して走り出した。

 ガイはその場に留まって、後ろを向いた。異形のバイパーは、ガイなど眼中にないかのように突進してくる。

 ガイの手に鈍い光を放つものがあった。細くて薄い刃だ。ガイは突進するバイパーにそれを投げつけた。それはバイパーの眉間に音もなく命中する。しかし、バイパーの動きは止まらなかった。緑色の血を溢れさせて、それでもなお笑いながら向かってくる。さらに、その身体から出た触手がガイ目がけて、ぐん、と伸びた。ガイは横に飛んでそれをかわした。弾みでサングラスが落ち、金色の眼が薄闇の中で光る。触手は続けざまに襲いかかってきた。その中の一本がガイの左腕を捉えた。ガイはぎりっと奥歯を噛んだ。雅也が感じた針で刺されるような痛みがあったのかもしれない。男の本体はしきりに雅也がいる植え込みに向かって走ろうとしているが、触手はガイにさらに絡みつこうとしていて、どうやら触手は本体の意思とは無関係に本能的な動きしか出来ないようだった。

 ガイの左腕にさらにもう1本の触手がからみついた。

 ガイはその左腕を引き付けるようにし、右手に持った刃で2本の触手を断ち切った。 触手は緑色の液体を振りまきながらしゅるしゅると縮んでいった。その隙にガイは植え込みに向かおうとする本体の後ろへと回り込んだ。本体の背中から生えている触手がガイの頸や脚に絡み付く。ガイは美しい顔を歪めながらも本体に細いナイフを突き立てた。丁度ぼんのくぼと呼ばれる部分である。異形の本体は「かはっ」という奇妙な声を上げてその場に崩折れた。だが、触手の方は全く動きを止めずわさわさと蠢いてガイへと伸びてきた。ナイフを持つ右腕を取られ頸を締め付けられ、ガイの顔がさらに苦しげに歪む。そこにタカが急降下した。鋭い嘴がガイの頸に巻き付いた触手を千切り爪が切り裂く。緑色の液体がガイの顔に飛び散った。

「今のうちに、雅也を」

「ああ」

 ガイは左手のナイフで他の触手を断ち、雅也の逃げ込んだ植え込みへと走り出した。


 雅也は植え込みに身を潜めてじっと息を殺していた。心臓がすごい勢いで鳴っている。ガイが言った通り、自分は狙われているのだ。それも、人間ではない何か異様なものに。

 ズボンの裾をめくって触手に掴まれた足首を見てみた。傷にはなっていないが痣のように真っ赤な縞模様が付いていた。

 がさりと眼の前の植え込みが揺れ、雅也はびくっと身を竦ませた。が、そこから顔を覗かせたのはガイで、雅也はほっと息を吐いた。

「走れるな?」

「うん」

 ガイは雅也の手を掴むと、再び走り出した。

 走りながら雅也はグランドを振り返った。真っ暗であまりよく見えなかったが、時折ばさっという羽音が聞こえていた。

「タカ……?」

 走りながら思わずそう呟くとガイはちらりと雅也を見た。

「バイパーを殺すことはできないが、動きを封じることはできる。雅也、きみは何も気にすることはない」

「でもタカが……」

 あんな触手の化け物に猛禽類とは言えタカが一人(?)で太刀打ちできるのだろうか。

「心配してくれるのか?」

 ガイは唇の端を上げた。

「そ、そりゃあ……」

 雅也は口ごもった。まだ何だか夢を見ているような気もしたが、危険を顧みずに自分を助けてくれる者たちがいることは素直に心強かった。しかし、バイパーを倒せないと言うからにはそれは一時の安心でしかない。

「もうすぐローも来る。それに奴は大分弱ってきているからタカだけでも充分だろう。……餌さえ迷い込んでこなければな」

 餌……その言葉は雅也の胸にズキンと響いた。

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