第14話 急接近 ⑥
ついにライブが始まるということで、会場内はおおいに賑わっていた。
そんな人達の間を掻き分け、僕と御空先輩は加賀瑠璃さんの元へと辿り着く。
「紫吹さん、お体は大丈夫ですか! お花を摘みに行くと言ってから一時間以上経っても戻られないから……私、心配で心配で……」
「す、すみません瑠璃さん。ご心配をおかけしたみたいで……」
瑠璃さんは大袈裟にも僕の手を取って語りかけてくれた。彼女の柔らかな手は少し震えていて、本気で僕の事を心配してくれたのだと伝わってくる。
まだ知り合って間もないのに、そこまで気にかけてくれたことが嬉しかった。
「紫吹肇、この人が会場で知り合った人なのか?」
「はい。あ、加賀さんにも紹介しますね。こちら、私の学校の先輩の……」
「御空宇津保だ、よろしく」
御空先輩は黒髪をかきあげて、色白の手を加賀さんに差し出した。
「わ、私は加賀瑠璃と申します。よろしくお願いします……でも良かった、紫吹さんがこうして無事に戻ってきてくれて。先程まで、枢木夏向のトークで会場は盛り上がっていたんですよ」
「そうだったんですか。それは私も見たかったです、とても残念……」
その言葉に、嘘偽りはなかった。
しかし枢木夏向の生のトークが聞けなくても、僕は彼女とほぼ密着した常態で直に会話をし、そして彼女が僕だけに感謝の言葉を送ってくれた。
この会場にいる誰よりも、僕と彼女の距離間は近いはず。そこに優越感を抱かずに入られなかった。
「あっ、枢木夏向が舞台に出てきましたよ!」
瑠璃さんの言葉に反応して、僕はステージに目を向ける。
そこには即席で作った衣装を身に纏う枢木夏向の姿があった。どの衣装を着ても、やはり枢木夏向は綺麗だ。それが僕達の作ったものだと思うと、たまらなく嬉しかった。
『皆さん、大変お待たせして申し訳ありませんでした。これより枢木夏向シークレットライブを開催いたします』
天井に備え付けられているスピーカーから、ライブの始まりを知らせるアナウンスが告げられた。
僕は知っている、この瞬間を迎えるために奔走した人達がいることを。
決して語られることのない舞台裏の惨劇があったことを。
そしてその苦難を乗り越えて、枢木夏向が今舞台に立っていることを。
枢木夏向のシークレットライブが、ついに始まったのだ。
そして夢のような時は流れ、一時はどうなることかと思われた枢木夏向のシークレットライブは開幕から滞おりなく進行し、無事に終了する。歌い始めてしまえば早いもので、楽しかった時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。
やはり僕は、ライブの空気に触れていると時間の感覚を理解できそうにない。
ずっとこの時が続けばいいのにと、思わずにはいられなかった。
「終わっちゃいましたたね、シークレットライブ……」
「最初から最後まで、実に有意義な時を過ごせた。やはり枢木夏向は最高だぁ!!」
会場を出た僕と御空先輩、そして加賀瑠璃さんの三人は、蓮水文化センターの外に広がる街路樹の傍を歩きながら、ライブの余韻に浸っていた。
「でも驚きました、枢木夏向が静岡県の観光親善大使に任命されたなんて!」
弾むような足取りで歩きながら、加賀さんが言った。
「ですよね、ですよね! それに枢木夏向のご両親が、静岡出身だったなんて。ご両親と過ごした竜ヶ岩洞窟や方広寺院での思い出を聞いた時、私感動で涙が……」
枢木夏向が話してくれた幼少の頃の話を思い出し、僕はたまらずハンカチを取り出して目を覆う。そうしたことで、彼女の言葉の一言一句が蘇ってきた。
「しかしまぁ、これで場所の謎が解けたわね。観光親善大使就任を祝ってのシークレットライブ、だからこの静岡で行ったわけだ」
「だとしても、普通もっと大きい会場を使いそうなものですけど……」
「シークレットですし、スケジュールの関係等もあったんじゃないでしょうか」
加賀さんの返答に、僕の素朴な疑問は解消された。
「……疑問と言えばだが、私にはどうしても納得いかない事が一つだけある」
「納得できないこと、ですか?」
加賀さんが御空先輩の呟いた一言に反応して問いかける。
僕も歩みを止め、御空先輩に向き直った。
先輩の面持ちは真剣そのもので、本気で頭に引っかかっている様子だった。
「どうして、女性限定だったのか?」
「あ、確かにっ!」
「私も、すっかり忘れていました。これも自分が女だから、でしょうか」
柔らかい笑みを浮かべる加賀さんの横で、僕は御空先輩の抱いた疑念を思い返す。先輩が言う通り、このライブには引っかかる点があった。
静岡県の親善大使に任命された事がシークレットライブを行う本当の理由ならば、女性限定に的を絞る必要はないのだ。
それに、枢木夏向は女性アイドルである。
女性ファンに比べて、男性ファンの方が圧倒的に多いのは子供でも分かること。
であるにも関わらず、今回のライブは女性限定だった。
「女性限定じゃなかったら、今頃私の後輩も胸を張ってライブを観に来ていただろうに。なぁ、紫吹肇?」
「そ、そうかもしれませんね……」
御空先輩の言葉は、僕の自尊心と羞恥心を見事に打ち砕くものだった。
実際、僕は枢木夏向のライブを観た。
しかしそれは男としての紫吹肇ではなく、女としての紫吹肇である。胸を張ってライブを観ることができたかと問われれば、正直返答に困まる所だった。
そんな僕の隣を歩いている加賀さんの足が、ピタッと止まった。
「加賀さん?」
一体どうしたんだろうと辺りを見回すと、目の前にバス停があることに気づく。
「あ、あのっ! 紫吹さん、御空さん! よろしければ連絡先を交換しませんか?」
「「えっ!?」」
瑠璃さんの唐突な申し出に、僕と御空先輩は同時に声を出す。
「私、ここで皆さんとお別れなんです。バスに乗って、千葉に帰らなくちゃいけなくて……」
「あー、なるほど。それで……」
「ここで出会えたのも、何かの縁ですし……。せっかく仲良くなれたのに、このままお別れなんて辛くて……」
加賀さんは僕と御空先輩との別れを惜しんでいる様子で、今生の別れとでも言わんばかりの悲壮感を漂わせていた。
「そうね、私もあなたとは気が合いそうだし。なにより私達は同じ枢木夏向のファンだ、早速連絡先の交換といこうじゃないか」
「ありがとうございます、御空さん!」
御空先輩はポケットに入れていた携帯電話を取り出して、加賀さんと連絡先を交換した。
「ほら、紫吹肇。君も携帯を取り出して、連絡先を交換したらどうだい?」
「え、いや……でも……」
御空先輩、それは僕が男だと知って言っているんですよね?
