第9話 雑草畑

多田野翔太が帰った後、ワシは更衣室に行く。中古屋で買った作業服をリュックに入れる。マウンテンバイクの自転車に乗って、橋の近くのコンビニに停めた。鮭のおにぎりを4つ買った。近くの自動販売機でコーヒーの無糖を2つ買う。コンビニの外で、スーツの上着と作業服を着替えた。橋の下に行くと、そこに1人の男性のホームレスがいた。橋の上には今も多くの車が通っている。エンジンの音がそこかしこで聞こえた。隣にいる事で耳の機能がようやく使う事が出来た。

「一緒に飲まないか?寒いだろ」

「本当にいいのか。神様。ありがとう。ありがとう。ありがとう」

「後、おにぎりも買ったんで一緒に食べましょうよ」

「神様。ありがとう。貴方様こそが救世主です」

「その変わり、隣に座ってもいいか?」

「どうぞどうぞ、2人の方が落ち着きます。さあさあ、救世主。草ぼうぼうですけど座って下さい」

「つまらない話を聞いてくれるか?」

「コーヒーを飲み終わっても、話は幾らでも聞きますよ。話す事が昔から好きなんです。昔って言っても、すごい昔になりますがね」

「失礼かも知れないが、歳を聞いていいか?」

「もう70歳ぐらいになったかな。いや、65歳ぐらいだったかな。でも、あまり気にしてない。こんな感じになってからはカレンダーもロクに見ていませんから」

「ワシはもうすぐ50を越えるんだ。貴方とはいろんな話が聞けそうだ。だが、忘れない内に先に話させてくれ。今日、出来る部下が自分の職場に来たんだ。自頭が良くて、ワシや他の社員が今まで苦労した事をやすやすと超えていくだろう。それを見ていると、自分の存在価値が消えていく感じがしたんだ。ワシもその会社で生き残る上で会社の為に成果や業績を上げていたんだ。でも、彼はやすやすと超えていくだろう。自分の上位互換が同じ場所にいる。それが1番怖いんだ」

「その出来る部下さんはどんな性格ですか?」

「優しく、真面目で、後は…金の使い方がとっても上手い」

「私の近くにそんな人がいたら、もっといい人生が送れたかも知れません」

「一言余計な事を言ってしまった。すまない」

「いいんですよ。正直に言ってくださってありがとうございます。でも、その出来る部下は貴方様と一緒にいるべきだと思いますよ。そうする事で救世主も出来る部下も成長出来るはずです。こんな私が言うのも烏滸がましいですね。すいません」

「いや、いいんだ。話を続けてくれ」

「私の一番最初の職業は漁師でした。私が若い時はまだ気性が荒かった。船長の言う事の全てがムカついていました」

漁師は辛い事ばかりだ。その辛さが顔のシワを作る。厳しい親父が仲間と捕れた魚を食べる時は笑顔だった。いつも泣かない親父が唯一泣く場面だ。そこでやっと漁師は報われる。親父は仕事柄、家にいる事が少ない。食卓では親父の仲間の話ばかりを聞かされていた。話す内容の9割は悪口だ。だが、1割は良い所を言っていた。その時の顔は本当に笑顔だった。眉間にシワを寄せる事はなかったが、ほうれん線のシワは凄かった。

「船長の名前は覚えているのか?」

「名字しか覚えていませんけど、確か三島っていう名字だった気がします。それがどうかしましたか?」

「いや、気になっただけだ。漁師をやっていたって事は島の出身の人間も多いだろ。島の出身の人間は名前が特徴的な人が多い。具志堅ぐしけんとか、比嘉ひがとか、金城なねしろとか、大城おおしろとか」

ワシが今言ったのは親父の仲間の名前だ。

「いましたよ。救世主が言われた名前の人、全員その時にいました」

「でも、なんで漁師をやめたんだ?」

「船長がうるさかった事と船長が可愛い女性と結婚したからですかね」

母親は他の女性よりも可愛かった。それは事実だ。当時、母親は小町と呼ばれるぐらいに町の男性も女性も人気があった。

「前者はまだ分かるが後者も理由に入るのか?」

「船長は船長の妻や子供の話題をよく話す事が好きでした。実は私もその時結婚していた。でも、私の妻は子供が産めない病気を患っていました。その事を知らない船長は自分の子供の自慢ばかりを言っていた」

