タイム・スリープ

篠也マシン

本編

 携帯電話のアラームを止める。意識が明瞭になるにつれて、今日も取るに足らない高校生の一日が始まったことを思い出す。

「最低の目覚めだ」

 高校生になった直後は毎日が刺激的だったが、少しずつ新鮮さは薄れていった。僕はとても飽きっぽい性格なのだ。

「時間をスキップできればいいのに」

 求めているのは非日常。高校では体育祭や文化祭といった興味深いイベントが多い。しかし、そこに至るにはドラマのシーンとシーンの間にあるような映像化する価値がない退屈な日々を過ごさなければならない。僕はうんざりした気分で学校へ向かう。

 教室に入り、自分の席へ座る。隣の席を見ると、いつも早く来る友人が来ていない。珍しいこともあるもんだ。

 ホームルーム直前、友人が教室へ駆け込んできた。

「携帯電話のアラームが鳴らなくてね。いつの間にか電池が切れてたんだ」

「それは災難だったね」

 友人と軽口を叩いていると、教師がやって来る。今日も決められた時間割をこなすとしよう。 

 学校が終わり、いつもと違うルートで家に帰る。初めて通る道なので、多少の気晴らしにはなるだろう。途中、小さな店の前で足を止める。看板には『時計屋』と掲げられている。扉がすりガラスのため、中はよく見えない。

 友人が遅刻しかけた理由を思い出す。僕も携帯電話のアラームが鳴らない経験があった。目覚まし時計でも買っておこうか。

 扉を開けると、店内の光景に思わず息を飲む。僕を出迎えたのは、数々の美しいアンティーク時計だった。身なりの良い中年の主人が顔を出す。

「いらっしゃいませ」

「すいません。アンティークの専門店とは思わなくて」

 僕は頭を下げる。学生相手のお店ではないだろう。

「当店は誰でもウェルカムです」

 主人は優しい笑みを浮かべ、言葉を続ける。

「それに、時間について悩みがあるとお見受けします」

 僕は驚く。

「どうして分かるんですか?」

「時間を扱うことが生業ですので」

 主人は変わらず優しい笑みを浮かべている。


「なるほど。つまらない日常に飽き飽きしていると」

「はい」

 僕は自分の悩みを話す。初めて通る道、初めて入る店、いつもと異なる体験が僕を饒舌にしたのかもしれない。主人は少し考えた後、店の奥から古びた置き時計を持ってくる。その上部には二つの小さなベルがついている。目覚まし時計だろうか。

「これは時間をスキップできる目覚まし時計です」

「はい?」

 思わず聞き返すが、主人は真剣な表情で説明を続ける。

「ベルを鳴らす時間をセットする時、将来起こる出来事を強く念じてください。すると、その出来事が起こる日に目覚めることができます」

 僕は苦笑する。

「そんな話を信じるとでも?」

「使って頂ければ嘘ではないことが分かります。それにあなたは目覚まし時計をお探しなのでは?」

 主人は再び僕の心を読む。さりげなく示された価格は、今の手持ちでぎりぎり払える額だった。

「もし買うと、財布が空になってしまうのですが」

「ご心配には及びません」

 主人は最大級の笑みを浮かべる。

「この時計を使って、お小遣いがもらえる日までスキップすれば良いのですから」

 結局、僕は目覚まし時計を購入した。主人の言葉の真偽はさておき、今日の不思議な体験はなかなか刺激的だった。僕は強く念じながら、古びた目覚まし時計のベルをセットする。

『次にお小遣いをもらえる日に起こしてくれ』

 お小遣い日まで一週間。主人の言葉を少しばかり信じてみようか。


 目覚まし時計のベルを止める。寝ぼけ眼でカレンダーを見た瞬間、僕は大きく目を開く。

「今日はお小遣い日だ」

 まさか本当に時間がスキップするなんて。呼吸が荒くなり、思わずその場に座り込む。

「落ち着け。これこそ君が求めていたものじゃないか」

 僕は僕に語りかけ、ゆっくり呼吸を整える。この一週間に起こった出来事を脳内で検索する。記憶はある。ただし、他人の自伝を読んでいるような不思議な感覚だった。

 それから僕は目覚まし時計の力を試した。体育祭の次の日は文化祭。文化祭の次の日は正月になった。スキップしている間の記憶はあるので、どのイベントも問題なくこなすことができた。最初感じた戸惑いは薄れ、僕は時間をスキップすることが止められなくなっていった。

 そして、あっという間に高校三年生になった。

「まさか三年間一緒のクラスになるなんてな」

 一年生の時に隣に座っていた友人から声をかけられる。友人は続ける。

「俺は卒業したら家業を手伝うつもりだ。君はどうするんだ?」

「僕は都会の大学に行こうと思っている」

 こんな小さな街で一生を過ごす人生なんてごめんだ。

「なら俺達の友情も三年間でお終いだな」

 友人の冗談に僕は笑う。『本当は一年も一緒に過ごしていないよ』と僕は心の中で答えた。

 その日の夜、次はどこまでスキップしようかと悩んだ。体育祭や文化祭はもう十分楽しんだ。受験は大きなイベントだが、日々の勉強や試験を受けるのはとても面倒だ。

「となると、大学の入学式か」

 みんなが寝る間も惜しんで勉強する中、僕は寝るだけでそこに辿り着くことができる。何とも皮肉めいた話だ。


 目が覚めると、見知らぬ部屋にいた。記憶を辿ると、都会の大学に合格したことが分かった。ここは、大学へ通うために借りたマンションの一室らしい。

「人生がこんなにスムーズに進むとはね」

 まるで長年連れ添ったペットを扱うように、目覚まし時計を優しく撫でた。

 都会の景色はどれも目新しく、大学で新しい人間関係を作ることはとても興味深い日々だった。しかし、日を追うごとにどこか物足りなさを感じるようになった。定期的に訪れるイベントとその間を埋める講義。大学も高校も本質は変わらない。

