第30話 仲直りのクッキー
謝りに行く。そうきめただけで、
ケーキやチキン以外でクリスマスといえば、やはりジンジャークッキーだろうか。
ショウガはその香りが強いことから、クリスマスの時期に、魔除けのためにつくって飾るようになったという説がある。また、遠いむかし、ある国王が当時大流行した感染症の予防のためにショウガをたべることを国民に推奨して、国民はその国王をモチーフに、ショウガを練りこんだクッキーを焼いたという説もあったはずだ。それ以外にもいろんな説があったと思うのだが――まぁ、そんなことはどうでもいい。
とにかく今日は二十五日。まだクリスマス当日である。簡単につくれるそれらしいものといったら、ジンジャークッキーくらいしか思いつかなかったのだが、仲直りアイテムとしてはちょうどいいのではないだろうか。仲直りというか、お詫びのしるしというか、なんというか。
いずれにしろ、生地はすでにつくって冷蔵庫で寝かせている。しかし、ふと思う。
そもそも
窓の外を見れば、もうとっくに日が沈んでいる。とても今から生地をつくりなおしている時間はない。ふつうのクッキーやカップケーキなど、店で出している焼き菓子ならあるにはあるのだが。それだと売れ残りのおすそわけみたいになってしまう。ふだんならそれでもいいが、今日はダメだ。
どうしたものか。我ながらぐだぐだすぎて頭を抱えていると、ドアにとりつけているカウベルが、鳴るか鳴らないかというくらいにちいさな音を立てた。動いていたら聞きのがしてしまいそうなくらいに、ほんとうにかすかな音だった。その音とおなじくらい、かすかにドアが開いている。いや、外側にほんのすこしズレている――といったほうがいいか。
古めかしい木枠ドアの、上部はすりガラスになっている。そこにうっすらと見えるシルエットだけで、忍にはわかってしまった。
*‐*‐*‐*‐*
そぉ――っと、わきからドアに近づく。なんとなく、かんづかれたらいけないような気がした。こちらに気づいた瞬間、逃げてしまうのではないかと思う。すりガラスにこちらのシルエットが映らないように。そろそろと、慎重に、足音を立てないように。微妙にひいた状態で停止しているドアに手をそえて。
いっきに押した。
「ゎっ……」
ちいさな悲鳴をあげて、ドアの丸棒ハンドルを両手でにぎりしめたままタタラをふんでいるのは、思ったとおりダウンコートを着てモコモコになっている紗菜子だった。
「さな坊」
「あ」
忍を見た瞬間固まって、それから逃げ道を探すように目を泳がせた。かと思ったら、今度はなにかを振り払うように、勢いよく頭をぶるぶる振りまわしている。手袋に包まれた両手は、まだドアの丸棒ハンドルをにぎりしめたままだ。配達帰りなのだろう。鼻の頭が赤くなっている。
なんだろう。このかわいい生きものは。
「あ、あの!」
ガバッと顔をあげて、紗菜子はまた固まってしまった。
「とりあえず、店んなかはいれ」
「あ、う、うん……」
*‐*‐*‐*‐*
紗菜子のほうからきてくれたということに、忍はなんだか救われたような気持ちになった。けれど、カウンターの、中央からふたつずれた定位置におさまった紗菜子は、あからさまにそわそわしていて落ちつかない。その空気が忍にも伝染して妙に浮き足立ってしまう。落ちつこうと思えば思うほどむずがゆくなるというか、焦燥感にかられるというか。
「コーヒーでいいか?」
「え、あ、う、うん」
――これは、どうすれば。
謝るタイミングがつかめない。とりあえず、ハンドミルにコーヒー豆をセットして、コリコリとハンドルをまわす。
漂ってくるコーヒーの香りに、波打っていた心がしだいに静まっていくような気がした。
「……――ぃ」
またもや忍の耳は、ちいさなちいさな、そら耳かと思うくらい、かすかな声をとらえた。
ごめんなさい――
ハッと顔をあげると、おなじタイミングでガバッと顔をあげた紗菜子とバチッと音がしそうな強さで視線がぶつかった。
「わたし、ノブちゃんに甘えすぎてるの、わかってるんだけど。そこまで、怒ると思ってなくて。でも、好きでもない女に、遊び半分であんなこといわれたら、怒ってあたりまえだなって思って。だから、あの、もう、冗談でもいわないから。ごめんなさい」
たどたどしいのは泣くのをがまんしているからで、その目には涙がふくらんでいる。こぼれないよう、必死でこらえているのが、忍には手にとるようにわかった。
やんわり否定したいところとか、強く否定したいところとか、ツッコミたいところとか、いろいろあった。中でも『好きでもない女』という部分は、できることなら全力で否定したいところである。が、ぐっとこらえた。今はそのときではない。
「おれも、ごめん」
「え」
「おとなげなかった」
「もう、怒ってない?」
「ああ」
そもそも、キレそうではあったが、それは怒りとはすこしちがう。だが、それを説明するのは自分の気持ちを暴露するのとおなじである。とてもいえない。
「ジンジャークッキー、くうか?」
「え、あるの?」
「生地はできてる。おれも、謝りに行こうと思ってたんだ」
「それで、ジンジャークッキー?」
「そう。型抜き、一緒にやるか?」
「!」
子どものころの紗菜子は、クッキーの型抜きが大好きだった。ついでに、カタチがくずれたりこげたりして、店には出せないものをつまみぐいするのも好きだった。
「やる……!」
目がキラッキラだ。さっきまで泣きそうな顔をしていたのに。
ホッとして、力が抜けて。今度は忍のほうがちょっと泣きそうになった。
(つづく)
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