第26話 ワーク スケジュール ④


「では、先に霧生院斗羽利さんから撮影を始めます、こちらへどうぞ」



 瑠璃さんに連れられてやってきたのは、銚子海水浴場の一角。そこには撮影用のビーチパラソルとデッキチェアが置かれており、まるでバカンスを楽しむかのような光景が広がっていた。どうやらここで、僕達の写真を撮るらしい。



「枢木さんと紫吹……じゃなかった。蕗村さんは、あちらの更衣室で水着に着替えてきてください」



 あちらと言って瑠璃さんが指しさしたのは、銚子海水浴場を管理・運営する自治体が用意した公共の施設だった。昨今の夏、特に七月から九月にかけて海水浴を楽しむ上でルールを守らない人達が増えているらしく、自治体がこうして目を光らせ取り締まりを強化しているとのこと。今回はそんな自治体の方々の協力もあって、写真撮影が可能になったと秦泉寺さんから聞かされた。



 服を着た人が入って、水着姿の人達が出てくるところを見ると、瑠璃さんの言う通りみんなあの建物の中で着替えているのが理解できた。



「あの……瑠璃さん、もしかして私も水着に着替えるんですか?」


「え、違うんですか? 私、てっきりお二人の水着写真を撮るものだと……」


「ちょっと! 貴女、撮るなら早くなさい!」


「す、すみません! 今すぐ撮りまーす!」



 斗羽利に急かされて、瑠璃さんは行ってしまった。



「秦泉寺さん、この場合……私はどうしたらいいんですか?」


「ユニットで活動していく以上、二人の水着写真は必要だわ」


「でも僕は男なんですよ! さすがに水着は……リスクが高過ぎます!」


「わかってるわ。でも、これも仕事よ。私も可能な限りフォローを入れるから、ここは一肌脱ぐ覚悟を決めなさい!」



 秦泉寺さんの顔が、僕の目の前にグッと迫ってくる。暑さによる影響で滲みだした汗が、秦泉寺さんの厚化粧を崩壊させていた。



「自信を持ちなさい! あなたは誰が見ても女の子、アイドル蕗村咲なのよ!」



 アイドル蕗村咲、それは僕を女の子に変えてくれる魔法の言葉だった。

 暗示のように自分へ言い聞かせてみるが……、こればかりは受け入れられない!



 脱いじゃダメだ! 

 脱いじゃダメだ! 

 脱いじゃダメだぁ――――――っ!



「ほら、咲。早くあっちで着替えようよ!」


「まっ、待って夏向。わた、わた、わたしは……」


「咲の水着、私が選んであげるから! だから私の水着は咲が選んでよ!」


「えぇ―――っ!」



 意気揚々と更衣室のある建物へ駆けていく夏向に引きずられ、僕は公共の更衣室に上がり込んだ。建物の中を見渡すと、撮影関係者はこちらです――と書かれた立て看板を発見する。立て看板の奥には部屋があり、中には撮影のために用意されたと思われる水着が所狭しと並んでいた。



「ほら咲! 着替えちゃうんだから、服を脱いで脱いで!」


「なななっ!?」



 部屋の中に入った途端、周囲に自分達しかいない事を確認した夏向はおもむろに服を脱ぎ捨てる。



 これが、僕の心臓にとどめを刺した。

 いくらなんでも、下着姿で水着を物色しているのは刺激が強すぎた。



「ほら、咲にはこの水着が似合いそうだと思うんだけど!」


「う、そう……かなぁ~……」



 夏向の右手にはスカイブルー色と白が構成する水玉ビキニ、左手には胸の中心で結び目を作る黒いホルターネックの水着が握られていた。



「もう、咲ってば! ちゃんとこっちを見てよ!」


「む、無茶言わないでっ!」



 な、なんて事を言い出すんだ、この子は! 

 そんな格好で今の言葉を言うなんて、痴女発言にも程がある……いや、夏向が僕のことを女と信じているから、当たり前といえば当たり前なのだが。



 だが僕は、あんな水着を着るのは無理だ。

 自分が女の子の服装しているのは……、まだ割り切って考えられないこともない。だが水着を着るのは受け入れ難い、男と女の体の作りは部分的に違うのだ。



 そう……本来膨らんでいなければならない場所が〝逆〟なのだ! 



