第11話 女のカン

「ノブちゃん、さっきのお姉さん彼女?」


 今日も今日とて『喫茶ミモリ』でしのぶのお手伝い。高校二年生になった忍はカウンターのなかでグラスをみがき、小学六年生の紗菜子さなこは残り少なくなってきたテーブルの紙ナプキンをせっせと補充している。


「ちがうよ。ただのクラスメイト」

「そうなんだ。でもたぶん、お姉さんはノブちゃんのこと好きだよ」

「ええ? いや、ないない。ほとんど話したこともないんだから」

「じゃあ、なんでわざわざお店にかよってくんの?」

「そりゃ、コーヒーが好きだからだよ。本人そういってたし」


 ――これだもんなぁ……。


 なかば予想通りのこたえに紗菜子は心のなかでため息をついた。そんな見えすいた口実を真に受けるのは、きっと忍くらいだ。


 ここ数か月、二週間に一度くらいのペースで『喫茶ミモリ』にかよってくる女子高生がいる。忍目あてなのはあきらかなのだけど、本人はまったく気づいていない。中学時代の悲劇ふたたび――である。ほうっておけば、きっとまた、忍は知らないうちにあの女子高生を泣かせてしまうことになるだろう。


 こうなったらしかたがない。


 どこからか、むくむくとふくらんできた使命感に、紗菜子はちいさなこぶしをギュッとにぎりしめた。


 ――わたしが、がんばる……!



*‐*‐*‐*‐*



 今回の片想い少女の名前は三角愛みすみあい。商店街とは駅をはさんで反対側にあるマンションに住んでいるらしい。どちらも、彼女が『ミモリ』にきたとき紗菜子が直接聞き出した。

 名字だけはいちおう忍も知っていた。がしかし、その記憶はだいぶあやふやで、火にかけた水が沸騰するくらいの時間をかけて、どうにか脳みそからしぼりだした名字が正解だった――というレベルの『知っていた』である。

 クラスメイトで、お店の常連さんでもあるのだから、名前くらいちゃんとおぼえていてもよさそうなものなのに。彼女には気の毒なくらいの無関心ぶりである。


 それはともかく、部活は美術部だとか、週末だけアルバイトをはじめたとか、生活リズムがある程度わかるような情報もさりげなく聞き出したのち、紗菜子はマンションの近くまで彼女に会いに行った。

 心の準備などはさせないほうがいいような気がしたので、約束などはとりつけずに押しかけることにする。かといって、特に偶然を装うつもりはなかったのだけれど、三角愛は待ちぶせされていたなんて思ってもいないようだったので特に訂正はしなかった。ちなみに、実際は会えるまでに一時間ほど待った。ストーカーみたいだが、これも調査のためだ。


 というか、もしも三角愛がストーカー的な思いこみをするような人だったらそれこそ大変である。応援するかどうかは、そのへんをしっかり確認してからでないといけない。だから――


「お姉さん、ノブちゃんの彼女?」


 ちがうと知っていながら、わざとそう聞いてみた。


「ち、ちちちがうよ! た、た、ただのクラスメイト!」


 ――……いくらなんでもあわてすぎだと思う。


「ふーん。でも好きなんだよね?」

「えっ、あっ、コーヒー」

「じゃないよ」


 そんなバレバレのごまかしが通用するのは忍だけだ。時間のむだである。ただでさえ一時間も待たされたのに。


「ノブちゃんのこと」


 紗菜子はイライラと、顎下で切りそろえられた髪をかきあげた。そして、じっとこたえを待つ。


「……えーっとぉ」


 ――まったくもう。めんどくさいな。


 女同士なんだから、恥ずかしがることないのに。


「ノブちゃん、そういうことにはニブチンだから。好きならストレートにいったほうがいいよ」

「えっ……」

「中学生のときもノブちゃん目あてでお店にかよいつめてくる女の子がいたけど、ぜんぜん気づいてくれないって泣いてたもの」

「ええっ……」


 三角愛はおどろいたように目と口をぽかんとあけて、それから不思議そうに首をかしげた。


「紗菜子ちゃんは、見守くんに恋人ができてもいいの?」


 ――……なんでそんなことを聞くんだろう。


「うん。どうして?」

「いや、だって、紗菜子ちゃんだって好きなんでしょ? 見守くんのこと」

「ノブちゃんは『お兄ちゃん』だもん。よっぽど変な女じゃないかぎり邪魔なんかしないよ」

「そ、そうなんだ……」


 なんだか納得がいかないって顔をしている。


 ――ま、いっか。


 おかしな人だけど、悪い人ではなさそうだし。


「じゃあね。がんばって」


 最後にニコっと笑って紗菜子はきびすを返した。


 そのまま走りだして、走って走って――どうしてだか止まれなくなった。



 きっと、あのふたりはうまくいく。

 それは女のカン。そして、妹分のカンだ。



 駅を越え、公園を抜け、ドキドキして心臓が痛くなって、それでも走ることをやめられない。


 どこまでも、どこまでも、走って走って、走りつづけて――けれど、やがておなかが痛くなって、足が動かなくなって、限界がおとずれた。


 膝に手をついて、ぜーぜーと荒い呼吸を繰り返す。



 やだな――と、思った。



 なにがいやなのか、自分でもさっぱりわからなかったけれど。ただ、やだな――と、そう思った。



     (つづく)




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