「貴方の妻の病気の事を船長に言えば良かったのではないか?」

「船長に言ったら言ったで面倒だから言わなかった」

「貴方の妻はどうしたんだ?」

「子供を産めない病気を知った後に、わたしのいない隙に自分で崖から飛んでいきました」

「止める事は出来たのか?」

「止める事が出来ませんでした。妻が目を開く事はもうありませんでした」

「それは可哀想に…」

「その時から私の生活は狂っていきました」

「誰だってこんな事が起きれば狂うだろう」

「私は自分の妻に先立たれてしまいました。自分の妻には迷惑掛けない様に先に逝きたいと思っていたのですが…人生ってのは苦の連続である事を身を以って感じました」

「でも、今貴方は生きている。死ぬという選択肢も出来ただろうに」

「私が死んだって物語ではないのだから、自分の妻に会う事が出来ない事くらいは分かっていた。自分の妻はきっと、私が新しい女性と一緒に生活して楽しんで欲しいから自ら死んだんだ。だから、私は死ねなかった」

「今、死ぬ事と生きる事、どちらが怖いか?」

「生きる事ですかね。生きているだけで多くの責任が押し付ける。私に死ぬ選択肢を選ぶ事が出来れば、もう死んでいるだろう」

ワシは缶コーヒーを飲み始めた。温かい缶コーヒーを買ったのに、夜風で冷たくなっていた。冷たく苦いその味は人生に似ていた。この味は私達を苦しめる。鮭のおにぎりを食べる。鮭が美味しい。この鮭も漁師がいなければ、食べる事が出来ていなかった。2つの鮭のおにぎりを食べ終わって、コンビニのレジ袋に入れる。缶コーヒーに再び口をつける。缶コーヒーを飲み切る事で成長出来た気がした。苦味は口いっぱいに広がった。その味が口に染み込む。後味が最高に苦い。近くの川の水を飲みたいくらいだ。

「貴方は漁師をどうやって辞めたんだ?」

「私はその時も漁師として漁に行っていました。いつも通り、船長は船長の妻と子供の自慢をしました。その時、激しい雨に襲われました」

「船にいた人達はどうしていたんだ?」

「船にいた全員が自分の役割を真っ当にやっていました。若かった私はそんな人々を助ける事はせずに小船に乗って逃げました。その後で知ったのですが、その船は沈没し、船にいた全員が死んだ事をラジオで知りました」

「船長はいい人だったか?」

「私以外にはいい人でした」

ワシは自業自得だと思った。親父は仕事は出来るが倫理的な発言が出来ない。大切な何かが欠落していた。親父が殺されたのに、気持ちは穏やかなままだった。

「もう1つ聞きたい」

「いいですよ」

「船長が死んだ後、貴方はどうしたんだ?」

「私は小船から陸に戻りました。ですが、生きていく事を辞めたいとも思っていました。多くの人生を変えてしまった。これを私が死ぬ事の理由にしようとしました。私の妻は私と結婚した事によって死を選びました。私も崖から飛ぼうと考えました。でも、実際崖の上に立ってみると、飛ぶ勇気が私にはありませんでした。そこに、船長の妻が来ました。船長の妻は船長が死んだ事は分かっていたのですが、私が自殺する事を止めました。私は船長の妻を何故か抱きしめてしまった。その時、私は船長の妻を私の第2の妻にしたいと思いました」