 女は上半身、男は下半身、一目でバレちゃうよ!



「あ、この柄カワイイ! ねぇ、咲もそう思うよね?」



「う……ん。いい……と、思う……よ……」



 夏向が一言何かを言う度に、僕は肝を冷やす。冷房が効いている部屋なのに、全身から流れ出す汗が止まらなかった。



「もう、咲ってば。私の質問に対して反応が薄いんだからぁ。それに私の水着、ちゃんと選んでくれてるのぉ?」


「水着……うん……、ちょっと待ってね……」


 下着姿の夏向とは距離を置いて、僕は彼女に着させる水着を探すことにした。

 競泳用の物から、まるで紐かと思うような大胆なものまで多種多様な水着が取り揃えられている。そんな水着のバリエーションの豊富さに、僕の心はいつの間にか引き込まれていた。



「夏向に似合う水着、か……」



 下着姿に動揺してすっかり忘れていたが、僕達がはるばる東京からここまでやってきた目的は写真撮影である。そして今の僕が成すべきことは、枢木夏向を引き立てる水着を選ぶこと――。

 僕は頭のマネージメントスイッチを起動させ、彼女の水着を選び始めた。



「夏向、お待たせ。水着、選んできたよ」


「ほんと!」



 僕は夏向に一番似合いそうな水着をチョイスした。

 一般的にパレオを呼ばれるそれは、腰辺りに巻きつけるように着こなすスタイルの水着である。亜熱帯の雰囲気や南国のビーチを思わせるパレオが、夏向にピッタリだと思ったのだ。


 そしてパレオの柄と色にもこだわりを持たせた。

 黒の下地に、赤のハイビスカス。他にもいくつか目に付いたものはあったが、僕はこの組み合わせが一番だと思った。



「わぁ~、これ! すっごく良い!」


「そ、そう……気に入ってもらえて、よかった。早く着替えてきてね……」


「うん! 咲も早く水着に着替えて、撮影に行こうよ! ほら、これが私の選んだ水着だよ。フリルのついたビキニ、かわいいでしょ?」


「う、うん……そうだね。私によく似合いそう……」



 夏向から受けとった水着を見た僕は、口角を無理やり曲げて答える。

 男の僕がビキニを着るなんて、あってはならないことだ。しかしこの水着が僕に似合わないとは思っていない、だからこの感想は嘘ではなかった。



「じゃあ、私は後で行くから……夏向は先に着替えに行って――」


「ダメ、二人で一緒に着替えるのっ!」


「一緒っ!?」


「今ここには私と咲しか居ないし、お互い一緒に着替えても問題無いでしょ?」



 大問題だよっ!

 


 頑として譲らない夏向を前に、この状況をどう切り抜けたものかと天井を見上げる。早く解決策を見つけないと、夏向は今にも僕の服をひっぺがしかねない。



「せ、せめて一人で着替えさせて! 私、誰かに肌を見られるのって……恥ずかしすぎて耐えられないの!」



 一緒に着替えるという夏向の提案を、男の僕が受け入れられる筈もない。女の子、それも枢木夏向の裸体なんて見てしまったら……僕は確実に昇天してしまう。

 まぁ……それはそれで、「我が人生に、一片の悔い無し!」ということではあるのだが、まだ死ぬわけにはいかないのだ!



