一週間、一か月、そして三年
第42話 恋人としての時間
「これ、お祝いな!」
恰幅のいい酒屋の店主が『ミモリ』のカウンターにどんっと置いたのは赤と白、二本のワインボトルである。
「
「ありがとうございます」
「しっかし、ここまで長かったよなー」
きっと、薄々……いや、もしかしたらはっきりくっきり、いろいろとバレていたのかもしれない。千井夫婦がそうだったように、紗菜子の恋があまりしあわせなものではないとか、忍の気持ちがほんとうは『お兄ちゃん』のものではないとか、気がついていても、そこはあえて言及せずに見守ってきたという可能性がとても高い。だからこその今なのではないか――という気がする。
この一週間、朝から晩まで、店のなかでも外でも、よかったなと肩をたたかれ、おめでとうと涙ぐまれ、これを飲め、あれをたべろとさまざまなお祝いの品――おもに飲食物が差しいれられる。商店街をあげてのおめでとう祭りが絶賛開催中なのである。
みんなの気持ちは忍もうれしい。それはまちがいない。しかし、店を営業しつつ対応しているので、閉店するころにはだいぶぐったりしてしまうのも事実だった。
そんななか、たまたま来店した友人の
そうこうしているうちに、十日がすぎ。
二週間がすぎ。
一か月もしたころにはさすがに落ちついてきた。
「お疲れ、紗菜」
「お疲れさまー。買いものしてきたから、先に二階あがってるね」
惣菜屋の仕事をおえて『ミモリ』にやってくる紗菜子と一緒に夕飯をつくって一緒にたべるという生活も日常になりつつある。
忍はもう紗菜子を『坊』と呼ばないし、紗菜子ももう忍を『お兄ちゃん』とはいわない。
食器棚には、はじめてプレゼントしあったペアのマグカップが仲よくならんでいる。
そこにお茶碗が加わり、お箸が加わり、グラスが加わり――時間の経過とともに、すこしずつ、すこしずつ、おそろいのものが増えていった。それは食器類にかぎったことではない。つきあって一周年のときは、ペアの腕時計を贈りあい、二周年のときはキーケースを贈りあった。
そうして――
三年目。
それは、二月にはいってまもないある日のことだった。
「うわぁ……おめでとう。おめでとう
ランチタイムがすぎてしばらく、紗菜子と一緒に『ミモリ』へやってきた奈子から聞かされたのは、なんと妊娠報告だった。産婦人科に行った帰り、こちらまで足をのばしたらしい。
「おめでとう、奈子ちゃん」
「ありがとうございます」
奈子が結婚してまもなく三年。夫婦どちらのからだにも問題はみつからないのに、なかなかさずからなくて落ちこむことも増えていたのだという。
ほんとうなら、まっさきに夫に報告するところだろうが、数日後には結婚記念日という、サプライズにするしかないだろうというタイミングである。奈子としては、その日まで旦那には内緒にしておきたい。だがうれしい。このままじっと黙っているのはつらい。ということで、親友である紗菜子と、その恋人である忍に伝えにきたらしい。
「つわりとかは?」
「今んとこ特にない。いわれてみれば、ちょっとダルいかなぁーってくらい」
「そっかぁ……奈子もついにママかぁ」
「うん。でもまだ、安定期に入るまでは安心できないからね」
「奈子の子だもん。大丈夫だよ」
「そうかな」
「そうだよ」
ハンドルミルでコーヒー豆を挽いていた忍は思わず苦笑した。
「そこは
「あ、そうか。うん。人好さんと奈子の子だからね! 大丈夫!」
律儀にいいなおす紗菜子に、奈子も笑っている。
「そっちはどうなの?」
おそらく奈子は、話の流れとしてなんとなく聞いただけだろう。だが、ちらっと忍の顔を見た紗菜子は、心もち姿勢を正した。
「ノブちゃんの誕生日に入籍しようと思ってる」
フィルターをセットしたドリッパーに、挽きたてのコーヒー粉をいれながら忍もうなずく。
「その日でちょうど三年だから」
ほんとうは、もっとはやくてもよかった。だが、長いあいだむくわれない恋に泣いてきた紗菜子と、お兄ちゃん思考がしみついて離れなかった忍には、この三年という『恋人としての時間』が必要だったのだと思う。
「それでね、奈子と人好さんに婚姻届の保証人たのみたいと思って、近いうちふたりでお願いに行くつもりだったの」
奈子は、当事者である忍たちが自覚するずっとまえから、その本音に気がついていた。そして三年まえ。はじめて自分の気持ちに向きあった紗菜子を支えてくれたのも彼女なら、煮えきらない忍の背中を押してくれたのも彼女だ。保証人をたのむなら奈子をはずすわけにはいかない。紗菜子と忍ふたりの意見はそう一致していた。
「お」
「……お?」
「おめでとうっ! やだ、もう、はやくいってよ……! 結婚式は? いつ? やるよね!?」
「お、落ちついて奈子」
「落ちついてなんていらんないわよ! あー、もう、そうかぁ……結婚かぁ……」
忍はそっと、淹れたてのコーヒーを奈子と紗菜子のまえに置いた。妊婦にカフェインはまずいだろうと思ったのだが、コーヒーなら一日一、二杯は飲んでも大丈夫なのだという。医師に確認してきたらしい。
「おおげさにやるつもりはないんだ。おれたちはふたりともこの商店街で育ったから。身内と商店街の人たちと、ごく親しい友だちだけで簡単なパーティでもできればいいと思って、すこしずつ準備してるとこ」
「そのころには奈子のおなかもおっきくなってるね、きっと」
「そのへんのことも考えていろいろきめてこう」
「うん」
今すすめているのは、この商店街そのものを会場としてつかわせてもらうという案だ。それはつまり、いくらでも融通がきくということでもある。
恋人になって三年。
もうすぐ、ふたりは夫婦になる。
(つづく)
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