「その後はどうなったんだ」

「いろんな事を忘れたくて酔う程に酒を飲んだ。私は船長の妻にも酒を勧めました。でも、船長の妻は酒を飲まない性格だったんだ。頑なに断っていました」

ワシの母親は酒を飲む。毎日酒を飲まない時がなかった程、母親は酒を愛していた。そんな記憶がある。

「酒を飲まない女はいけないのか?」

「女が酒を飲む事でもっと可愛くなる。昔の私はそう考えていました」

「今はどう考えている?」

「今はそう考えなくなりました。大切なのはありのままの可愛さだと気がつきました」

「その後、貴方はどうしたんだ?」

「酒に酔っていた私は理性を保てませんでした。気がついたら、船長の妻の体で楽しんでいました。そうしていると、船長の妻は意識を失っていた」

「そんな事を船長の妻が受け入れたのか?」

「受け入れはしなかった。船長の妻は、もう1人子供を授かっていた。それを何回も言っていた」

「頑なに断っていたのに貴方はそんな事をしたのか?」

「私はやってしまった。可愛い女性がそこにいるのにやらない理由が見つからなかった」

「その後…貴方はどうしたんだ?」

「あまり覚えていませんが…」

「どうしたのかって聞いてんだろう」

苛立ちを隠せない。本能が大声で言った。もしも、母親が酷い事をされていたらと思うとワシは黙っていられなかった。私は事実を知っていた。その事実を自分以外の口から言った。

「…崖から落とした」

「何人殺したんだ?」

「合計6人殺した。子供も含めれば7人殺した。救世主は人間を殺した事はありますか?」

「…ある。約3年前に1人殺してしまった」

「誰かに頼まれたのですか?」

「その人が殺して欲しいと頼まれたから殺してしまった」

「救世主はいい人ですよ」

「なんでいい人って思ったんだ?」

「きっと、殺していなかったら、私の様に暴走していたでしょう。救世主は英雄ですよ」

「ワシみたいなのが英雄なのか?」

「私は子供の頃から特撮が好きでした。正義が悪党と戦う。そこで悪党を倒せても、悪党は生まれ続ける。正義は悪党を断つ方法はないと分かっていても戦い続ける。私も憧れて正義を貫こうと思っていました。でも、この社会には悪党の方が多い。それを知ってしまった私は悪党に寝返ってしまいました。悪党になると世界は異常な程に上手く進んだ。綺麗事で生きていく事が馬鹿馬鹿しくなりました。でも、異常な程にその時間は短かったのです。いろんな悪い事をして稼いだ金を使って都会に行った。都会は楽しい事が多くあった。風俗で遊んだり、ギャンブルにハマったり、これこそが生きているって感覚だった。でも、その時間はあっという間になくなって、今もこうしてホームレスとして生きています。町の空き缶を拾って金に変えて生活しています。昔、この場所には多くのホームレスがいました。でも、私以外のホームレスは全員姿を消えてしまいました」

「何故、他のホームレスは姿を消してしまうんだ?」

「自分が死ぬ所を見せたくないのでしょう」

「その人達を止めなかったのか?」

「止める事が幸せでは無いと思ったからです。私ももう少しで消えるでしょう。その時、救世主は止めますか」

「救世主だから止める。俺ももうおっさんだが、お金だけは持っている」

「私達の様な人間にお金を下さっても、ドブに捨てるのと同じですよ」

「ドブに捨てる事になっても、俺は人間を救いたい」

「救世主は本当に英雄ですね」

「両手を出して目を瞑ってくれ」

ワシは胸の内ポケットから名刺入れを取り出す。多くある名刺の中から手前の名刺を1枚取り出す。名刺入れを胸の内ポケットに戻した。名刺を左手に持ちながら、右手でズボンの右ポケットから財布を取り出す。財布から1万円札を取り出す。財布をズボンの右ポケットに戻すと、1万円札を半分に折る。鳳凰が見える方を上にして、名刺を挟む。ホームレスの右手にそれを置いて、ホームレスの左手でそれを隠す。

