第43話 ありがとうを伝えたい

 結婚式の主役は花嫁だ。つまり紗菜子さなこだ。だからしのぶも、そう贅沢なことはできないけれど、可能なかぎり彼女の希望にそったものにしたいと思っていた。


 誕生日やペアグッズなど、いろいろと乙女な憧れを持っていた紗菜子だ。結婚式にもそれなりの夢があるのではないかと思ったのだが、彼女の希望は意外にも『商店街の人たちが参加できる場所で、簡単なパーティーをしたい』ということだけだった。


 人間関係が密なこの糸枝町いとしまち通り商店街では、近所のおじさんおばさんのお節介がうっとうしくてしかたなかったこともある。特に中学生から高校生くらい――いわゆる思春期といわれる時期には、ほんとうに煙たく感じていた。

 今もうとましくなることがまれに、あくまでも、ごく『まれ』にある。しかし紗菜子も忍も、なんだかんだいっても、やはりこの商店街が好きなのだ。


 結婚式らしい結婚式じゃなくてもいい。ただ、これまでずっと自分たちを見守ってきてくれた人たちに『ありがとう』を伝えられるようなものにしたい。それが、紗菜子の希望だった。忍に反対する理由はなかった。


 三年まえのおめでとう祭りを思いだして、ほんのすこし背すじが寒くなったり、いいだしっぺの紗菜子も一瞬遠い目をしたりしていたが、おそらくそれはどこで式をあげようと避けられないことなので、腹をくくるしかない。


 半数以上が閉店しているシャッター商店街であるが、今も住居として暮らしている人は多い。その大半が高齢者で、なかには足や腰を悪くしていて外出がままならない人もいる。どうにか、そういう人たちにも参加してもらえる方法はないものか。

 商店会の会長でもある居酒屋の店主に相談した結果、商店街そのものを『式場』としてつかわせてもらうことになった。この案なら、たとえ外に出られなくても窓をあければ紗菜子の花嫁姿を見ることができる。


 そんな『結婚式』の計画を立てはじめたころ、紗菜子の親友である奈子なこの妊娠が判明した。身体への負担を考えて、式の時期をすこし早めようかという話もあったのだが、五月ならちょうど安定期にはいるころだということで、当初の予定どおり五月、忍の誕生日に入籍して、式はその週末におこなうことになった。

 

 そうして――


 新郎新婦の衣装は元洋裁店の夫婦が。

 ヘアメイクは元美容師のおばあちゃんが。

 写真撮影は元写真館のおじいさんが。


 誰も彼も、こちらが頼むまでもなく率先して引き受けてくれた。


 ほぼほぼ手づくりの式である。


 おめでとうをもらって、ありがとうを返しながら、商店街の入り口から歩いてゴールはなかほどにある集会所。料理も千井ちい夫婦が先頭に立ち、数名で手わけして用意してくれた。


 また、なぜだか『一度やってみたかったんだ!』と、酒屋店主が妙にはりきってしまったため、なんちゃって神父によるなんちゃって儀式もやることになった。

 誓いの言葉から指輪の交換、誓いのキスと、それなりに結婚式らしいことができたのはよかったのだが、紗菜子は今にもひっくり返ってしまいそうなくらい真っ赤になってしまった。白いドレスのせいで、よけい赤く見えたのかもしれない。


 真っ赤で、だけどとてもうれしそうに笑っていて、とびっきりきれいな花嫁は、とんでもなくかわいかった。



 *‐*‐*‐*‐*



 会場――といっても、商店街の集会所なので、たいした広さはない。パーティーも立食形式である。


「ヒメが本物の姫になった」


 そんなことをいいながら、忍の中学時代からの友人である薄井友うすいともは、会場のすみっこでひとり黙々とスケッチブックに鉛筆を走らせていた。相変わらずのマイペースぶりである。


「ちゃんと仕上げたらプレゼントする」


 のぞいてみれば、そこには商店街を歩く新郎新婦――忍と紗菜子が描かれていた。


「もしいつかお金に困ることがあったら売っていいよ。たぶん、そこそこの値段になるはず」


 そこそこどころではない。忍にとっては、むかしも今もトモはトモのままなので、いまいち実感がわかないのだが、世間では『稀代の天才画家』といわれているような男なのだ。


「あ」


 なにかに気がついたように、トモはふっと顔をあげた。


「ヒメ、モーリー」


 紗菜子と忍を交互に見て、それからふわりと笑顔になる。


「おめでと」



 *‐*‐*‐*‐*



「ゔぅ……ざなぁ、おべでどぉ」

「奈子さん、とりあえず鼻かもうか」


 お腹がふくらみはじめた奈子の背中をさすりながらティッシュを手渡しているのは、旦那の人好善ひとよしぜんである。ちーんと鼻をかんでいる奈子に向けている視線がとてもやわらかい。それだけで、どれほど奈子が大切にされているのかがわかる。


見守みもりさん、紗菜子さん、おめでとうございます」


 そのやわらかな視線のまま告げられた祝いの言葉。忍は自然と背すじを伸ばしていた。



 *‐*‐*‐*‐*



 ひととおり挨拶をすませて、忍と紗菜子は新郎新婦用のテーブルでひと息ついていた。


「ノブちゃん、大丈夫かな」

「なにが?」

「だってなんか、しあわせすぎて……バチあたったりしない?」


 そのおおきな目でうるうると見あげてくるのは、ほんとうにやめてほしい。しかも今日はウェディングドレス姿である。殺傷力が高すぎる。


「大丈夫。バチのほうが逃げてくよ」


 おかげで、忍は自分でも意味不明なことを口走っていた。


「そこは、おれが守るとかいうところじゃないの?」

「……やりなおそうか?」

「しなくていい」


 くすくすと笑う紗菜子はキラキラとしあわせそうで、なにかがグッと胸に押し寄せてくる。


 みんな、笑顔だ。


 義理の両親となった千井夫婦も、友だちも、商店街のみんなも。


 きっとこれは『しあわせにする』とあらためて花嫁にいう場面なのだろうと思う。


 しかしすでにしあわせ満タンの今、それを口にするのは、なんとなく違和感があるのだ。


「ノブちゃん」

「うん?」

「わたしたち、きっと、ずっと、しあわせでいられるね」


 しあわせに『なろうね』ではないところが、いかにも紗菜子だった。忍には、それがなんだかうれしい。


「そうだな」


 たとえケンカしても、すれちがっても、ちゃんと向きあうことができるような関係をつくっていけるように。

 紗菜子の顔を曇らせることがないように。まえでもうしろでもなく、となりにならんでいられるように。


 ひとつひとつ、心に誓う。


 この先家族が増えても、年をとっても、ずっと一緒に、手をとりあって、これからの人生を歩いていくために。


「紗菜」

「んー?」

「今日からまた、よろしくな」

「うん。こちらこそ、よろしくね。ノブちゃん」


 輝く笑顔を、忍はその目に焼きつけた。



     (エピローグ前編につづく)



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