第13話 急接近 ⑤

『御空宇津保様、御空宇津保様。お伝えしたいことがございますので、当会場のエントランスホールまでお越し下さい』



 蓮水文化センターに、御空先輩を呼ぶアナウンスが響き渡る。今頃会場内では、さぞ騒がしくなっているに違いない、御空先輩の驚いている顔が目に浮かんだ。


 しかし僕には、この状況を打破する方法は御空先輩の力を借りる以外に思い浮かばなかった。できることなら、こんな格好を御空先輩に見せたくはないのだが事態は一刻を争う。この際、僕の容姿なんてどうでもいいのだ。



「紫吹さん、御空宇津保さんを連れてきたわ!」

「マネージャーさん、ありがとうございます」

「本当に君……紫吹肇……なのか?」



 やはりというべきか、御空先輩は僕の姿を見て驚きを隠せないといった様子だった。声も上ずっており、体が震えているのがはっきりと視認できるに。



「御空先輩、ひとまず僕……オホン。私のことは後回しです。今は何も言わず、力を貸してください!」

「……大体の状況はマネージャーさんから聞いた。それで、私は何をすればいい?」

「助かります。では、まず――」


 

 僕は頭の中に描いていた計画を御空先輩に伝え、衣装造りに取り掛かった。



「……なるほど、大分無茶だが……これだけ良質な生地があれば作れないことはないな」

「先輩は縫合をお願いします。衣装を枢木夏向のサイズに整えるのは僕がやりますから」



 そう言って僕は、煌びやかな飾りつけがされてい衣装を一つ手に取ると、ハサミの切れ込みを入れた。頭に入っている枢木夏向のスリーサイズを基準とし、着用時に余裕を持たせた大きさの衣装を作る。ここでも彼女に関する知識が活きた。



「それにしても、酷い事をする輩もいたものだ! 知らせを聞いたときは、怒りで気が狂いそうになったものよ!」



 大道具の人達が楽屋から納豆まみれの衣装を外へ搬送していく光景を横目に、御空先輩が吐き捨てる。

 


 どこのどいつがやったのかは分からないが、納豆で衣装を使い物にしただけでは無く、枢木夏向を精神的に追い詰めた罪――正しく万死に値するだろう。



「こんなことしでかした犯人を、今すぐ呪殺してやりたい!」



 物騒な言葉を吐く御空先輩の目は血走っていた。

 こればかりは本気で相手を殺めかねないという狂気を感じてしまう。



「でも一体誰なんでしょうね、こんなことした人って」

「余程、枢木夏向の事を恨んでいるに違いないわね……」

 


 それからしばらく、僕と御空先輩は黙々と衣装作りの作業を続けた。やけに静かだと思ったら、いつの間にか霧生院斗羽利の姿が見当らないことに気がついた。



「ま、いっか……」



 彼女のことが少し気にもなったが、僕は次に切り分ける衣装を手に取る。そして集中すること一時間、即席で造ったにしては悪くない衣装が完成した。



 衣装そのもののクオリティーが高いのもあったが、互いのそれを損ねないように配慮して縫い合わせる。おかげで色のバリエーションが豊富で、枢木夏向史上過去に類を見ない奇抜なものが出来上がってしまった。



「名付けて〝枢木夏向カラーズエディション〟だ、シークレットに相応しい」

「まさか本当に一時間で、これ程のものを仕上げてくるなんて……」

 


 御空先輩の手際の良さに、秦泉寺さんは度肝を抜かれていた。



「マネージャーさん、この衣装は即席仕上げの為、耐久性には問題があります。飛んだり跳ねたりするのは避けて下さい」



 秦泉寺さんへ衣装の問題点を説明した御空先輩は、息を吐いて額の汗を拭う。

 そうなのだ、縫合の繋ぎ目には細心の注意を払ったつもりだが……もしものことがある。


 万が一、いや億が一にも……ライブ中に衣装が解けたりなんてしたら……。



《 驚愕! 枢木夏向、脱いでも凄いんです! 》



 なんてことだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ

 大変だ、大変だ、大変だったら大変だぁっ!

 


 本当に今更だが、僕は枢木夏向になんてエキセントリックな事をさせようとしているんだ。シークレットライブが一転してストリップ劇場に様変わりだなんて、正気の沙汰じゃないぞこれはっ!