「10秒経ったら目を開けてくれ。もし、良かったらそこに書かれている場所に来て欲しい。明日は忙しいから明後日以降で頼む。10、9、8…」


救世主の声は遠くなっていく。私のカウントダウンが0になった時には救世主はもう見えなかった。右手に置かれた物を見る。そこには1万円札と名刺があった。名刺を見てみると私立探偵事務所『ミステーロ』という文字が見えた。もう1度周りを見て救世主の姿を探す。でも、闇が広がっていて救世主の居場所が分からない。立ち上がって歩こうとすると躓きそうになった。足元を見ると救世主が飲んでいた缶コーヒーが空で置いてあった。私は笑ってしまった。笑った時に顔が痛くなった。笑う事がなかった私は筋肉痛になってしまった。筋肉痛のせいなのか、思い遣りのせいなのか、私は涙が止まらなかった。もう1度、名刺を見る。救世主の名前は三島弘だった。船長がよく自分の子供の事を弘と言っていた。私は罪の重さを再び味わった。でも、その罪を救世主は労働によって償えと遠回しに言った。私はもう英雄になれない。普通の住民でもない。社会という見えない牢屋に閉じ込められていた。そんな私を牢屋から解き放ったのは普通の住民だった。助けてくれた住人を私は英雄だと思った。社会はこの英雄の行動を批判するかも知れない。社会に批判されてでも英雄は私と共存する道を選んだ。英雄はどんなに弱い者も見捨てなかった。


今日は多田野君が初めて事件を解決する日。今日という日の為に多くの時間や人材を費やして、作戦を良い状態にしてきた。必ず成功させる。そう高田君にも、お父様にも言っている。期待を裏切る訳にはいかない。相手は社長の息子だ。私の様な貧乏人には興味はないのかも知れない。でも、絶対に作戦を成功させてやる。そう思わないと、作戦を成功させる事は出来ない。初めて多田野君と会ったのは高校3年生の学級委員になった時だ。これが全ての始まりだった。多田野君は私の人生を良くしてくれた。だからこそ、次は私が多田野君を人生を良くする為に支える。私の2番目のお父様がいなければ、この作戦をする事も出来なかった。約3年ぐらいの付き合いしかないが、私は1番目のお父様よりも好きだ。理由は優しいからだ。そんな事しか言えない。でも、それだけでも私の1番目のお父様よりも好きな事は事実だ。私は期待に応えたい。昨日の支度と殆ど変わらない。変わったのは、スーツから可愛い服に、靴も革靴からスニーカーにして、可愛い身なりになった事だ。この身なりにする事で、ストーカーを惹きつける役割がある。ピーチジュースになった気分だ。可愛い服を着れば何でも出来る気がする。今日は大学に行く日だ。正午に大学が終わる。今までと何も変わらない。その後は、昨日の様な楽しい時間だ。でも、高田君と戦う日でもある。どっちも傷ついて欲しくない。誰かが傷ついたら、私まで傷ついてしまう。自分のマンションを出て、大学に向かって歩く。今日の午後に起きる事の不安から歩幅が狭くなる。呼吸も乱れてきた。いつもと何も変わらない通学路なのに何故か大学が遠く感じた。午後に起きる事の不安とストーカーに追われる不安は似ていた。ストーカーに追われる身なら歩幅を広くしてでも走るべきなのに、体が思う様に動かない。私はストーカーに追われている気分になってしまった。何故か焦ってしまう。辺りを必至に見ながら必至に歩く。私はなんとか大学に着いた。騒がしい程に人間が多くいる。私は実は静かな所が嫌いなのかも知れない。この大学に多田野君がいてくれたら、公共の場所でも後ろからハグしてしまう。それ程、怖い。ストーカーから追われた人間の気持ちは人間不信に陥る。そんな時に、愛する人間がいないと心配で側にいてくれないと死にそうな気分になる。死に物狂いで高田君にメールする。指が震えながらメールを打って送信する。高田君は嬉しい事に返事が早い。

