第11話 急接近 ③
聞き耳を立てていた部屋とは違う、もう一つの部屋へ連行された僕は今、あの国民的アイドル枢木夏向の隣に立っていた。ほぼ密着、限りなくゼロに近い距離で彼女の傍に居られるなんて……ファンとしてこんなに嬉しいことはない!
しかしそんな幸せを噛み締めてはいるものの、状況は非常に緊迫していた。
「一般の方がこちらへ入ってこられるのは困ります、早々にお引き取りください」
「そうはいきません! いつまで経っても始まらないライブに、観客のみんなは戸惑っているんです! 僕も……いえ私も、枢木夏向の身に何か起こったんじゃないかと思ってここまで来たんです。事情を聞くまでここを(枢木夏向の隣を)、動くつもりはありません!」
高圧的な態度でこの場を去るように迫ってくるマネージャーらしき女性に対し、僕も負けずに純粋な気持ちを言ってやった。
意地でも動くものか!
このポジションは絶対に離れんぞ、離れんぞぉ!
「私のことを心配して、ここへ来てくださったんですか?」
「は、はい! 私、枢木夏向の大・大・大ファンですから!」
また、枢木夏向と言葉を交わしてしまった。
歌声以外の彼女の肉声をこんなにも近い距離で聞いたことで、メトロノームがブッ壊れてしまうようなBPM(拍数)で、胸の鼓動が高まっていくのを感じる。
何度まばたきをしても、彼女の姿がそこにはあった。
僕には、緊張したら何度も瞬きをしてしまう癖がある。これは現実だと自分へ言い聞かせる為に身につけた、ある種の自己防衛機能のようなものだ。
「夏向のファン? 貴女、どこに目をつけているのかしら。この場には夏向より輝かしいアイドルの私様がいるじゃない!」
そう言って僕の前に現れたのは、小学生低学年ほどの身長を有した女の子だった。低身長でありながら腰まで近いブロンド、お餅のように柔らかそうな白い肌。
そしてクリッとした大きな瞳は鮮やかな緋色で、身につけている白桃色のグラデーションで彩られたワンピースは、彼女の見た目にとてもマッチしていた。
しかし外見こそ幼い彼女だが、発した言葉の口調や僕を見つめる表情からは絶対的な自信を感じさせるものがあった。
「……えっと、失礼ですがあなたは?」
「はぁ!? 貴女、私様が誰だか知らないの!?」
はい、知りません。
口には出さず心の中で呟くと、頷いて彼女に答えた。
だが僕の反応が予想の斜め上をいっていたのか、彼女の眼球は今にも飛び出さしそうなくらいに見開かれ、口はスイカでも入るんじゃないかと思ってしまうぐらい大きく空いていた。
「ふ、ふふ……、ふふふふふ。私様の存在を知らないとは、とんだ世間知らず。いいでしょう、教えて差し上げます。貴女がこの世に生を受けた理由を、今この瞬間、その魂へ刻み込みなさい! 貴女の存在価値、それは――」
「枢木夏向の為に、この心臓を捧げる事です!」
「ちがぁ――――――――――うっ!!!!!!!」
右手を力強く握りこんで心臓の位置へ持っていき、背筋をピンッと伸ばして宣言したが、金髪幼女からは激しいツッコミで返されてしまった。
「こちらは霧生院斗羽利(きりゅういん とばり)さんという方でして、年は十四歳ですが私と同じ事務所で活動している先輩アイドルです。今日は私の初となるシークレットライブを見守ってくれるという事で、お忙しい時間を割いて来てくださったんですよ」
「へぇー、そうだったんですか。私は紫吹肇です、よろしくお願いします!」
弾む声で自己紹介して、僕は枢木夏向に深々と頭を下げた。
「ちょっと貴女、頭を下げる相手を間違えていますわよ! 私様でしょ!」
霧生院斗羽利なる幼女が背後ではしゃいでいるみたいだけど、アウト・オブ・眼中。僕の目には枢木夏向だけ映っていればいいのだ。
金髪だろうが、銀髪だろうが、幼女に興味はない。
「紫吹肇さんですね、私は――」
「知ってます! 名前は枢木夏向、誕生日は八月二十三日の乙女座。血液型はAB型で現在十六歳の現役女子高生。趣味は招き猫鑑賞で、毎日三十分は招き猫の頭を撫でている。特技は幼いころから習っているピアノ。得意曲は――」
「よ、よくご存知ですね……」
「勿論です! 枢木夏向のプロフィールは全て頭の中にありますからっ!」
枢木夏向という天使を前にするあまり、鼻息が荒くなっていることに気付く。
一度深呼吸して心を落ち着かせねば……。
「夏向……自己紹介なんてしている場合じゃないでしょ。状況、わかってる?」
「秦泉寺さん、すみません。でも、私のことをこんなに思ってくださったのが嬉しくって。あっ、紫吹さんご紹介しますね。こちら、私のマネージャー兼プロデューサーの秦泉寺明菜(じんぜんじ あきな)さんです」
秦泉寺明菜と紹介された女性は僕の方を一瞥し、深い溜め息を吐いた。
大事なファンに対してこの反応はどうなのだろうと思わずにはいられないほどに、秦泉寺さんの表情は沈んでいる。
そんなマネージャーさんから枢木夏向へ視線を移し、僕は「枢木夏向さん、早く会場へ来てください! みんな、待っていますから」と頭を下げた。
しかし彼女は目を伏せると「それは……、ごめんなさい紫吹さん。今はライブを始めることができないんです」と言って謝罪した。
「どっ、どうしてですか!?」
「関係者じゃないあなたには関係ありません。それにさっきから言っているでしょう、早くここから出て行きなさい!」
「理由を聞くまで、絶対に出ていきません!」
眉根を寄せた秦泉寺さんの怖い顔に怯むことなく、僕も譲らなかった。
「あら、いいじゃない。そんなに邪険に扱わなくても。せっかく夏向の為にここまで来たんですし、何が起こっているのか話して差し上げたら?」
口を挟んできたのは小悪魔の様な愛らしい笑みを浮かべる金髪幼女、霧生院斗羽利だった。
「……部外者へ話せるほど、単純な話じゃないのよ。これからの夏向の仕事にだって、大きく関わってくるんだから……」
「だったら、尚更じゃないかしら? ここで無理矢理この世間知らずを追い返したら、それこそ夏向に変な噂が立つかもしれないし」
金髪幼女はそう言うと、再び微笑を浮かべる。
「マネージャーさん、私絶対に口外しませんから……今ここで何が起きているのか、どうしてライブが始められないのか教えてください!」
このままライブが始まらないなんてこと、あってたまるものか!
僕は女装までしてライブ会場に来たんだぞ!
枢木夏向の歌を聴かず帰ることはできないし、なにより困っている彼女を見て見ぬふりするなんて事ができるはずがない!
「秦泉寺さん、私からもお願いします。紫吹さんに話してあげてください」
僕の熱意を後押しするかのように口を開いたのは、隣にいた枢木夏向だった。
「夏向、あなたまで……」
「紫吹さんを始めとしたファンの皆さんに隠し事をすることは、私を支えてきてくれた皆さんに対する何よりの裏切りだと思うんです。私、ファンの方を裏切るようなことしたくありません!」
「……わかったわ、この子に話したところで状況は変わらないし。これ以上騒ぎ立てられても時間が惜しいだけ……ついていらっしゃい」
秦泉寺さんに促されて、僕はついに枢木夏向の楽屋へと足を踏み入れた――。
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