第19話 パートナー ①

 テレビ局までどうやってたどり着いたのかは覚えていないが、僕は生きていた。

 遊園地にある絶叫アトラクションと比較しても遜色ない乗り物に、僕はついさっきまで乗っていたのだ。


 車から降りても、まだ恐怖から解放された実感が掴めず体が震えていた。

 思い返すと、あの疾走感がジワジワと蘇ってくる。


 前方を走る乗用車や大型トラックを次々に追い抜いていき、我が物顔で道路を爆進する秦泉寺さんの顔は実に晴れやかだった。何故笑っていられたのか理解に苦しむが、無事に五体満足で到着しただけでも奇跡と思うことにしよう。



「急ぐわよ蕗村さん。局の中の案内は今度するから、今は私についてきて」


「は、はい!」



 急かされるまま、僕は秦泉寺さんの後に続く。

 テレビ局の中を歩くなんて、人生で初めての経験だった。

 しかも、全国に電波を飛ばす放送局【鷹テレビ】の中なのだ。


 廊下の壁には局で放送されているテレビドラマのポスターが張り巡らされており、宣伝に力が込められているのが見て取れた。


 エレベーターに乗り込むと、秦泉寺さんは【9】と書かれたボタンを押した。どうやら目的の場所は9階らしい。



「高速を使ったお蔭で、思ったより時間に余裕が出来たわ。これなら打ち合わせに充分間に合うわね」


「そ、それは良かったです……」



 高速と聞いただけで、体が条件反射の如く震え上がってしまう。

 余程の緊急事態でない限り、あの体験はもうしたくない。



「おぉ、秦泉寺くん。おはよう!」



 9階に到着したエレベーターを降りると、秦泉寺さんはお腹の膨れただらしない体型のおじさんから声をかけられた。



「おはようございます、社長。打ち合わせの準備はどんな具合でしょうか?」


「みんな、オフィスに集まっとるよ。あと来ていないのは斗羽利くんだけだ」


「もう、またあの子は……」


「まぁまぁ。ところで記者への連絡とカメラマンの手配は問題ないだろうね?」


「それはバッチリです。私の知る限り、腕利きの人材を用意していますから」


「はっはっは、それは何とも心強い。この会見と新ユニットの発表は、きっと大きな話題となるからなぁ」



 鼠色のスーツにゼブラ柄のネクタイを巻いた、頭頂部が薄くなっているこの人が、僕の所属することになる事務所の社長らしい。とんでもなく偉い人だという事は分かっているのだが、その風貌からは威厳なんて微塵も感じられなかった。



「ところで秦泉寺くん、そっちの子が例の?」


「はい。蕗村さん、社長へ自己紹介を」


「ふっ、蕗村咲です! きょっ、今日からよよよろしくお願いしますっ!」



 かっ、カミカミだぁ――っ!

 


 いくら緊張しているとは言え、これからアイドルとして活動していこうとする人間が、自己紹介で噛んでしまうとは情けない限りだ。

 自己嫌悪に苛まれつつ、僕は下げていた頭を上げて社長に向き直った。



「ふむ。よろしく。私は君や夏向くんの所属するアイドル事務所で代表取締役をしている菊地原義信(きくちはら よしのぶ)だ。緊張していると思うけど、肩肘張らず自然な感じで居てくれたまえ」


「がっ、頑張ります!」



 菊地原社長から肩をポンッと叩かれて、僕は気持ちを引き締め直す。

 期待されている以上、相応の結果で返さなければならない。ヒヨッコとはいえ、僕はもう芸能事務所のアイドルなのだから。

 

 その後、僕は秦泉寺さんと社長の後に続き、打ち合わせの行われるオフィスへ辿りついた。



「さぁ、入りたまえ蕗村くん。アイドルとして歩み行く君の物語が、この扉の先で待っているよ」


「は、はい!」



 菊地原社長の言葉に背中を押されて、僕はドアノブを握り込む。

 そしてゆっくりと手首を回し、部屋の中へと踏み入れた。



「蕗村さん! 秦泉寺さん! おはようございます!」


「くっ、枢木夏向先輩っ!?」



 これは、完全に不意打ちだった。

 まさか扉の先で枢木夏向が待ち構えていただなんて……。


 エアコンの効いたオフィスの中、彼女は満面の笑みを浮かべて僕の元へと駆け寄ってくる。



「先輩だなんて、そんな畏まらないで大丈夫ですよ。同じアイドルユニットを組む間柄ですし、私の事は気軽に夏向と呼んでください」


「そそ、そんなっ! 恐れ多いです、先輩アイドルをいきなり呼び捨てだなんて」



 だが、枢木夏向は一歩も譲らなかった。

 それどころか僕の腕を組み、体を密着させてくる。



「ちょ、ちょ、ちょ! 枢木先輩! は、離れてくださいっ!」


「えっ、どうして?」


「い、いきなり体をくっ付けるのは……その……」



 なんて積極的過ぎるアプローチ、嬉しすぎて心臓が破裂しそうだ!



「女同士ですし、いいじゃないですか?」

 


 いいえ僕は男です、だから駄目なんです――と、本当のことは言えないので苦し紛れに「私……ちょっとそういう行為に免疫が無くて……」と伝えるが、枢木夏向が僕の腕を離すことはなかった。



「オホンっ、二人共仲良くするのはいいけど……打ち合わせの時間も迫っているわ。スキンシップはその後でお願いしていいかしら?」

 


 秦泉寺さんは軽く咳払いをして、僕と枢木夏向の間に割って入ってきた。



「はーいっ!」


「あの、枢木先輩……だから腕を離して……」


「私のこと『夏向』って呼んでくれるまで、ずーっとくっついてます。それに私も、蕗村さんのこと『咲』って呼ばせてもらいますから。いいですよね?」



 お互いに下の名前で呼び合う。僕としてはかなり嬉しいが、さすがにこの状態では打ち合わせに集中できそうにない。



「わ、わかりました! これからは私も、ちゃんと夏向って呼ぶことにしますから! だから離してください~っ!」


「うん! よろしくね、咲!」



 頑なに腕を組んでくる彼女に、僕は降参する。

 名前を呼んだことで、彼女はやっと腕を開放してくれた。


 腕に当たっていた彼女の胸の感触、そして肌の温もりが離れてしまったことに一抹の悲しみを覚えつつ、僕はオフィスの椅子に腰をおろしたのだった――。

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