「今、高田君は何処にいるの?」

「どうしたの。芦田さん、今西口から大学入った所だけ」

「いつもの階段に来て」

「西口から入ったのに東口の階段はちょっと遠いですね」

「1生のお願い」

「芦田さんのお願いだったら行きますよ」

「ありがとう。待っている」

私は急いで3階から4階の東口の階段に行った。まだ、高田君は来ていない。不安が私をさらに襲う。怖くなってしゃがんでしまった。すると、下から声が聞こえた。

「芦田さん、大丈夫ですか?」

私は怖くて声も出ない。心配した高田君が私の横でしゃがみ、私を見る。

「芦田さん。安心して、何処か痛いの?」

私は首を横に振った。今は何も頭の中に入らない。ただ、優しい声で高田君が問いかける。

「今日の事で変更か何かあるの?」

私は再度首を横に振った。そうすると、もう一度、優しい声で多田野君が問いかける。

「ストーカーがいるとか思っちゃったの?」

私は首を縦に振った。高田の右手は私の背中を撫でる。

「大丈夫だよ。芦田さんを困らせる人は俺が倒すよ。今日は敵の役になるけど、いつも君の味方だよ。それは役なんかじゃないから安心して」

「ありがとう。気分が良くなってきた」

「しっかりしてください。今日は多田野君が待ってくれているんですから」

「もし良かったら、高田君も1生のお願い、使っていいよ」

「だったら、一緒に階段を降りよう。それが僕の1生のお願い」

私は一緒に階段を降りた。私と高田君は違う学部だ。高田君は医学部だ。将来の選択肢の1つとして、カウンセラーになりたいらしい。私は良いカウンセラーに相談出来て良かった。

「ここで別れてしまいますけど、1人で大丈夫ですか?」

「はい。大丈夫です。今日の午後もよろしくお願いします」

「ああ、任して」

そろそろ授業が始まる。急いで席に着いた。今日も学ぶ内容が変わっただけの授業。他は何も変わらない。長い話がお経の様に聞こえる。だか、そのお坊さんは私達を見ながらお経を唱えている。出来れば、黒板の方を見てもらうと私達も寝る事が出来る。唯一、お坊さんが黒板の方を向いたのは授業が終わった時だった。気がつけば、もう正午だった。授業の間にアナログ時計の長針が何周回っただろうか。この間にも世界では仕事している人が大半だろう。今を頑張っている人間に両手を合わせて拝んだ。教室を出ると高田君が待っていた。

「さっきの授業は大丈夫だった?」

「はい。おかげさまで」

「これから頑張れますか?」

「はい。今日という日を待ち望んでいました。今、頑張る事が出来なかったら、ずっと後悔すると思うんです」

「なら、気合い出して頑張ろう」

私が正面玄関から出た。私の目に映る景色にあるショッピングセンターが見えた。そこにパーカーを着ている人が立っている。この背の高さと体のスタイルを見たら、顔を見なくても多田野君という事が分かった。多田野君も今は不安でいっぱいだろう。でも、私の2番目のお父様は優しい。きっと、その不安もなくなっただろう。私の2番目のお父様も職業柄、緊張はないだろうが、不安でいっぱいだろう。私の1番目のお父様、見てて下さい。私は勇気を持ってこれからの人生、多田野君に全力で尽くす。そう誓う。私がベンチに座ったら、ゲームスタートだ。私はそのままベンチに座った。ゲームがスタートした。多田野君は高田君を必死に探す。私は高田君にメールをする。

〈用意が整いました。正面玄関から来てください〉

〈はい。今行きます〉

革命が起きる。強い風が私を襲いかける。6月なのに季節外れの台風が迫ってくる。でも、もう大丈夫。すぐ側に多田野君も高田君もいる。今なら私は進化する事が出来る。もう1ランク成長出来る。多田野君からメールはまだ来ない。後は、私と私の2番目のお父様に送るだけだ。正面玄関から出ていく全ての人間が笑顔だった。今から私が正念場だというのに人々は笑顔で去っていく。でも、そんな事で羨ましいと思わなくなった。私達もあともう少しで笑顔になれる。私達全員が笑う時がもう近い。革命が起きる。高田君が正面玄関から出た。多田野君は2人にメールを送る。私はメールの内容を見ないでベンチから動き出す。さっきと違う光景が見えた。それは多田野君の姿がショッピングモールにいなくなった事だ。でも、もう怖くない。私には高田君もいる。今頃、多田野君は急いでエレベーターに乗って降りているだろう。私の2番目のお父様は区画整理された道で待っている。私が信号を待ちをしている間に高田君からメールが来た。

〈順調に事が運ぶ事が出来て良かったですね〉

〈あともう少しです。全員で笑顔になりましょう〉

〈はい。革命を起こす為にもう少し頑張りましょう〉

多田野君は私に近づく様に小走りになる。私の後ろに高田君がいた。信号が変わり私は区画整理された住宅地に行く。もう少しで、私の2番目のお父様にも会える。革命はもう成る。高田君も私に続く。多田野君は気がつかない様に2人から離れて歩いている。私は私の2番目のお父様が待つ所を左に曲がる。私に代わり、パーカー姿の私の2番目のお父様が出て来る。高田君は焦って後ろを振り向く。仕事柄、演技がとても上手い。多田野君と高田君は目が合った。