確かに僕も、このまま加賀さんとお別れするなんて残念でならない。
できることならすぐにでも連絡先を交換し、何時でもどこでもメールや電話を使い、枢木夏向のことについて語り合いたいぐらいだ。
だが、僕は男だっ!
見方によっては、女装までしてライブを観に来た変質者。今も加賀さんを騙し、女として振舞っている。
そんな男が、このまま連絡先を交換していいものなのか……。
「紫吹さん……ダメ、ですか?」
「ダメじゃない……ですよ……。あぁ、でも……痛っ!?」
僕の態度が気に障ったのか、御空先輩に「バッチーンッ」と背中を叩かれてしまった。
「さっきから何を女の子みたいな態度を取っているんだ、お前はっ!」
「御空さん、紫吹さんは女の子ですよ?」
御空先輩にツッコミを入れる加賀さん。
うん、加賀さんの言う通りなんだけど……そうじゃないのが僕なのだ。
ごめんなさいと、心の中で謝罪する。
「……これが、私の連絡先です……」
僕は肩にさげた鞄から携帯電話を取り出して、連絡先を記した画面を加賀さんへ見せた。
「ありがとうございます。私、もっと紫吹さんと仲良くなりたいって思っていたんです。ライブの時、必死で枢木夏向に声援を送っている姿は今でも鮮明に覚えていますっ!」
「そ、そう……なんですか?」
「ハイ! あと、その細くてしなやかな体型が羨ましくって……ついつい目が……」
「へ?」
「な、何でもないです! き、気にしないでください!」
そう言って、加賀さんは慌てて口元を抑える。
その顔は少し赤らんでいるように見えた。
加賀さんと連絡先を交換したタイミングで、丁度バスがやってくる。
とうとうお別れの時が来たのだと、分かっていても胸が切なくなった。
「御空さん! 紫吹さん! また……、また! 必ずお会いしましょうね!」
「あぁ、必ず会おう! 桃園の誓いならぬ、バス停の誓いだ!」
「加賀さん、お元気で! 今日は、ありがとうございました!」
バスが発進しても、車窓から見える加賀さんの手は止まらない。
僕と御空先輩は、バスが視界から消えるその瞬間まで彼女を見送った。
「――さて、私達も帰るとしようか、紫吹肇」
「そうですね、帰りましょうか」
「それにしても、君の行動力には驚かされる。まさか、ご両親には内緒なのかい?」
「いえ、一応知ってはいるんですけど理解は得られていないと言いますか……」
「しっ、紫吹さーんっ! やっと見つけました――っ!」
唐突に自分の名前を呼ばれたことで、僕は御空先輩へと向けていた体を声の方へ向けた。
「く、くくくくく、くる、くるっ! 枢木夏向ああああああああっ!?」
「ハイ、枢木夏向です!」
僕の目の前にいたのは、私服姿の枢木夏向だった。
身に着けているのはさっきまでライブで歌っていたカラフル衣装ではなく、淡い緑のロングスカートに紺色のブラウス姿だった。
「な、なんでここに!?」
「ずっと探していたんです、あなたのこと」
「探していた? ……私の事を……ですか?」
「はい! 紫吹さんを、です!」
あの国民的アイドル、枢木夏向に「あなたのことを探していた」と言われてしまった。これは夢なのかと思い、僕は御空先輩に頼んで右頬を抓ってもらう。
うん、痛い……ということは、これは夢ではない!
まごう事なき現実(リアル)だ!
しかし彼女が僕を探すことが、必ずしも幸運である保証はない。もしかしたら、あの衣装が気に食わなくて文句を言いに来たのかもとさえ考えた。
僕は真意の程を、恐る恐る訊ねてみることにした。
「あ、あの……私を探していた理由って?」
「紫吹さん、私と……私とっ! アイドルユニットを組んでください!」
枢木夏向はそう言って、僕の顔を見てニッコリと微笑んだ――。
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