第16話 アイドルの世界 ②

 お母さんは、僕の正体が男であると秦泉寺さんに打ち明けた。



 まさかと笑う秦泉寺さんに証明するため、お母さんは過去のアルバム写真を取り出す。真実を聞かされた後、リビングには無言の状態が続いていた。



 僕が女であると思っていただけに、秦泉寺さんの驚きも相当だった。



「紫吹肇さん。あなたが男であり、女装までしてライブに来てしまう程、夏向のファンである事は十分に理解できました。そしてあなたがいてくれなければ、ライブの成功はありえませんでした。私だけでなく、あのライブに関わったスタッフ一同本当に感謝しています。本当にありがとうございました」

「い、いえ。そんな……」



 改めて感謝の言葉を述べられて、僕は恐縮してしまった。



「しかし、これはあまりにも過ぎた行為であるのも事実だと私は思っています」

「はい……」

 


 僕の正体を語った瞬間に、秦泉寺さんから叱責されるのは覚悟していた。

 当然だ、こればかりはどんなに素晴らしい功績を積んだ者でも許される筈がない。会場に来ていた人全員を騙し、そして今もなお騙し続けているのだから。



「ですがこの事実を知った上で私は、改めてあなたにお願いします。枢木夏向の相方アイドルとして、彼女とユニットを組んでください」

「……え? い、いいんですか? だって僕は……」



 この話は無かったことにされると確信していただけに、秦泉寺さんからの提案を聞いて耳を疑った。

 何故なら僕は男、女装までして会場に忍び込んだ変態野郎なのだから。

 枢木夏向のファン全員から後ろ指を指されてもおかしくない程の事をやってしまった僕が、枢木夏向とアイドルユニットを組むなんて……。



「本当に、それでいいのですか? この子は、男の子なんですよ?」

「……構いません。とにかく今のあの子には支えが必要なんです、夏向を理解してあげられるパートナーが」

「それは一体、どういうことなんですか?」



 秦泉寺さんの言葉の意味を図りかねた僕は、その真意を聞き出すために詰め寄った。



「今日、楽屋で起こった惨劇を見たあなたなら、なんとなく予想はできると思いますが……。夏向は今、ウチの事務所のアイドル達から酷い仕打ちを受け辛い状況下に置かれています」

 


 僕は何も答えず、首を縦に振った。

 今日の事件を起こしたのが霧生院斗羽利であることを僕は知っている。だから信じたくは無かったが、そんなことをしている輩の存在を認めなくてはならない。



「衣装が汚されるのは今回が初めてのケースでしたが、これまでに心無い誹謗中傷を綴った手紙や、人気を妬んだ何者かによる嫌がらせは日を追うごとにエスカレートしています」

「そんなっ! 僕は枢木夏向に関することを細かにチェックしていますが、公式サイトやSNSにそんな内容は書かれていませんでしたよ!」

「それは当然です。もし外の目に触れでもしたら夏向の人気に関わりますし、事務所の印象も悪くなります。公にされないように、内々で処理をしているんです」



 信じたく無かった。枢木夏向に負の感情を抱く人間が、まさか彼女と同じアイドルだったなんて……。



 しかも理由が、人気を奪われたから。

 そんなことで彼女を苦しめるなんて、あまりにも酷すぎる!



「まぁ、無くはない話でしょうね。どの子もアイドルとして頑張っている分、観客からの人気は自分に集中して欲しいでしょうし。その人気が枢木夏向って子にまるごと持っていかれちゃったら、妬ましくなるのも頷けるわ」



 その意見は、お母さんの口から発せられたものだった。



 あまり芸能界に興味を示さないお母さんではあるが、アイドルの世界で繰り広げられている裏側を予想できるとは驚いた。お母さんもこれまでに似た体験、もしくは話を聞いたことがあるのかもしれない。



 僕は、アイドルの綺麗な部分しか見ていなかったのだと痛感させられた。



「このままでは、あの子が壊れてしまいます! 夏向は本当に純粋で、誰に対しても分け隔てなく接することができる優しい子なんです!」

「でも、それを気に食わない子も確かに存在する。……肇も覚えておきなさい、女の嫉妬は醜いものなのよ」

「う、うん……」



 お母さんの言葉がとても重く感じられた。

 男の僕に踏み入れることの出来ない世界が、そこにはあるのだ……。



「だからこそ今回は、夏向の女性会員だけに的を絞った限定ライブを開きました。夏向のことを本心から好きになってくれている女の子なら、必ずあの子を嫌いになんてなるわけがないと信じて……」

「……なるほど。確かに女同士じゃないと、本当の意味で心の内をさらけ出すことはできませんものね」



 僕は、一人悲しんでいる枢木夏向の姿を想像し、胸にこみ上げてくる熱い感情を覚えていた。テレビで見せてくれていたあの笑顔も、ライブで歌っていた明るい声も、ファンのためだからこそ出来るのだ。



 枢木夏向こそ、本当のアイドルだ! 



 そんな彼女を傍で支えられる、その役目が僕にしかできないのなら、これほど嬉しいことはなかった。



「秦泉寺さん! 僕に何ができるのかはまだわかりませんが、絶対に枢木夏向を守り抜いてみせます!」



 僕は秦泉寺さんの手を取り、力強く握って宣言した。



「紫吹さん、あなたにそう言っていただけると本当に嬉しいわ。夏向を……あの子を、よろしくお願いします……」



 秦泉寺さんもそう言って、僕の手を握り返してくれた。



「……まったく、こういうところだけは男の子なんだから……」



 お母さんが後ろで何か呟いたような気がしたが、僕の意識は自分の果たすべき使命に燃えていたためハッキリと聞き取ることはできなかった――。

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