今日は事件を初めて解決する日。今日という日の為に多くの時間を費やして、作戦も肉体も良い状態にしてきた。必ず成功させる。そう芦田にも職人にも言っている。期待を裏切る訳にはいかない。そう思わないと、成功させる事は出来ない。初めは、予備校のお金を自分で出したいと思って、私立探偵事務所『ミステーロ』でバイトをした事。これが全ての始まりだった。初めての依頼人は芦田だった。芦田は昔、俺を助けてくれた。だからこそ、次は俺が芦田を助ける。そう誓ったのだ。また、職人兼面接官兼教育係兼運転手兼ボクサー兼講師etc.である三島上司がサポートして頂いたから、ここまでやってこれた。何者にでもなれる人は一緒に仕事をしていて、とても助かる。また、色々な一面が見れて本当に面白い。絶対に成功させてやると三島上司は言ってくれた。だからこそ、俺は期待に応える。そう誓ったのだ。昨日の支度と殆ど変わらない。変わったのは、スーツからパーカー、靴も革靴からスニーカーにして、運動しやすい身なりになった事だ。昨日コンビニで買った物をお洒落なリュックの中に入れる。心は戦う気満々だが、体は休日の若者だ。幾らこんな格好をしても仕事である事に変わりない。一つ一つを指差し確認をしてから職場に向かう。こんな格好でいつも行くのは予備校かコンビニくらいだった。今では私立探偵事務所『ミステーロ』までこの格好で行く事になるなんて考えもしなかった。でも、これは成長した証であると芦田は言う。その証が偽りになるのが怖かった。私立探偵事務所『ミステーロ』に着くとパーカーの姿の人間がもう1人いた。職人もパーカーを着ていたのだ。

「この日の為に前日に買い物を済ませておくとは、出来るな」

「当たり前の事をしたまでですよ」

「これが出来る人間は会社にとっては嬉しい限りだ」

早速、現場に向かう。いつも通り、車の座席は決まっていて、俺は後部座席の右側に座る。運転手は前の左側の運転席に座る。そして、車は昨日行った場所に動く。

「学校ってなんだかんだ言って楽しかったよな。大人になったら、働く事で自分の時間が殆ど無くなる。人間はって言うんだよ」

「三島先輩は出勤日と休日、どっちが楽しいですか?」

「俺はまあ、出勤日の方が楽しいと感じている。別に、他の会社とか比べて生きている訳では無いから、競争とかで悩む事は無い。休日になると何していいか分からなくなる。若者達がワイワイしている所にいい歳したおっさんが行っても、周りが困る。だが、いい歳が集まっている所は大体が死を待つ白い巨塔病院一面緑と池の場所ゴルフしか無い。だから、家で推理小説を読んだり、家の周辺をジョギングしている。まあ、推理小説の様な事は働いてから今まで数回しか無かった。推理小説なんて最後まで読まないと面白いか面白くないか分からない。高齢者がよくゴルフをする事があるが、結局はその中で今日は誰が優勝したかや自分の以前のスコアを比べているだけで、やっている奴がもういい歳なんだから勝って嬉しいのかって思う。貰えるもんだってビールが出ても、もう体が受け付けないだろうに」

「でも、今でもありますよ。同じくらいの年齢の人はゲーセンに行って楽しんでんだろうけど、楽しいのかなって思う時があります。そんな事で人生を満足するなら、仕事を熱心にしている人の方が満足出来ますよ」

「なんか最近、休みの日をどれだけ充実させるかで雑誌とかは特集しているが、1番充実させる事は仕事だと思う。実際に働いている人は週40時間働く。人によって個人差はあるが、別に他人より上手にやれとか言う訳では無いが、自分に1つでも決まりがあったら、仕事も良い方向に変わってくると思う」

「仕事をしている時は仕事って考えがちですが、休日何をするかで仕事の価値がガラッと変わると思います。時代と逆行していますが、休日は出勤日の延長上だと思う事が大切なのかも知れません。この国の為に人間はどんな事をするのが求められているのでしょうか?」

