第6話 「無」の復活

「こちらです。普段は研究職の関係者以外は絶対に立ち入ることは許されませんのでどうか内密に……」


 真剣な面持ちでそう言うシアルさんの後ろを俺とイリア、ベルティーナの三人は城の地下へと続く階段を下りながらついて行っていた。


「いったい何処に連れて行くんですか……?」


「……私は現在ある石碑に描かれているルーンを研究しています。アカデミーの調査隊が発見して持ち帰ったものなのですが……着きました」


 シアルさんは俺の質問には答えず、懐から出してきた札を厳重に守られた鉄の扉にかざした。すると扉に刻まれたルーンが光り、扉が開いた。


「……どうぞ。見てもらった方が早いでしょう」


 そう言って中に通された俺は驚愕のあまり目を見開いた。……なにやら文字のようなものが彫られた石版の中心に、先程見た「無」のが大きく描かれていた。


「なっ……これは!? 貴様に刻まれたルーンと同じではないか!」


 そう叫ぶベルティーナの声を無視して、俺の視線ずっとは石版へと注がれていた。そんな俺の様子を見てシアルさんは、


「この石版に描かれたルーンは全く見たことが無いどころか古代文字ロスト・スペルの一覧にさえ載っていませんでした。まずは周りの文字から解読しようと思っていたのですが……」


 と続けるがそんな言葉より俺には別の文章が頭の中に入り込んできていた。


「読める……」


「!? レンさんはこの周りの文字が読めるのですか!?」


「いや、文字そのものを理解しているわけじゃない……この石版を見ていると勝手に頭に浮かんでくるんだ……」

 

 そう言って俺は石版から一切視線を外さないまま、頭に流れ込んでくる言葉を口にした。


――「無」は空虚なる道への入口なり 命なきものを無へと帰すだろう


――「無」は不可侵のものなり 如何なる移ろいを見せようと無は其処に在り続ける


――「無」は万物へと続く道の根源なり 映しこめば何物にも成れるだろう



 石版に記されていることを何故理解できたのか、俺は分からなかった……。



        §



 俺達は疑問ばかりが浮かぶ中、石版の部屋を出て最初の大広間に戻ってきていた。


「おい先程の言葉はどういう意味だ?」


 そう尋ねられても自分でもよく分からない。勝手に頭に文章が浮かんできたのだ。そう返そうとする俺の声はシアルさんの見解に遮られた。


「おそらくそれがレンさんの文字スペルの能力を指し示すものなのでしょう」


 俺の能力……?


「通常文字スペルが刻まれると、読みと一緒に“最初”の使い方が無意識に理解できるものです。しかしレンさんにはそれが無かった。……おそらくそれが無意識に石版の碑文を読めたことに関係しているのでしょう」


 なるほど……。って石版が運よくここに無けりゃ使い方も知らされなかったかもしれないって事かよ。なんとも不親切な文字スペルだ。


「それで、レンさんの能力とは一体……?」


 好奇心を抑えきれない顔で聞いてくるイリア。確か最初の一文は……


「無は空虚なる道への入口なり 命なきものを無へと帰すだろう でしたね。これから察するに……ベルティーナ、ソードを出してくれますか?」


「? まぁいいが……『ソード』!」


 そう唱えたベルティーナの手の中に、先程耳長の人物と剣戟を繰り広げたときに見た、ぼんやりと光る剣が生成されていた。


「あれ? お前の文字スペルってあの何かぐにゃーってなるやつじゃないのか?」


「ぐにゃーって……あれは私のメインスペルだ。こっちはコモン」


 メイン? コモン? 俺が難しげな顔をしていると、イリアが補足を加えてくれた。


「レンさんは外から来たので知らないのでしたね。文字スペルには二種類あるのです。私の『召喚』やベルティーナの『遅』のようにスペルスタンプによって与えられるものはメインスペル。そして誰でも使える簡単なスペル、いわゆる公用語と呼ばれるものがコモンスペルです」


「この剣は公用語コモンスペルソードによって私の魔力を元に作られたものだ」


「なんだそんな便利なものがあるのか」


「それが一概にそうとは言えません。確かに公用語コモンスペルは便利ではありますが性能は初級レベルのもので、戦闘において主軸にするにはかなり使い込まないと実用的ではありません。さらには、戦闘で敵を倒す事でしか成長しないので、極小の出力で敵を倒す必要がある最初の第一歩が非常に困難なのです……。それにメインスペルは自分の魂と結びついているのでごく僅かな魔力で発動できるのですが、公用語コモンスペルは万人用に作られているので魔力消費も多くなっています」


「そうだ。この剣も本物より性能は低いし、一定時間で消える。なので主に戦闘に魔力を使わない生活職の人々が使うのが主流だな。ファイアで料理をしたりウォーターで飲み水や生活用水を確保したり。まぁ戦闘に使えるものもあるにはあるので私は緊急用に訓練してはいるがな」


「なるほど……。メインスペルが外れだからといって詰むわけじゃないんだな」


「生きる分にはな。どんな文字スペルも使い方次第だ。戦闘以外の職も沢山あるのだから。……それでこの剣をどうするのだ?」


 ベルティーナは剣を作らせたシアルさんに尋ねると、


「レンさんに渡してください」


 と、返ってきたのでベルティーナは俺に剣を渡してきた。


「レンさん、貴方には既にルーンが刻まれています。つまりもう『無』を使える筈です。……その剣を消そうと心に念じてみてください」


 俺は言われた通りに手の中にある剣に向かって消えろと念じてみた。すると、頭の中にパズルがカチッとはまる様な感覚がした後に、


――パリィィン


 まるでガラスが砕け散る様な音が響いて、持っていた剣が跡形も無く消えた。これは……!?


