第24話 ワーク スケジュール ②
事務所を出て車で走ること数分、レコーディングスタジオと呼ばれる建物は、そう遠くない場所にあった。秦泉寺さん曰く、菊池原プロダクションに所属するアイドルは、基本このスタジオで歌の練習をしているらしい。
スタジオの中へ入ると、昨日事務所で出会った女の子達とすれ違った。
「「蕗村さん、おはようございまーす!」」
「お、おはようございます……」
彼女たちの元気な挨拶に若干気圧されながら、僕も挨拶を返した。
第一印象というものは、やはりアイドルにとって大切なことの一つなのだろう。
見た目以上に、アイドルの声量や声色は聞く者に影響を与えるのだ。
第三スタジオと書かれた部屋の中へ消えていった彼女たちを見送った僕は、ふとそんなことを思ってしまった。
「どうしたの、咲? さっきの子達のことが気になるの?」
「うん。ちょっと、ね……。あたり前だけど、私もさっきの女の子達と同じアイドルになったんだから、しっかりその自覚をもって行動しなきゃいけないなって」
「その気持ちはとっても大切よ、蕗村さん。ほら、夏向も見習いなさい」
「わ、私だって見られている意識は常にしていますよぉ! ちゃんと先輩アイドルとして、咲に色々教えてあげなきゃいけない立場なんですから!」
「あら、それは殊勝な心掛けね。それじゃあ先輩として、蕗村さんにスタジオの中を案内してもらえるかしら?」
「お安いご用です。それじゃあ、まず――」
秦泉寺さんの言葉を受けて、夏向は廊下の先に見える部屋を指差した。
「この建物は1階から3階まで十五部屋あって、あそこの第一スタジオから第五スタジオまでを私達菊地原プロダクションのアイドルが使ってるの。2階より上のスタジオは他事務所のアイドルの方が使っているので、あまり立ち入ることの内容にしてね」
「他の事務所のアイドルが……うん、わかった」
「あと、スタジオ内は飲食厳禁なので喉が乾いたら外に出て飲むこと。前に他事務所の子がお菓子食べてるのが見つかっちゃって、それ以来その事務所はスタジオ出入り禁止になったんだって」
「もっ、勿論気をつけるよ。お菓子は持ち込まないし、飲み物も飲まない」
ちょっとした出来心が、取り返しのつかないことを引き起こす。
何かあってからじゃ遅いのだ、事務所の迷惑になることは当然として、夏向にも迷惑はかけられない。
「さて、それじゃあ私たちもスタジオに入りましょうか。二人のデビュー曲、早く聴きたいでしょ?」
「「聴きたいです!」」
僕と夏向は同時に言うのだった。
「これが、私と夏向が歌う曲……」
防音設備が整ったスタジオへと案内されて、僕と夏向は二人で歌うデビュー曲を聴いていた。一つのヘッドフォンを二人で使いながらなので、夏向と僕の距離は自然と近くなっている。胸の鼓動が速くなっていくのを感じつつも、耳に入ってくる音楽はそれに引けを取らない疾走感を持っていた。
「テンポが速くて、カッコイイ曲ですね!」
それは、曲を聴いた僕の率直な感想だった。
夏向がこの一年で歌った曲は、僕が知る限り十二曲。どれもがノスタルジックな曲や、しんみりと心に染み込んでくるメッセージソングだ。アップテンポで爽快感のある曲は、夏向のデビュー曲『Love ×Love ×Sun Shine』しか聞き覚えがないが、この曲はそれを遥かに上回っている。
「ユニット初の曲ということで、ファンの方には二人の印象を強く持ってもらおうというコンセプトを元に作ってもらった曲なの。これまでの夏向の良い部分を残しつつ、蕗村さんが加わったことで新しい旋律が二人の未来を祝福してくれている。文句無しの、デビューにもってこいの曲だと思うわ」
僕も秦泉寺さんと同じ感想を抱き、首を縦に振って見せた。
「繰り返し聴きながら、リズムとメロディーを体に馴染ませていってちょうだい。歌詞については、作詞した先生が――」
ピピピピピッ ピピピピピッ
そんな最中、秦泉寺さんの胸ポケットから電子音が鳴り出す。
ポケットから取り出した携帯電話のボタンを押して、そのまま耳にあてた。
「はい、秦泉寺です……はい……はい……えっ!? 今から……ですか? 場所は……わかりました、すぐに向かいますっ!」
何やら驚いていた様子をしているように見受けたが、区切りがついたのか秦泉寺さんの話は終わったようだった。
「秦泉寺さん、どうかしたんですか?」
「二人共、申し訳ないんだけどスケジュール変更よ。急な撮影が入ったわ」
「急な撮影、ですか……」
どうやら電話で話していた相手は仕事の、それも撮影関係者らしい。
予定はあくまで予定だと昨日聞かされていただけに、スケジュールの変更は常に起こりうるのだと覚悟していた。しかし、まさかアイドル生活二日目にして起こってしまうとは、さすが芸能界だ……。
「場所はどこですか?」
「銚子海水浴場、十三時から撮影開始するって言われたわ」
「十三時って、あと二時間しかないですね」
スタジオの壁に取り付けられているデジタル時計は、丁度十一時を指していた。
「銚子って、聞いた事の無い地名ですけど遠いんですか?」
場所が気になったので、僕は何気なく訊ねてみた。東京に来てまだ二日目の田舎者には、地名や距離感に対する認識なんて無いに等しい。
「千葉県よ」
「千葉っ!?」
秦泉寺さんの言葉は、僕の思考の斜め上を行くものだった。東京都内だと思っていたら、まさかの県外である。
「しかも銚子は千葉でも相当東の方、電車で向かっても軽く三時間はかかるわ」
「二時間でなんて、絶対に無理じゃないですか!」
「いいえ、私の運転なら間に合うわ。品川から愛媛の道後温泉まで行って、日帰りで帰ってきたことあるから安心しなさい」
「なるほど、それを聞いて安心……出来るわけないよ! スピード違反だよ!」
どうやら秦泉寺さんは、この不可能ミッションに挑むつもりらしい。
おかげで僕は、あの絶叫アトラクションを再び体験することが確定した。
「ここで話をしている時間が惜しいわ。二人共、とにかく行くのよ!」
「はい! 咲、何してるの。早く行こうよ」
「嫌ぁ、絶対に嫌だぁ――――っ!」
十分でも辛いのに、それが二時間続くなんて……精神と肉体が耐え切れるはずがないと身体が拒否反応を起こし始める。しかし目から溢れ出した涙を拭う間も無く、夏向に手を惹かれた僕はスタジオを後にした――。
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