三島先輩と話していると有料駐車場が見えてきた。今日も有料駐車場が存在している。

「変わらないって凄い事ですよね。毎日、この有料駐車場が駐車場であるって事は、人が秩序を守っている事でもある訳で、人がルールを守り出したのはいつからなんでしょうか?」

「ルールは罰があるからこそ成り立つ。罰を実行して人間は罪を行う事を辞めるんだ」

「では、初めて罪を犯した人間はどんな考えで罪を犯したのでしょうか?」

「誰だって英雄になりたくて対抗する。革命を起こした人は全てその意志があって起きた」

「では、革命が成功したら、革命を起こした人々をどうするんですか?」

「俺たちは警察でも裁判官でも無い。だから、法で裁く事は俺達には出来ない。そんな人間は捕まっても構わないのかも知れない。もし、捕まらずに更生する道があるなら捕まる必要はない。だから、俺達がいる」

三島先輩はこの国の法律を良く思っていない。革命の指導者である三島弘は探偵という職業でこの国を良くしていく。それが職人が行うレジスタンス運動だ。指導者を主君とすると俺はその革命の指導者を支える1人の家臣だ。革命は後の歴史を変える。歴史のページを変える瞬間だ。その責任が俺達にはある。

「時は満ちた。それぞれ配置に着くぞ」

「分かりました。三島先輩」

これでもう後戻りは出来ない。歴史のページにいずれ載る事をする。今ではなくとも10年後、100年後かも知れない。でも、歴史は大きく動く主要動が起きるまでに小さく動く初期微動が起きる。その初期微動を動かす俺達はいつ起きるか分からない主要動の為に俺達は命を懸けて革命を起こす。昨日行ったショッピングモールをまた今日も行く。エレベーターに乗って屋上へ向かった。今日は1人だ。今頃、芦田は大学で座って学んでいる。俺はエレベーターで屋上に行っている。やっている事も姿勢も全く違う。でも、これから起こる革命の為にもう一度集う。その時には、高田を俺達で事情を聞き出す。それで解決して再び笑顔になる。革命は全員の笑顔の為。主君の野望を果たすのは家臣の役目。エレベーターから見た景色は昨日よりも青い空が見えていた。この城の城下町は静かだ。今頃、多くの人間は働いている。所定の場所で大学を見る。芦田と高田の2人が来る前に昨日コンビニで買った食べ物を食べる。これが最後の食事になるかも知れない。外の風が心地いい。こんな場所で食べれた事が嬉しかった。アナログな腕時計の針はその時間に近づくにつれて早くなっている感覚になる。でも、一定の速さで回っている。俺は体を動かしてその時間を費やす。戦う準備は整った。今ならアクションスターにだってなれる気がした。芦田が正面玄関から出てくる。芦田はそのままベンチに座った。高田が正面玄関から出る所を必至に探す。まだ来ない。メールはもう打ってあるから、後は芦田と三島先輩に送るだけだ。正面玄関から出ていく全ての人間が笑顔だった。その中で1人笑っていない人間がいた。そいつは高田だった。俺は芦田と三島先輩にメールを送る。芦田はベンチから動き出した。俺は急いでエレベーターに乗って降りる。エレベーターから出て、外を見ると芦田が信号を待っているの姿が見えた。俺は芦田に近づく様に小走りになる。芦田の後ろに高田がいた。信号が変わり芦田は区画整理された住宅地に行く。高田もそれに続く。俺は気がつかない様に2人から離れて歩く。芦田は三島先輩が待つ所を左に曲がる。すると、三島先輩が出て来る。高田は焦って後ろに振り向いた。俺と目が合う。

「話をしよう。この世界を変える為に」

「俺が革命の指導者である三島弘だ」


高田君は笑っていた。高田君の夢は何者にでもなれる俳優だ。ドラマや映画、舞台で監督の満足する演技をいつもしている。そんな俳優を特別席で見る事が出来る。6月なのに炎天下の様に暑かった。1流の俳優は天気でさえも自在に操る事が出来る。同じ時代に凄い人間と生まれてきてしまった。


