第15話 アイドルの世界 ①
「紫吹肇さんを、是非ウチの事務所でプロデュースさせて下さい!」
そう言って秦泉寺さんは、僕のお母さんに向かって頭を下げた。
まさか、まさかの急展開である。
急すぎて、未だに状況を理解できていない程だ。
シークレットライブが終わり、加賀瑠璃さんと別れ、そして……枢木夏向に「アイドルユニットを組んで下さい!」と申し込まれた。
完全に思考が硬直した僕は、その後で駆けつけてきた秦泉寺さんから一通りの話を聞かされ、そして場所は街路樹のバス停から僕の自宅へと移る。
蓮水文化センターから家までの記憶はほとんど覚えていない。
おそらく、秦泉寺さんに促され枢木夏向と一緒に乗った車の中での出来事が原因だろう。ただでさえ何が起こっているのか理解できていない状況で、追い討ちをかけるように私服姿の枢木夏向と密着して車に乗り、その状態が家に帰ってきても続いているのだから。
今の僕は、いつ心肺停止になってもおかしくなかった。
「紫吹さんには、間違いなく人を惹きつける力があります。ライブ会場で夏向へ送る声援も一際目立っていましたし、なにより彼女自らが衣装をコーディネートするセンスも持ち合わせています」
「は、はあ……」
お母さんはかなり動揺していた。
当たり前だ、これが動揺せずにいられるものか。
実の息子が女装してアイドルのライブを観に行き、帰ってきたと思えばアイドル事務所のマネージャーを引きつれてきたのだから。
「状況を瞬時に判断する頭の回転の速さに、私たちは助けられました。彼女がいてくれなかったら、おそらくライブは散々な形で終わっていたに違いありません」
「そう……なんですか?」
「そもそも、このシークレットライブの目的は夏向の観光大使就任祝いの裏に、枢木夏向とユニットを組む新人アイドルの発見がありまして――」
「あ、あの! ちょっと待ってください!」
捲くし立てるかのように話し続ける秦泉寺さんに対し、ついにお母さんが「待った!」をかけた。
「お話を聞く限り、まずあなたは大きな勘違いをしていらっしゃるようなので、そこを理解していただくところから話を始めたほうがよろしいかと思います」
「大きな勘違い、でしょうか?」
「はい。そもそもこの子は、女の子じゃ――」
「うわわわわわわわわっ! ちょっと、お母さん! ストップ、スト――ップ!」
枢木夏向が隣にいるのに、お母さんの口から真実が告げられることを危惧した僕は、電光石火の如く速い動きで会話を遮る。
そして半ば強引に手を引き、リビングから脱した。
「お母さん、いきなり何を言い出すんだよ!」
「何って、決まっているでしょう。あなたが男だってこ――」
「駄目だよ、そんな恐ろしいこと口にしたら!」
僕は喰い気味で、お母さんの口を噤む。
予感は的中していた。
やはりお母さんは、僕が男だと暴露するつもりだったようだ。
とんでもない事である、そんなことをしたら僕は社会的に抹殺されたも同然。世界が曲がって見えるどころの話じゃない、輝かしい未来が失われてしまうのだ。
ぜったいに……、せぇぇぇえええったいに!
枢木夏向に、正体がばれる事だけは避けなくてはならないのだ。
これは決して、自分の身が可愛くてのことではない。僕の正体を知ったことで、枢木夏向を悲しませてしまうことがなにより怖いからだ。
「じゃあ肇、あなたの口から断りなさい。そうすれば何も問題ないでしょう」
「それは……、そうなんだけど……」
お母さんの言う通り、全ては自分の口から断ればいいだけの話だ。
しかし事はそう単純な話ではない、何せ相手は……あの枢木夏向なのだから!
