それぞれの道

第24話 きめた心、迷う心

 ふわぁ〜っと、ひとつおおきなあくびをして、トモはしのぶのベッドでまるくなった。ものの数秒でスースーと寝息を立てはじめる。


 ――……猫だ。


 もう『みたい』ではない。まんま、猫だ。というか、ここで寝るのか。


 大丈夫じゃないのは、モーリーのほう――なんて、意味深なことをいった直後に。ふつう、ここはなぐさめにかかる場面じゃないのか? と、一瞬思ったのだが、トモになぐさめられたりしたら、それはそれで気持ち悪い。というか、天変地異を警戒するかもしれない。


 しかしそれにしても、すやすやと気持ちよさそうに眠っている。ぼんやりとその顔を見ているうちに、忍はなんだか脱力してしまった。どこからともなくクツクツと笑いがこみあげてくる。


 ――ほんと、なんなんだこいつは。


 べつに叩き起こしたっていい状況だと思うのだけど、安心しきった寝顔がそれをためらわせる。声を立てないようにこらえているうちに、どうしたわけか、目の奥が熱くなってきた。



 ――あぁ、くそ。まいったな。


 こいつが、らしくもなく励ますようなことをいうから。



 目の奥が焼けるようで。

 のどが苦しくて。

 鼻の奥が痛い。


 まったく。

 ほんとうに。


 調子が狂う。



 

 窓からほのぼのとさしこむ春の日差しが、ベッドでまるくなっているトモをやわらかく包んでいる。ぼやける視界もそのままに、忍はバカみたいにずっと、その寝顔をながめていた。




 *‐*‐*‐*‐*




 あいと言葉をかわしたのは別れたあの日が最後で、大学進学を機に地元を離れた彼女とはそれっきりになった。


 恋愛未満の関係は恋愛未満のままおわりを迎えたわけだが、忍の中に刻みこまれた自分への失望感と愛への罪悪感はいつまでも消えないまま、心にくっきりと傷あとを残した。


 もう、おためしの恋人はつくらない。つくってはいけない。そうきめた大学生活。誰かを好きになることもなく、だからといってストイックに徹するということもなかった。ありていにいえば、おたがいの利害が一致した女の子と遊ぶことはあっても、特定の相手とつきあったりはしなかった――ということである。



 ちなみにトモは、忍とはべつの芸術系の大学に進学したのだが、入学してすこしたったころ、結構おおきな絵画コンクールで大賞をとり、大学にかよいつつも本格的に画家の道を歩みはじめていた。


 正直なところ、トモにはとても会社勤めなんてできないだろうと、忍は以前から思っていた。だからうれしい気持ちはもちろんあったのだが、それ以上にホッとする気持ちが強くて、同時に、トモの才能を考えたら当然だとも思った。


 いずれにしろ、トモはトモのまま。数か月に一、二度、忘れたころにフラっと『喫茶ミモリ』にやってきては、なにを話すでもなく食事をして、コーヒーを飲んで帰っていく。それは、友だちの店だから――なんて理由ではなく、『おれの注文を忘れない唯一の店だから』というあたり、ちょっと切ないところではあるが。



 そして――



 紗菜子さなことは、愛が最後にくれたアドバイスどおり、かたくてもぎこちなくても、ときどき無視されても、それまでとおなじように接するようにしていたら、大学に入学したころにはもとの距離感――つまり、兄妹のような距離感に戻っていた。ずっと気にしていたのか、どこか不安げに『最近、三角みすみさんみかけないけど』と、聞かれたのもそのころだった。


 もともと愛に告白するようアドバイスしたのも紗菜子だったし、そういう意味では無関係ではない。特に隠すようなことでもなかったので、別れた事実を伝えたのだが、そうすれば『なんで別れちゃったの……?』と、問われるのもまた当然だった。

 だがほんとうのことなんて――どんなときも紗菜子のことを最優先に考えてしまうから……なんて、そんなこと本人にはとてもいえず、かといって、ウソもつきたくなかった。

 結局『話したくない』と、つっぱねるしかなかったのだが、じつのところ忍は、紗菜子がもっとくいさがってくるものと思っていた。それが『そっかぁ』と、あまりにもあっさりと引きさがったので、少々拍子ぬけしてしまったくらいだ。

 こと恋愛にかんしては、忍よりも紗菜子のほうがずっと気がまわる。しかしその引きさがりかたは、彼女のよりおおきな成長を感じさせた。知らないうちにおとなになっていく紗菜子に、うれしいような、さびしいような、忍はなんとも複雑な気持ちになってしまったのである。


 そんな、平和といえば平和な日常の中、忍は将来『喫茶ミモリ』を継ぎたいのかどうかわからなくなっていた。コーヒーは好きだし、紅茶も好きだし、喫茶店の仕事はおもしろい。生まれ育った店には愛着だってある。

 だけど――かつてはにぎわっていた商店街も、今では半分近くのお店が閉店してしまっている。『ミモリ』は、きっとこの先、ゆっくりとおわりに向かっていく商店街にある店だ。両親の代でたたんで、自分はべつの場所で、一からはじめたほうがいいのではないか。どうするべきか。どうしたいのか。


 ぐるぐるもやもやと迷いを胸に抱えたまま。大学三年生になってもいっこうに決断できない自分に、忍自身がいらだちはじめていた。そんなある日のこと。


 店で倒れた父が、急逝した。



     (つづく)



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