第3話 シャッター通りの人間関係

「ひじきの煮物ときんぴらごぼう、それとこれはおすそわけね」


 紗菜子さなこは『商品』のお惣菜と、タッパーにいれた『おすそわけ』の大根とイカの煮物を、元美容師のおばあちゃん理美さとみさんに手渡した。


「まぁまぁ、さぁちゃん、いつもありがとうねぇ」


 もどか市の糸枝いとし町にある、全長二百メートルほどの糸枝町通り商店街。最寄り駅から徒歩二十分弱かかるという立地のせいばかりでなく、再開発によって駅周辺の商業施設が充実したこともあり、商店街への客足は少しずつ少しずつ遠のき、紗菜子が子どものころはにぎわっていた商店街も今では半分以上のお店が閉店してしまっている。

 しかし、店は閉めていても住居としてそこに暮らしている人は多く、またそのほとんどが高齢のおじいちゃんおばあちゃんだ。


 紗菜子の両親がいとなんでいる惣菜屋『おかずの千井ちい』では、おもにそういった近所のお年寄りを対象に配達サービスもおこなっている。『おすそわけ』は、その日に残ってしまいそうなお惣菜があるときに夕方の配達でくばることにしていた。


「さぁちゃん、なにか悩みごと?」

「え……ううん。どうして?」

「なんだか笑顔がぎこちないから。顔色もよくないわ」


 ――……これだもんなぁ。


 うっかりつきそうになったため息をのみこんで、紗菜子はにっこり笑顔をつくった。


「たぶん寝不足のせい。ゆうべは読書に夢中になっちゃって」

「あらあら、だめよぉ。寝不足は美容の最大の敵よ?」

「うん、気をつける。あ、まだ配達残ってるから、またね」


 これ以上つっこまれないうちにと理美さんの家からそそくさと退散する。まったく、商店街の密接な近所づきあいは、こういうときに困る。落ちこんだ顔でも見せようものならもう、四方八方から励ましの声が飛んでくる。半分くらいは詮索もセットでついてくる。ありがたくもうっとうしい。うっとうしくもありがたい。そんなさびれた商店街の人間関係である。

 紗菜子はそれがきらいではない。困ることはあっても、いやだとは思わない。

 けれど、いくら悩んでいようと絶対にいえないことがある。かれこれ五年も妻子持ちの男性とつきあっている――なんて、もし商店街の人たちに知られてしまったら、このせまいコミュニティで今後どんな目で見られるか……考えたくもない。



 *‐*‐*‐*‐*



「おや、さっちゃん配達か。ご苦労さんだね」

「ちょうどよかった。おいしいおまんじゅうがあるのよ」


 行く先々でかけられる声に表情筋を総動員した笑顔でこたえるたび、どうしようもなく気分が沈みこんでいった。


 奈子なこの結婚式からそろそろ一か月がたとうとしている。あの日、紗菜子は馴人なひととの別れを決意した。そのおかげか、披露宴でのスピーチではちゃんと『おめでとう』といえたと思う。

 もちろん、別れる決意は今も変わっていない。だけど、別れられていない。そう、一か月もたつのに、まだ別れられていないのだ。


 努力はした。いや、今もしている。


 紗菜子が『別れたい』と告げたところで、すんなり『はい、おわり』といかないことは最初からわかっていた。それですむなら、五年間もズルズル関係をつづけたりしていない。今回だって結婚式の二日後にはきっぱり告げたのだ。ただ、それを相手に受けとってもらえていない――というだけで。


 直接会ってしまうと流される。というか、このひと月ですでに一度流されてしまった。あれほど『今度こそ』と思っていどんだのに。しかしなにしろ、相手は百戦錬磨のプレイボーイである。かなうわけがなかった。だから、作戦を変えた。まあ、そんなたいしたことではない。単にメールで別れを告げただけである。今回ばかりは紗菜子も本気だった。だから、それ以降は電話もメールもすべて無視していたのだが――。


 会って話せないかぎり納得できない。出てくる気がないならこちらから会いにいく。といってきた。ご丁寧に留守電とメール両方に――である。


 なんというか、ストーカー一歩手前な感じだ。


 会ってしまえば、またズルズルひきずられることになるのは目に見えている。だけど相手は会って話さないと別れないという。それは、会えば彼の思うつぼであることを、彼自身承知しているからこその『条件』だった。


 会いたくない。けれど、商店街に会いにこられてはたまらない。それは、別れを切りだしたときから紗菜子が一番恐れていたことだ。着信拒否にしなかったのも、彼にはすでに住居でもあるお店の存在を知られているからだった。


 八方ふさがりとはこういうことだろうか。


 配達をおえて店にもどる途中。のろのろと自転車をおしながら、その足はいつのまにかしのぶの店に向かっていた。




     (つづく)


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