僕は彼女のファンであり、自分で言うのもアレだが熱狂的……いや狂信的と言ってもいいぐらいのファンである。アイドルになり枢木夏向とユニットを組めば、彼女と一緒にいられる時間は他の追随を許さないだろう。
だから叶うのであれば、僕は……。
「――まさか肇、あなたアイドルと一緒にいられるって事を天秤にかけて迷っているんじゃないでしょうね?」
「そ、そんなわけないじゃないかっ!」
「嘘おっしゃい!」
そうでした、僕は嘘をつくのが極端に苦手な部類の人間でした。
さすがお母さん、考えていることを一瞬で見透かされてしまった。
「さあ、早く自分の口から断ってきなさい」
「……わかったよ……」
僕は意を決し、回れ右をしてリビングの扉に手をかけた。
「あ、あの……紫吹さん。もしかして私とのアイドルユニット、組んではいただけないのでしょうか?」
「とんでもありません! 喜んでお受けいたします!」
「コラコラコラコラッ! 肇!」
すかさず止めに入るお母さんに対し、僕は持ちうる演技力を行使して対抗した。
「お母さん! 私、アイドルになりたい!」
「はぁ!?」
「アイドルになって、枢木夏向とユニットを組みたいの!」
目を白黒させるお母さんに向かって、僕は自分の思いの丈をぶつけた。
その言葉に嘘は無かった。
半端な覚悟でアイドルになれるなんて思っていないし、男である自分が女としての生活を強いられるのも理解している。
全てのリスクを承知で、僕はアイドルになることを望むのだ。
「バカを言いなさい! あなたみたいな子が、アイドルになれるわけないでしょう!」
「そんなことはありません!」
お母さんの言葉に意義を申し立てたのは、なんと枢木夏向だった。
「枢木さん、だったかしら。これはウチの家の問題なの、口を挟まないでください」
「いいえ、紫吹さんはこれから私と一緒にアイドル活動を行っていくパートナーです。パートナーが困っているのを、放ってはおけません! 紫吹さんがアイドルになることを、認めてあげてください! お願いします!」
「お母さん! お願いします!」
僕はお母さんに対し、頭を下げて懇願するしかなかった。
お母さんは一度口にしたことは絶対に曲げない性格、これを覆すのは至難だ。
しかし今の僕には女神【枢木夏向】がついているのだ。
すごいぞ、まるで負ける気がしない!
「肇、だからあなたは……」
「「お願いします!」」
僕は枢木夏向と言葉を重ね、お母さんに頼み込む。
下げた頭は、お母さんの口から了承を得るまで上げるつもりは微塵もなかった。 それを覚悟するほど、僕はアイドルになりたかったのだ。
「お母様、認めていただくわけにはいかないでしょうか?」
「……はぁ~、分かりました。肇がアイドルとして活動することを承諾します」
「お母さんっ!」
聞いた、確かに今、僕の耳は聞いたぞ!
あのお母さんが、ついに認めてくれたんだ。
学校のテストでクラス一位を取ることよりも辛い困難を、僕は枢木夏向と一緒に乗り越えたんだ。
「ですが、その前に……マネージャーさん。あなたにだけは、どうしてもお伝えしておきたいことがあります。その話を聞いて頂いた上で、肇がアイドルとして活動していけるのかを、あなたに判断してもらいます」
「お母様、それは一体どう言う……」
「聞いて頂ければわかります」
あまり多くを語らないお母さんの態度に対して「……わかりました、お伺いします……」と答える秦泉寺さん。そしてお母さんは秦泉寺さんに向けていた視線を枢木夏向へ向けると、「枢木夏向さん、あなたは少し席を外してください。肇とマネージャーさんの三人で話をしますから」と言いだした。
「わっ、私が聞くと何か問題があるんですか?」
完全に蚊帳の外に置かれた枢木夏向は、即座にお母さんに詰め寄る。
彼女の質問に対しお母さんは何も言わず、僕の方をチラッと見て目を伏せた。
この仕草を目にした僕は、お母さんの企みをなんとなく見抜くことができた。
「ごめんなさい、ここはお母さんの言う通りにしてくれないかな……」
「紫吹さん……」
何故、お母さんが僕の方を見て目を伏せたのか。
それはきっと、お母さんは僕の事を慮ってくれたのだ、絶対に枢木夏向にだけは自分が男であると知られたくない事を。
それがお母さんのできる最大限の譲歩だと、僕は直感的に理解した。
「分かりました……」
曇った表情を見せつつも一応納得してくれた枢木夏向は、家の外で待っていると言い残して行ってしまった――。
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