高田という人物に会った。それは即ち事情を聞き出す事をしなければならない。どう反応して来るか分からない。素直に話すかも知れないし、暴挙に出るかも知れない。まるで、刑事ドラマで見た人質を説得する様な場面。それに近かった。でも、今は人質もいないし、2対1だ。勝算の方が多い。話をしてみる。

「前の女性とは知り合いですか?」

「ああ、そうだけど。あんた達は誰だ?」

「俺達は探偵さ。女性から依頼を受けていてね。実は君の事を女性はストーカーと思っている。今なら、謝ってくれたらそれでいいし、逮捕する訳でも無い。誤解だったら、俺達が謝る」

「やってたさ。ストーカーやってた。どうもすいませんでした。これでいいっすか」

「でも、何故、そんな事をしたんですか?」

「相手は何も言ってこなかったから、やっていただけだよ」

「あんたは女性がどんな気持ちで依頼したか分かってんのか。あんたには田中愛梨である彼女がいた。なのに、なんで別の女性にストーカーしていたのんだ?」

すると、マンションの奥から女性がいきなり言葉を発する。

「もういいよ。高田君。お父様。もう胸が痛いの」

「芦田さん。後はどうぞご自由に」

「娘よ。言ってみろ」

俺は何が起きたか理解出来ない。

「あのね。多田野君。今なんでこんな事になっているのかと言うと、私が全て計画してやったの。多田野君が私の父である私立探偵事務所『ミステーロ』に来てくれて、やっと久しぶりに会えるのかって思って、でも、こんな事でもしないと私に見向きもしないのかなって」

「別に、いつだって会えたら声をかけていたよ」

「あの時、多田野君も同じ大学を受けていて、でも、結局はこの大学にいなかった。何処か違う所に行ったのかなって思うと胸がいつも苦しかったの。会いたいのに会えない。こんなに辛い事は生まれて初めてだったの。高校3年生の時しか私達は会っていない。でも、とても充実していた。また、大学でもあんな楽しい関係になれたらって思ってたの」

「あの時、実は体調を崩して、大学受験をする度にその症状になるんだ。だから今、浪人生だよ。確かに、テストの掲示板では上位だけど、俺の体は本番に弱いんだ。だから、予備校に入って勉強したの。それが2年目になって、社長の息子でも自分で働きたいと思った。そこで得られる経験を大切にしていこうって思った」

「でも、こうして会えて嬉しかった。それは変わらない」

「俺も芦田さんに会えて高校の頃の事を思い出せた。働く前は高校の事なんて考えたくも無かった。でも、芦田さんは高校の時の俺の頑張りを見てくれていて、支えてくれていた。それが何よりも嬉しかった。もし良かったら、これからも俺をサポートしてくれないか。1人では生きていけない気がするから」

「勿論。いつでも側にいるから」

こうして、無事に事件を解決する事が出来た。三島先輩は芦田の父であった。元々別の夫がいたが肺がんで亡くなってしまって、再婚した相手が三島先輩だったのだ。再婚って言っても事実結婚だから、厳密には三島先輩は結婚していない事になる。芦田の名字のは元々病死した父の名字が芦田で、病死してからも芦田はまだ高校生だったから名字を変えると同じクラスの人が聞きたがる事を危惧して芦田のままにしたい事だった。。今、確かに思えば、昨日3人でカフェに行く時、芦田は俺の住所なんて知っているはずない。何故なら、この私立探偵事務所『ミステーロ』の近くに住んでいる事は三島先輩にしか言っていない。でも、芦田はそう言ってきた。理由は簡単で2人は情報を共有していたからだ。また、バイト初日でここまで下調べして、明日そのストーカーに接触するなんて、バイトに期待し過ぎる所もこんな結末だから、実行する事が出来た。三島先輩も事実結婚ではあるけど、一時は同じ屋根の下で暮らした。だから、娘である芦田きさに少しでも願いを叶えさせる事が出来るのであれば、事実結婚をして良かったと思えたらしい。その願いは叶った。高田は元々優しくて、俳優をやっている事を知った。だから、あの迫真な演技が出来た。芦田も任せた理由が分かる気がした。

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