気づかなかった初恋
第10話 彼女ができるまで
そろそろ梅雨にはいろうか――という、湿った空気が肌に重くなってきたある日曜日。
「あれってわざとなの? おまえなんかに興味ねえよって遠まわしにいってんの? まさか、ほんとうに気づいてないとかないよね?」
「そのまさかが正解ね」
「そんなバカな!」
「しかたないじゃない。ノブちゃんはそういう人なの。あなたこそお店にかようだけなんて、アピールにもならないようなアピールいつまでもしてないで、好きなら好きってはっきりいえばよかったのに」
「だって! やっぱり告白は男の子のほうからしてもらいたいじゃない」
公園のベンチでメソメソぐずぐず文句をいっているのは、このまえ十五歳になった
「今どきそんなのはやらないでしょう。ほんとうに好きならつまらないこだわりは捨てなきゃ」
忍にとってクラスメイトの彼女は、学校ではただのクラスメイトでしかなく、彼の自宅でもある『喫茶ミモリ』では、ただのお客さんでしかない。そこに『特別』を求めたところで忍には通じない。なにしろ鈍感なのだ。いや、無頓着といったほうがいいのかもしれない。
人のことにはわりと鋭いのに、どうしたわけか、自分のことには察知能力がいちじるしく低下するらしい。
「そんなこといったって! もう、無理よ。友だち紹介してくるなんて……そういうことでしょ」
――まあ、そうだよねぇ……。
さすがに『そんなことない』とは紗菜子にもいえない。
彼女は忍が好きで、だけど忍はそのことにまったく気づいていなくて、さらに忍の友だちが彼女のことを好きで。友だちから仲介を頼まれた忍は、悪気なくふたりをひきあわせたのである。なんというか……悪気がないぶんよけいたちが悪い。罪な男である。
いたたまれなくなった彼女は、ほとんど逃げるようにして忍とその友だちと別れ、泣きながらこの公園を通りかかった。そこでクラスメイトの家に遊びに行く途中だった紗菜子とばったり出会い――現在にいたるわけだ。
「……ごめんね、とり乱して。いろいろ話聞いてくれてありがとう」
「どういたしまして。今度好きな人ができたら自分からいくのね。そもそも、あなたにかけひきなんて無理なのよ。まぁ、相手にもよるんでしょうけど」
「……うぅ。はっきりいうよね、紗菜子ちゃん。おぼえとくよ……」
とぼとぼと帰っていく少女の背中を見送って、紗菜子はくるりときびすを返した。どうして小学生の自分が中学生の面倒を見なければならないのか。まったく、世話がやける。
*‐*‐*‐*‐*
忍の家とおなじ商店街で惣菜店を営んでいる紗菜子の両親は日中忙しい。そのため放課後や週末など、友だちと約束がないときは『喫茶ミモリ』で忍と一緒に過ごすのが紗菜子の習慣になっていた。
忍にとってお店の手伝いは『お小遣いが増える家の手伝い』という認識らしく、小学生のころからお店に立っている。だから紗菜子は、店を手伝う忍を手伝うのである。
いつからそうなったのかはよくおぼえていない。気がついたときにはそれがあたりまえになっていた。
けれどそれも小学校卒業するまでかな――と、なんとなく紗菜子は思っている。あるいは、忍に彼女ができるまで。
紗菜子にとってはお兄ちゃんのようなものだけど、血がつながっているわけではないし、忍は紗菜子に対して少々過保護なところがある。たとえば、彼女とデートの約束がある日に紗菜子が熱を出したりしたら、忍はデートより紗菜子を優先してしまいそうだ。それはたぶん、彼女的にはアウトなのではないだろうか。わからないけど。
そもそも恋ってどんな感じなのだろう。友だちや家族に対する『好き』とはちがうのだろうか。紗菜子には、まだそのへんの感覚がよくわからない。
恋愛ドラマとか少女マンガとかで得た『知識』はある。なんとなく理解もできる。それをもとに年上の片想い少女にアドバイスしたりもする。けれど自分のことになるとまるで想像がつかない。クラスの女の子たちのなかには、すでに『恋』している子もチラホラいるみたいだけど。いつか自分にもそんな日がくるのだろうか。
考えてみたけれど、やっぱり紗菜子には想像がつかなかった。
――ノブちゃんは、どうなんだろう。
世の中には、特に愛想がいいわけでもやさしいわけでもないのに、不思議と子どもに好かれる人とか、特別動物好きというわけでもないのに妙になつかれる人などがいるが、忍もそれとおなじタイプだった。
そう。忍は意外とモテるのだ。
どちらかといえば無愛想だし、女の子に特別やさしいとか親切とかいうわけでもないのだけど、なぜかモテる。だけど本人にその自覚がないせいで、たまに悲劇が起こる。無自覚なまま、いったい何人の女の子を泣かせてきたのだろう。……というのは、さすがにおおげさかもしれないけれど。少なくとも、きのう紗菜子が出くわした片想い少女は泣いていたし、きっとほかにも鈍感な忍に泣いた女の子はいるはずである。
――彼女、つくらないのかな。
それ以前に、恋をしたことはあるのだろうか。
どんな人を、好きになるんだろう。
――ノブちゃんの恋人になるのは……どんな人なんだろう。
「……どうした?」
視線を感じたのか、お客さんが帰ったテーブルをふいていた忍がふと紗菜子を振り返った。
「う、ううん。なんでもない!」
ぷるぷるとかぶりを振って、紗菜子はたたっとカウンターのなかに逃げこんだ。
なんとなく、聞いちゃいけないような気がした。
どうしてだか――顔が、熱い。
その意味も理由も、わからないまま。
そして、鈍感な忍は鈍感なまま。
ゆるやかに、けれどあっというまに月日は流れ――はじめて忍に彼女ができたのは、彼が高校二年生、紗菜子が小学六年生になったころのことだった。
(つづく)
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