第17話 彼氏と彼女と未来の景色

「さぁちゃん! よかったわねぇ……。ほんとうに、おめでとう……!」


 お惣菜の配達先である元美容師の理美さとみおばあちゃんは、紗菜子さなこの顔を見たとたん、くしゃくしゃに破顔して、その目には涙すら浮かべていた。


「う、うん、ありがとう」


 しのぶとつきあいはじめて一週間。ふたりの関係は、商店街の住人たちにほぼ知れ渡っている。その発信源もはっきりしていた。紗菜子の母である。もっともそうなったのは、誕生日デートに出かけるまえ、忍が律儀にも両親に交際の挨拶をしにきたからだった。

 翌日の夕飯で、お赤飯まで炊いて盛大に祝われたのにも閉口してしまったけれど、どうやら『こいつらさっさとくっつかないかなぁーと思ってた』のは、奈子なこだけではなかったらしい。


 みんなの気持ちはありがたい。ありがたいとは思うのだけど。それとこれとは話がべつというかなんというか。なんともいたたまれないし気まずいし。これまで自分たちがどんな目で見守られてきたのかと思うと、とりあえず穴がなくても掘って埋まりたくなるというものだ。


 ちなみにその奈子にも電話で報告したのだけど。


『ほらぁ、だからいったでしょー。ぜんぜん心配なんかしてなかったよ……!』


 当然の結果だといいながらその声はあきらかに泣いていて、紗菜子もまたうっかりもらい泣きしてしまいそうになった。


 奈子の支えがなかったら、こんな今日はきていなかったかもしれない。今度、彼女が好きなパティスリーのケーキをどっさり買って遊びに行こう。



 *‐*‐*‐*‐*



「紗菜、お疲れ」


 夜八時過ぎ。紗菜子は惣菜屋の仕事をおえて『喫茶ミモリ』にやってきた。出迎えた忍が若干ぐったりしているように見えるのはたぶん気のせいではないだろう。


 みんなのおめでとう祭りも、紗菜子のほうは母親が半分引き受けてくれている――というか、そのせいでさらに広まっているような気がしなくもないのだが。まぁ、紗菜子が直接対応するのは配達のときだけですんでいるので、そこは目をつぶっておくことにする。

 しかし一方の忍は朝から晩まで、店のなかでも外でも常にひとりで対応しているわけで、それはぐったりもすればげっそりもするはずだ。


 それにしても――つきあっただけでこの騒ぎである。この先結婚したらどうなるんだろう。


「…………?」


 ――あれ……今……?


「――!?!?」


 腰を落ちつけたばかりのスツールから、ガタン! と、派手な音を立てて転げ落ちそうになった。カウンターに手をついてかろうじてこらえる。


「……ど、どうした?」

「な、なな、なんでもない……!」


 いえない。ナチュラルに結婚したときのことを想像した自分にびっくりした――なんて、口が裂けてもいえない。


 さすがに浮かれすぎである。けど、しかたないじゃないか――とも思う。だって未来を想像したとき、ほんとうに自然に、あたりまえみたいに、夫婦になったときの光景が目に浮かんでしまったのだから。


「紗菜、顔がおもしろいことになってるぞ」

「し、失礼な」


 彼女に向かって『顔がおもしろい』ってどうなの。


「…………」


 そう。彼女。彼女――なのだ。紗菜子は。


 紗菜子は忍の彼女で。忍は紗菜子の彼氏で。


 ――あ、まずい。顔がゆるむ。


 だらしない顔になるまえに、紗菜子はぐいぃ〜っと両手でほっぺたをひきあげる。


「紗菜……」


 ぱちぱちと涼しげな目をまたたかせて、忍はくるんと背中を向けた。どうやら笑うのをがまんしているらしい。肩がわずかに震えているあたりこらえきれていないが。


 ふてくされてやろうかと思ったのだけど、思い返すまでもなく挙動不審だった自覚があるため、心ならずも忍より先に吹き出してしまった。



 *‐*‐*‐*‐*



 お店を閉めたあと、ふたりで夕飯をつくってふたりでたべて、『新婚さんみたい』と思ってまた挙動不審になって。これが俗にいう『バカップル』というやつかと笑いあって。


 忍は今、食後のコーヒーを淹れている。食器棚からとりだしたのは、このまえプレゼントしあったペアのマグカップだ。


 マグカップひとつぶん、忍の家に紗菜子の居場所ができた。ちいさいけれど、とてもおおきな居場所が。



 忍が紗菜子を『坊』と呼ばなくなって一週間

 紗菜子が忍を『お兄ちゃん』といわなくなって一週間。



 これが十日になって、一か月になって、一年になって――そうやって、ふたりの時間を積みかさねていけたらいい。きっと、積みかさねていける。忍となら。


 きっと。ずっと。いつまでも。



     (Side:忍につづく)



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