「咲、肌を見せるのはたしかに恥ずかしいことだけど……徐々に慣れていかなきゃアイドルの仕事は務まらないよ」


「そ、それは……そうかもしれないけど……」


「それに私、これもいい機会だと思うの。これから頑張っていくパートナーとして、お互いに一歩踏み込んだ……その、いわゆる裸の付き合いっていうのを……」


「はっ、裸のつきあっ――」



 いかがわしい妄想の臨界点が、ついに突破された瞬間だった。

 ただでさえ下着姿の夏向を前にギリギリの自我を保っていたのに、その彼女から裸の付き合いをしようと言われてしまっては……立っているのも不可能だった。


 その場に尻餅をついてしまい、ドンッという音が耳に響く。

 しかし、打ち付けたはずのお尻の痛みなんてわからないくらい、僕の意識は朦朧としていた。



「は……はらか……、はらかの……つき……はい……」


「ちょ、咲。もう、顔真っ赤にしちゃって……呂律も回ってないみたいだし。もしかして熱中症? でも丁度良いし、このまま服脱がして着替えちゃうよ~」



 だめだ、今の僕には……夏向に抗う術がみつからない。

 このまま服を剥ぎ取られ、言いわけのしようが無い罪を僕は……彼女に……。



「二人共、さっきの物音はいったいって、何をやっているあなた達――――っ!」



 秦泉寺さんの声が聞こえた気がして、僕の意識は覚醒した。



「なにって、お互いの親睦を深める意味で裸の付き合いを――」


「咲は恥ずかしがり屋なの、それも同性に素肌を見せられないくらいに!」


「それは、わかっていますけど。でも恥ずかしいままじゃ、今後の仕事に差し支えが出てしまいます。だから今からこうやって、少しでも慣れていかないと……」


「――そうねぇ、夏向にちゃんと説明していなかった私も迂闊だったわ」


「じん、ぜんじ…さん?」

 

 

 何をするつもりだ、説明って……まさか……。

 夏向に、僕の秘密を告げるんじゃ!



「覚えてる、夏向。蕗村さんの――いえ、あの時はまだ紫吹さんだったわね。彼女の家に伺って、アイドルになって欲しいと頼み込んだ時のこと」


「は、はい。それは勿論……」


「その時、紫吹さんのお母様から条件を出されたの。娘をアイドルにする代わりに、絶対に誰も娘の裸を見せないで欲しい……と」


「そ、そうだったんですか!」



 え、そうだったんですか?



 秦泉寺さんは唐突に、僕の身に覚えのない話を持ち出してきた。

 しかし彼女が僕に向けて目配せをしてきたことで、全てがこの場を脱する作戦だという事を理解する。



(分かるわね、蕗村さん。今は……)

(はい、秦泉寺さん!)



 以心伝心――、夏向を挿んでアイコンタクトによる僕と秦泉寺さんの会話が確かに成立していた。



「だから夏向、その親切心は蕗村さんを苦しめかねないの。聞き分けられるわね」


「は、はい。ごめんね、咲。私またあなたの心に土足で踏み入るようなことを」


「そんなことないよ、夏向。夏向が謝る必要なんて、ないんだから……」


 本当は僕の方が謝らなきゃいけないんだ、今も夏向を騙しているんだから。

 でも言えない、言っちゃいけないんだ。言えばそこで、僕と夏向のアイドル生活は終了してしまう。苦しいけど、耐えろ。

 悲しいけど、それが僕の選んだ道だろ……紫吹肇っ!



「夏向、今はまだ恥ずかしいけど……いつかちゃんと克服するから! だから、その……それまで待っていてくれる……かな?」


「勿論だよ! だって私達、パートナーじゃない!」


「ありがとう、夏向!」


 その後、パレオに着替えた夏向を見送って、僕は自分が着る方の水着を探し始める。せっかく夏向に選んでもらったけど、こんな布面積の少ない装備で人前に出るのは不可能だ。やはり、できるだけ肌の露出が少ない水着が望ましい。



「……よし、これだ! これしかない!」



 部屋探索した結果、僕は自分に課せられた条件を満たす水着を見つけることに成功した。



「お待たせ、夏向!」


「……えっと、咲。その格好……は……?」



 僕が選んだ水着は、ラッシュガードと呼ばれる代物だった。色は黒一色、水着なのに長い袖があって羽織るように着込んだそれは、紫外線対策や日焼けを意識して着る人が多いらしい。胸元もパッドを使って人工的に若干の膨らみを作っているので、女性と見えなくもない。苦肉の策ではあったが、これもれっきとした水着――決してダイバースーツではない。



「蕗村さん、あなた……」



 タイミングよくやってきた秦泉寺さんがは、出会い頭に「その水着はNGよ、今すぐ着替えてきなさい」と低い声で言い放った。



「え、でも秦泉寺さん。私は……」


「着替えてきなさい!」


「は、はいっ!」


 フォローするって言ってくれたのに……、僕は秦泉寺さんに言われ慌てて水着のある部屋に戻るのだった――。

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