「大道具さん。この衣装を早速、夏向に渡して――」



 妄想が肥大化していく僕の耳に、そんな声が聞こえてきた。



「だ、ダメです!」

「「え?」」



 つい咄嗟に声を出してしまい、そのことで御空先輩と秦泉寺さんが揃って驚いたような態度を取る。



「紫吹肇、一体どうしたというのだ?」

「ダメって、もしかして他にも問題点が?」

「いえ、その……」



 自分で作ると言っておいて、今更着るのを「やめろ」なんて言えるわけがない。

 言葉に詰まっている僕の顔を、秦泉寺さんは不思議そうに覗き込んでくる。



「いやその……よく考えたら、この衣装……枢木夏向には似合っていないような気がして……」

「……まぁ、正直なところ。私も納得はしていないわ」



 秦泉寺さんはそう言って、手に持った衣装を見る。



「紫吹肇、ツギハギだらけの衣装を枢木夏向の為に作った君は、間違いなくあの子の救世主だ。胸を張りなさい!」

「御空さんの言う通りだわ。それに夏向の歌を待つファンの為に、あなたたちが一生懸命作ったものを、私は無駄にしたくない」



 御空先輩と秦泉寺さんの言葉に言いくるめられて、僕は何も言えなくなった。



 そうだ、考えようによってはまだ何も起こっていないじゃないか。

 杞憂で済めばそれに越したことはない。そう自分に言い聞かせてみるが、一向に心のザワめきは落ち着いてくれなかった。



「秦泉寺さん、衣装完成したんですか?」

「えぇ、ほらコレよ」



 舞台に出ていた枢木夏向が戻ってきた。



 一時間の間、なんとかトークだけで観客をとどめていたのだ。くう~、本音を言えば僕も聞きたかった。


 枢木夏向の生トーク、一体何を話したんだろう……。



「おぉ、おおおおおおおっ! くっ、枢木夏向がこんなにも近くに……。眩しい、眩しすぎるっ!」

 


 御空先輩は、一時間前の僕と同じ反応をしていた。



「紫吹さん、そして御空さん、本当にありがとうございます!」

「わ、わたしはただ……私の出来ることをしただけですから……」

「そ、そうです。枢木夏向にそこまでお礼を言われるようなことは……」



 枢木夏向に頭を下げられて、御空先輩は恐縮していた。

 しかし彼女のため、自分しにか出来ない事ができたのだ。

 お礼を言われたことは光栄の極みである。



「さ、夏向は早く着替えて舞台に行きなさい。観客のみんなが待っているわよ」

「はい! お二人も私の歌、楽しみにしていてくださいね!」



 枢木夏向はそう言って微笑むと、衣装を手に取り行ってしまった。



「……さて、紫吹肇。ちゃんと話を聞かせてもらおうか?」

「うっ!」



 そうだった、僕は肝心なことを忘れてしまっていた。

 御空先輩の言葉を聞いて、自分の置かれている状況を再認識する。



 僕はこれから先輩に、何故女性限定のシークレットライブに男の僕がいるのかを説明しなくてはならないのだ。

 

 いくら寛容な性格の御空先輩でも、女装までして会場に乗り込んだ後輩を受け入れてくれるだろうか……正直なところ自信は無かった。



「紫吹さん、御空さんも。よろしければこちらの席でご覧になりませんか?」



 秦泉寺さんからは舞台のすぐ傍で見てはどうかと勧められたが、御空先輩は「いいえ、私は会場の方で観させていただいますので」と返答した。



「はい、僕も……オホンっ! 私も、友人に席を確保していただいていますから」



 僕は今も席を確保してくれている加賀瑠璃さんのことを思いだした。



「友人? まさか、渡良瀬琴美がここへ来ているのか?」

「違いますよ、会場で知り合った方で――」



 秦泉寺さんに断りを入れて、僕と御空先輩はスタッフ専用の部屋から退出する。会場の入口まで来ると、僕は視界の端に霧生院斗羽利の姿を捉えた。



「御空先輩、少しここで待っていてください」

「どうした、何かあったのか?」

「衣装を使わせてくれた人にお礼を言っておきたくて、すぐに戻ります」



それだけ伝えて、僕は斗羽利の後を追った。



 彼女を追ってたどり着いたのは、会場の非常出入り口だった。声を掛けようと近づくと、斗羽利の他にもう一人誰かの姿が目に映る。

 彼女と一緒にいたのは、あの恰幅のいい大道具の男だった。



「全く、計算違いですわ。まさかたった一時間で衣装を作ってしまうなんて……」

「な、なぁ……言われた通りにやったんだから。早く斗羽利ちゃんのサインを」

「うるせー、ですわ! ほら、受け取ったらさっさと私様の前から消えなさい!」

「は、はいっ!」



 男は斗羽利から何やら受け取ると、感極まった様子で大きな体を震わせながら非常口の向こうへ消えてしまった。


 一連の流れを見ていた僕は、この事件を起こした犯人が斗羽利だと悟る。目的はどうであれ、彼女はファンを利用して枢木夏向に嫌がらせをしたのだ。



「見ていなさい、枢木夏向……。次はこういきませんわよ……」



 口惜しむように呟く斗羽利に一言物申してやりたい気持ちをグッと抑え込むと、僕は踵を返し、御空先輩の待つ会場入り口へと戻っていった――。

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