「『――無は空虚なる道への入口なり 命なきものを無へと帰すだろう』。 これはレンさんの一つ目の能力、無生物を消す力の事を指していると思われます」


「「無生物を消す!?」」


 淡々と答えるシアルさんとは対照的に、驚く俺達三人の声がハモった。確かに剣は消えた。残骸さえも残さずに……。だとするとこれはなかなか使える能力じゃないか? いいもの引き当てたぜ……ん?


 俺の頭の片隅に少し引っかかりを覚えつつも、次の質問に気をやりそれをどこかへ追いやった。


「2つ目の文は……『無は不可侵のものなり 如何なる移ろいを見せようと無はそこに在り続ける』でしたね。これは……」


「これは恐らくレンさん自身に掛かる能力……“状態異常の無効化”かと」


 スラスラと解釈を述べるシアルさんに俺は感心した。この人学者だけあってめっちゃ頭良さそう。


 そんなことを考えていた俺に、シアルさんは驚愕の事実、いや吉報を届けてくれた。


「先程から……いや、レンさんにルーンが刻まれてからというもの、私の文字スペルでレンさんの心が読めなくなっています」


「何だと!?」


 驚くベルティーナを他所に、俺は心の中でガッツポーズをした。これ以上黒歴史を掘られる前にシャットアウト出来たのは僥倖だ! ……既に手遅れな気がしないでもないが。


「私の文字スペルは正常に発動しているので、恐らくタイミング的にも間違いないかと……」


「シアルの文字スペルから逃れるとは……これでもこの国一番の使い手だぞ……? 王都警察の精神保護メンタルガードでさえその気になれば貫通する事が出来るというのに……」


「これでもとは何ですかこれでもとは」


 わかるぞベルティーナよ。シアルさん、堅いように見えて意外と茶目っ気がある気がする。


「レンさん? 何か良からぬことを考えている顔をしていませんか?」


 ……本当に心読めてないんだろうな? 俺がシアルさんの笑顔に僅かばかりの恐怖を感じていると……


「それで三つ目は……!?」


 好奇心MAXなお姫様が尻尾を振りながらこちらを見ている。えーっと三つ目は確か……


「『無は万物へと続く道の根源なり 映しこめば何物にも成れるだろう』。……どういうことだ?」


 俺は首を傾げてシアルさんを見ると、


「これは……どういうことなのでしょう?」


 ガクッ。俺達三人はズッこけた。


「今のところ該当する能力は見受けられませんし……おそらくこれから過ごしていく上で理解できるのではないでしょうか?」


 ……さっきの件から急に冷たくなってないか? シアルさん。


「とにかく難航するであろう石版の研究が大幅に進んだのです! 私は早くこのことを書に纏めたくてたまりません」


 急に研究者の血が騒ぐシアルさんに若干気おされながらも俺はこれからの事を考えた。


「えーっと……とりあえずギルドって所にいって登録してもらえばいいんだよな?」


「そうですね。文字スペルも手に入ったのでスペルカードを作ってくれるでしょう」


「スペルカード?」


「冒険者としての身分証明みたいなものです。メインスペルと、習得したコモンスペルが記されてゆきます。……作ってもらえるのはいいですがもうこんな時間ですし今日はもう閉まっていると思いますよ?」


「え」


 召喚されてから時間間隔が狂っていたが、そんなに時間が経っていたのか……?


「というより私が夜に呼んでしまいましたから……」


 マジかよなんてこった。異世界生活一日目にして宿無し……? 俺が沈んでいるとイリアが、


「ということでそんな時間に呼んでしまった私に責任があるわけです!なのでここは私の部屋でお話、もとい寝床を貸し与えるのがこの国を治めるものとしてのしめ……」


「なりませんっ!!!」


 本日一番のベルティーナの怒号が響き渡った。

 


        §



「ここをお使いください。客室です」


 シアルさんに案内された部屋はとても急な来客用とはいえないほど豪華なものだった。


「いいんですか? こんなとこ……」


「まぁ一日くらいなら大丈夫でしょう」


 そんなことを言いながらシアルさんは小さな布袋を俺に渡してきた。


「冒険者登録用のお金です。少し余裕もあると思います。……明日にはテレポーターがドーターに飛ばしてくれる手筈となっております。文字スペルが強力といってもレンさんはおそらくレベル1でしょうから、しばらくは始まりの街を拠点にするのがよろしいかと」


 ……至れり尽くせりなサポートに俺は柄にも無く胸が熱くなった。


「ありがとうございます!」


 頭を下げる俺にシアルさんは、


「……いいんですよ。『無』の件もありますし、姫様の“心”も埋めてくださったようですから」


 シアルさんは儚げに笑った。


「王女とはいえまだ十歳……日々の教えと二文字ロイヤルスペルの重圧に、あの子は息苦しさと寂しさを感じていたのですね……。不敬ゆえ、王族達の心を読んだ事はありませんでしたが……文字スペル無しでもあの子の心に気づくべきでした……。私もまだまだですね」


 吐き出すように小さく呟いたシアルさんは一瞬悲しそうな顔をしたと思いきや、すぐに柔らかな笑顔に戻った。


「それより、三つ目の能力のことで何か分かったらすぐに教えてくださいね! 王城宛に手紙を書けば私にも届く筈ですから!」


「は、はい」







――ひとりになった部屋で俺はベッドに転がりながらこれまでの事を思い返していた。


 転生。文字スペル。イリア。ルーン。ウサ耳。「無」。 ……


 これからこの世界で生きていくのか……。色々な事が頭の中をぐるぐる回っていた俺は、無意識に疲れていたのかいつの間にか夢の世界へ旅立っていた。……明くる朝、また捕まってしまう事とは露知らず…。

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