「もう大学生活は十分楽しんだよな」

 この先、僕を待っている社会人生活。それこそが僕の満たされない気持ちを埋めてくれるはずだ。


 目が覚めると、僕は大手の商社に就職していた。雑務ばかり押しつけられる数年間をスキップすると、責任ある仕事を任されるようになった。そして美しい容姿の女性と結婚し、広々としたマンションを購入。そこで物語のエピローグのような穏やかな日々を過ごした。

 部屋の窓から都会の夜景を眺め、僕は小さな笑みを浮かべる。人生で初めて満足感というのを味わっていた。

「あなた、そろそろ部長に昇進できるのかしら」

 妻の一言にはっとする。僕はもっと先へ進める人間なのはずなのに、何を満足していたのだろう。

「話は出ているよ。ただ、なかなか上の席が空かなくてね」

「あら、しぶとい人たちね」

 妻がため息をつく。僕にはまだ彼らを引きずり下ろすほどの力はない。だが数年後にはきっと――。

「久しぶりに使うか」

 妻が振り返る。

「何か言った?」

「いや、何でもないよ」

 僕は妻の髪を優しく撫でる。

『昇進する日に起こしてくれ』

 寝室にある目覚まし時計を手に取り、強く念じる。そして僕は深い眠りについた。


 目覚まし時計のベルを止める。意識が明瞭になるにつれ、異常な事態が起こったことに気づく。

「ここはどこなんだ!」

 目の前に広がるのは古びたアパートの一室。カレンダーを見ると数十年経ってることが分かった。混乱する気持ちを落ち着かせ、古い記憶を辿っていく。

 あの後、昇進を焦った僕は成績を伸ばすために不正を繰り返した。そのことが会社にばれて解雇。ほどなく妻から別れを切り出され、慰謝料を支払うためにマンションを手放すことになった。不正を働いた人間を雇う職場は少なく、日雇いの仕事を転々とするしかなかった。

 今の職場は僕の経歴を気にせず雇い続けてくれたようだ。そして長年の功績が認められ、非正規雇用から正社員へと昇進することになったのだ。

「こんなの間違っている」

 もし実際に辛い日々を過ごした僕ならば、今日という日をどれほど喜んだことであろう。しかし、僕は違う。こんな場所で過ごすために時間をスキップしたわけではないのだ。

 呆然としたまま、目覚まし時計の針がゆっくりと右へ回るのを眺める。時間が進むのは常に一方向。どれだけ念じても時計の針は左へ回らない。

 僕はふと思う。時間が戻らないのであれば、この人生が終わるまでスキップしてみるのはどうか。いや、さらにその先――。

「もう一度生まれるまでスキップしてみよう」

 素晴らしい思いつきに口元が緩む。生まれ変わりを信じているわけではないが、このままつまらない人生を終えるよりはるかにましだ。

 僕は目覚まし時計のベルをセットし、再び眠りについた。


 目が覚めると、そこは病室だった。ふいに誰かの声が聞こえる。

「元気な男の子ですよ」

 僕は自分の体をゆっくりと確かめる。小さな手足が小さな体についている。僕は赤ん坊になっていた。

『最高の目覚めだ』

 僕は叫んだ。それは赤ん坊の泣き声に変換され、世界へ響いた。僕は賭けに勝ち、生まれ変わることができたのだ。ふいに僕の新しい両親の顔が見えた。前世の両親と瓜二つで、少し感慨深い気持ちになった。

 それから僕は家族や周りの人々の愛情を受け、幸せに過ごした。毎日繰り返される日常が、こんなにもかけがえのない日々だとは思いもしなかった。今度こそ毎日を懸命に生きよう、僕はそう決意した。

 しかし、年を重ねる事に覚える違和感。強烈なデジャヴ。全てが前世の記憶に似ている。いや、全く同じと言って良い。そして高校生になった時、あの店で再び古びた目覚まし時計を手に入れ、僕は時間をスキップしてしまうのだった。

 僕はようやく悟った。これは生まれ変わりではない。死ぬ直前に見ている走馬灯なのだと。

 意識が現実に追いつくと、僕は昨日と変わらず古びたアパートにいた。目覚まし時計のベルが鳴っていたが、僕にはベルを止める力さえ残っていなかった。でも気にする必要はないだろう。もうじきこの音は聞こえなくなるのだから。

 僕はゆっくりと目を閉じ、深い眠りについた。

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タイム・スリープ 篠也マシン @sasayamashin

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