第28話 荒れ模様のクリスマス

 奈子なこが結婚をきめて、誰よりもよろこんだのは紗菜子さなこだ。それはまちがいない。けれど、奈子がつかんだしあわせは、今の紗菜子にはけっしておとずれない『未来』である――ということもまた、浮き彫りになってしまった。なにしろ、紗菜子の相手には妻も子もいて、男には離婚する気など、たぶんまったくないのだから。


 しあわせそうな親友をまえに、紗菜子は否応なく自分の現実を突きつけられてしまったのだろう。明るくふるまいながら、その表情は日に日に暗くなっていって、ふとした瞬間に沈みこむことも多くなった。本人は隠しているつもりらしかったが、しのぶから見れば一目瞭然だった。だからといって、こればかりはどうしてやることもできない。冷たいようだが、忍にいえるのは『別れろ』ということだけなのだ。これまで何度も、言葉を変え、いいかたを変え、願い、伝えてきたけれど。結局のところ、紗菜子自身が心をきめないかぎり、忍にはそれ以上どうしようもないのである。


 そうして――


 忍も、おそらく紗菜子も、それぞれに無力感や空虚感を抱えたまま日々をやり過ごし、奈子の結婚式まで、あと一か月半というころ。


 今年の紗菜子はいつも以上に荒れそうだな……と思っていたクリスマスがやってきた。それはある意味、忍の予想どおりだった。ただ、その荒れかたが、予想外というか。予想以上というか。忍がまったく考えていなかった方向のものだったのである。




 *‐*‐*‐*‐*




 クリスマスといっても、この糸枝町いとしまち通り商店街では、特に商店街をあげて飾りつけをするようなことはなく、せいぜいが個々の店でリースを飾ったりちいさなツリーを設置するくらいだ。『喫茶ミモリ』でも、ドアにリースを飾るだけで店内はふだんと変わらない。


 しかし世の中――おもに日本のクリスマスはカップルたちの一大イベントである。


 そして、そんな日の紗菜子はたいてい、『ミモリ』にやってくる時点で酔っ払っている。店に酒類が置いていないせいもあるが、アルコールに弱い紗菜子は、350ml缶のビールを二本も飲めば立派な酔っ払い。三本飲んだらもう、前後不覚の泥酔状態になってしまう。ある意味、非常にお手軽な体質なのだが、忍としては気が気でない。ひとりでは飲むなといつもいっているのだけど。まったくいうことを聞いてくれない。


 バレンタインやクリスマスといった、恋人たちのイベント当日になると、紗菜子はコンビニで缶のビールやチューハイ、カクテルなんかを仕入れ、一、二本飲んでから『ミモリ』にやってくる。お酒を買うのに商店街の酒屋をつかわないのも、『ミモリ』には閉店時間まぎわにくるのも、いちおう近所の目を気にしているからだろうが、それなら外で飲むのをやめろという話である。しかしこれもまた、何度いっても聞いてくれない。どうやら、こういう日は『ミモリ』へくるのにも勢いが必要らしい。女心は謎である。いや、紗菜子が謎なのか。いずれにしても忍にはよくわからない、不可思議な心理である。


 とにかく、そうして持ちこんだお酒をちびちび飲んではくだをまいて、そのまま眠ってしまう――というのが毎年のパターンだった。紗菜子は一度寝たらなかなか起きない。しかたなく二階に運ぶわけだが、すぐとなりの部屋で紗菜子が眠っているのかと思うと、平静をたもつのもむずかしくなってしまう。忍はしかたなく、テーブル席のイスをならべて店で寝ることになる。翌朝起きたとき、身体がバキバキになっているまでがセットだ。


 しかし、今年の紗菜子はすこし――いや、だいぶ様子がちがった。まず、酔っていなかった。まさか、今さら忍のいいつけを守ったというわけではないだろうが。シラフで、だけどやたらテンションが高くて、そして、なげやりだった。




 *‐*‐*‐*‐*




 夜九時すこしまえ。ちょうど閉店準備にかかったところに紗菜子がやってきた。最初は寒いとかおなかすいたとか、子どもみたいに騒いでいたのだが――


「ね、ホテル行こ!」


 ドアにClosedの看板をかけて店内に戻った忍を出迎えた紗菜子の言葉は、あまりにとうとつだった。


「――は?」

「ご飯たべて、お酒飲んで、ホテル行くの」


 ぴょんと腕に抱きついてきた紗菜子がなにをいっているのか。忍が理解するまでしばらくかかった。


「あー、でもクリスマスだもんね。どこも一杯かな。探しまわるのもなんだしノブちゃんの部屋にしようか」


 そして理解した瞬間。危うく怒鳴りつけそうになって、とっさにひらきかけた口を、どうにか閉じた。


 ――落ちつけ。


 ギリッとおかしな音が耳の奥でなったのは、どうやら歯をくいしばった音らしいと気づく。


 ――怒るな。


 だてに長年『お兄ちゃん』をやってきたわけじゃない。


 クッキーがたべたいというからクッキーを出せば、やっぱりおせんべいがいいと騒いで。あげく、ほんとうはケーキがよかった――と、ふてくされる。幼いころの、そんなしょうもないわがままにだってつきあってきたのだ。


「ね、いいでしょ?」

「…………」


 腕にしがみついている紗菜子をやんわりひきはがす。


 ――ダメだ。ここで怒っちゃいけない。


 そう思っているのに。


 華奢でやわらかい身体は、うんざりするくらいに『女』で。


「紗菜」


 口から出た声は、思ったよりもずっと冷たかった。一瞬、自分でもギョッとしたのだけど。


「ノブちゃ――」


 限界だった。


「帰れ」


 長年こらえてきたものが、今にもあふれ出しそうだった。おれだって男なんだと叫び出しそうになるのをこらえるのに必死で、抑えれば抑えるほどに声はかたく、ひややかになった。こんないいかたをしたら紗菜子が傷つくということはわかっていた。それでも。

 

「たのむ」


 なけなしの理性がはじけ飛ばないうちに。とりかえしのつかないことを、しでかすまえに。


「帰ってくれ」



     (つづく)



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