第25話 ワーク スケジュール ③


「なんとか……時間までに到着できたね……、銚子海水浴場……」



「うっ……、そ……そう……だね……」


 スタジオを出て、高速道路を走ること二時間――。

 僕と夏向は、無事に銚子海水浴場に到着した。秦泉寺さんは、不可能とも思われたミッションをやり遂げたのである。僕の精神は無事ではないが、例の如く秦泉寺さんの運転はクレイジー極まりなかった。何故あの超スピードを二時間近くも維持できるのか……わけがわからない。

 これが帰りにも待っていると考えると、今から憂鬱だった。



「ほら、咲! 見てみて、みんな水着で泳いでる!」



 車を降りた夏向は、声を弾ませて指をさす。

 そこにはビーチサンダルを履いたアロハなおじさん、麦わら帽子をかぶったマダム、浮き輪を腰に巻いて駆けていく女の子……などなど、いかにもこれから海を満喫しようという人で溢れていた。



「やっぱり、夏と言えば海だよね!」


「う、うん……そうだね……」



 夏向には申し訳ないが、いくら目の前が海水浴場で水着のお姉さんが視界に入ってきても、今の僕のテンションは一ミクロンも上がらない。車中で起こった悲劇を乗り越えるには、まだずいぶんと時間がかかりそうだった。



「秦泉寺さん、写真を撮影してくれる方は……まだ着いていないんでしょうか?」


「いえ、ついさっき連絡があったわ。ここで待っていれば、向こうが見つけてくれるはずなんだけど……」


「ここでって……こんな駐車場のど真ん中で、本当に見つけてくれるんですか?」



 周囲を見渡す僕の目に映るのは、海水浴にやってきたファミリーカーだ。数多く駐車している車の中から僕達を見つけ出すことなんて、本当に可能なのだろうか?



「すみませーん、急に無理を言って来ていただいてぇ~」



 水平線を眺めていると、僕の耳にそんな声が聞こえてきた。声の方へ首を傾けると、三つ編みヘアーを揺らす背の高い女の人が目に留まった。



「あなたが、さっき連絡をくれた方かしら?」


「はい! 急なスケジュール変更を快く承諾してくださって、本当にありがとうございます。どうやら台風の影響で、予定していた日の撮影は無理だろうということになりまして……」


「屋外の、それも海岸部での撮影ですし……仕方がありませんわ。それはそうと、申し遅れました。私、枢木夏向と蕗村咲のマネージャーしております秦泉寺明菜と申します。改めまして、本日はよろしくお願いします」



 軽い会釈をすると、秦泉寺さんは胸の内ポケットへ手を伸ばす。

 そして取り出した銀のパスケースから名刺を一枚手に取ると、向かい合った女性へ差しだした。



「これは、ご丁寧に……ありがとうございます。私は今日の撮影を担当いたします、フォトクリエイト社の加賀瑠璃といいます」


「えっ!?」



 僕は、撮影してくれる女の人の名前を聞いて思わず声を上げた。



「か、加賀……瑠璃……さん?」


「はい、今日はよろしくお願いし……あれ? あなた、確かどこかでお会いしたことがあるような……」


「お会いしてます、静岡でっ!」


「静岡でって……、あぁ! その細くてしなやかな足、抱き心地の良さそうな体……紫吹さん!? ななな、なんでっ!? どーして!?」



 瑠璃さんは紫色の瞳を大きく見開くと、僕の肩を掴んで激しく揺さぶってきた。

 ヤバイ、秦泉寺さんの運転で弱りきった体に、この揺さぶりはキツイ……。



「は、話せば長くなるんですが……実は私、枢木夏向の相方アイドルを……」


「ちょっと、貴女いつまで待たせますの。早く私様の撮影を……あら?」



 瑠璃さんに状況を説明する僕の前へ現れたのは、状況をさらに悪化させかねない人物だった。



「なんで貴女達がここにいますの? 今日は新曲の練習で、一日中スタジオにこもると聞いていましたのに……」


「き、霧生院斗羽利!」


「先輩をつけなさい、先輩を!」

 


 僕よりひと回りもふた回りも小さな女の子は、長いブロンドヘアーを靡かせ怒鳴ってきた。ビキニを着ているにも関わらず真っ平らな胸元、そして無駄な脂肪を全くつけていない腰のライン。

 薄着になった彼女は、見た目以上にその幼さを引き立てていた。



「斗羽利も、こっちで水着の撮影だったのね」


「えぇ。到着して間を置かず水着に着替えさせたにもかかわらず、いつまで経っても呼びに来きませんので様子を見に来てみれば……貴女達が視界に入ったというわけですの」


「急遽撮影の日が変更になったらしくて、私達も今ここに到着したばかりなのよ」



 何故僕達がここにいるのかを、秦泉寺さんは斗羽利に説明する。瑠璃さんから日程の変更を聞かされた時間と今の時間を差し引いて考えれば、斗羽利にも僕達が不可能を可能にした事が伝わったらしい。



「……相変わらず明奈は仕事の為に走り回ってますわね。その熱意は認めますけれど、貴女が運転する車には絶対に乗りたくありませんわ……」



 斗羽利は呆れたような表情を浮かべてその言葉を口にしたが、僕もこの時だけは彼女の意見には激しく同意してしまった。



「紫吹さん……じゃなかった、今は蕗村さんでしたね」


「はい。なんだかすみません、ややこしくて……」


「いえいえ、全然構いませんよ! でもまさか、こんな形で再会できるなんて思ってもいませんでした。やっぱりあなたとは、運命めいた物を感じちゃいます!」


 瑠璃さんは僕の耳元に唇を寄せてくると、そんなことを囁いた。

 息使いが荒いこともあり、その声がやや艶かしく聞こえてしまう。

 静岡で出会った時も、そう言えばこんなことがあった。瑠璃さんは人の耳元で声を囁く癖みたいなものを持っていたことを、今更ながら思い出した。



「むー、咲! 私にもこちらのカメラさんとの関係を教えてよ――っ!」


「う、うん。実は私と瑠璃さんが知り合ったのは……」



 ここぞとばかりに腕を組もうと迫ってくる夏向をヒラリと交わして、僕は瑠璃さんとの馴れ初めを語り始めるのだった――。

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