第10話 急接近 ②
こう言ってしまっては何だが、なんとも殺風景なライブ会場である。部屋の広さは、前回奇跡的に行くことの出来た東京のライブ会場の比ではなかった。
一応ステージのバックには即席で作ったと思われる装飾が施されているが、いまいちパッとしないクオリティーだ。観客席とステージを隔てているものがパーテーションだけというのも、かなりわびしい気がしてならない。
「はぁ~、これじゃライブって言うより幼稚園のお遊戯会場だよ……」
僕は別段、高いクオリティーを求めているわけじゃない。ただせめて、もう少し浮き足立って心躍るようなライブ会場を設営して欲しいのだ。
「ありがとうございました、なんとお礼を言ったら良いか」
「うわぁっ!?」
うなだれる心境の最中、再び耳元で囁かれた言葉に仰天し声を上げてしまう。
振り返るとそこにいたのは、やはりあの瑠璃色の瞳のお姉さんだった。なぜこんな風に声をかけてくるのかは知らないが、心臓に悪いのでやめていただきたい。
「見ず知らずの私のお願いを聞いてくださるなんて、本当に助かりました」
「い、いえ……お気になさらず……。困った時はお互い様ってことですよ……」
バッグで確保していた席を譲り、僕はお姉さんの隣へ腰を下ろした。
「まだ名乗っていませんでしたね、私は加賀瑠璃と言います。歳は二十二の社会人で、主に写真を取り扱う仕事をしています。よろしければ、貴女のお名前も……」
「えっと、私は……」
さて、どうする紫吹肇……僕は自分で自分に投げかける。
本名を名乗るべきか、それとも偽名でこの場をやり過ごすべきか……。
せっかく向こうが自己紹介をしてくれているのに対し、偽名で返すのも失礼だと思い至った末、「紫吹肇です、歳は十六の高校二年生」と本名を名乗ることにした。肇という名は男の名前と取られがちだが、見た目が女なら女と納得できなくもない。お母さん、僕の名前を〝肇″にしてくれてありがとう。
「紫吹さん、改めて先ほどはありがとうございました。本当に困り果ててしまって、どうしたらいいものかと……」
「いえ私は、そんなたいしたことをしたわけでは……」
瑠璃色の瞳のお姉さん改め加賀瑠璃さんは、僕の手を取って感謝の笑みを送ってくれた。大人の女の人に手を握られるなんて、親を除けば初めてかもしれない。
瑠璃さんの手は柔らかくて、温かくて、思わずドキッとしてしまった。姿は女の子に似せているとはいえ、こういうところで自分が男の子だと自覚してしまう。ボロを出さないよう、僕は今一度気を引き締めた。
「紫吹さんはどこからライブを観に来られたんですか?」
「僕……オホンッ! 私は静岡の生まれなので、家は近くなんです。だから今回のライブを聞いたときは、本当に運命を感じちゃいました」
「そうだったんですかぁ~。私は千葉から来たのですが、この辺りには全く土地勘が無くて……会場へ来るのに随分苦労したんですよ」
思いのほか話が弾んでしまい、僕と瑠璃さんはすぐに打ち解けた。
内心自分が男だということを隠していることに後ろめたさを抱きつつも、僕は彼女との会話を楽しんでしまう。御空先輩以外の女性と枢木夏向の魅力を共有できることが、何よりも嬉しかったからに違いなかった。
『お待たせいたしました、間もなく枢木夏向シークレットライブを開始致します』
突然会場が暗転したかと思うと、そんなアナウンスが聞こえてきた。瑠璃さんとの話しが熱を増していたことで、ライブが始まる時刻がすぐそこに迫ってきていたことに気づかなかった。
「いよいよですね、紫吹さん」
「はい!」
ついに枢木夏向のシークレットライブが始まる。
思い返せば今日のこの時を迎えるために、僕は大きな困難を乗り越え、男としての自尊心と羞恥心を犠牲にした。しかし後悔は無い、全ては枢木夏向に会うため。彼女は僕の人生に光を照らしてくれた、太陽のような存在なのだから。
なんて思っていると、やけに周囲がざわつき始めているのが気になった。
「ねぇ、なんかやけに遅くない?」
「もうあれから十五分くらい経ってるし、いつまで待たせるんだろう……」
「もしかして、何かトラブル!?」
暗転した会場内では時間だけが過ぎていき、観客の中から不安を煽るような言葉が飛び交い始めていた。
「どうしたんでしょう。ライブ、まだ始まらないみたいですけど……」
「そう、ですね……」
そんな周りの声が影響してしまったのか、瑠璃さんの口からも、この状況に違和感を覚える一言が発せられた。視界が暗転したことによって詳しくは分からなかったが、表情はきっと曇っているに違いない。
僕の頭にも、一抹の不安が過ぎった。
『現在、衣装チェンジに時間が掛かっております。観客の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが、そのまま今しばらくお待ちください』
スピーカーから、会場内の空気を察したかのようなアナウンスが聞こえてきた。
そのことによって若干ではあるが、ざわついていた観客の様子も落ち着きを取り戻していく。しかし僕の中にあった不安は、何一つ解消されていなかった。
「瑠璃さん、この場所を確保してもらってもいいですか?」
「は、はい。それは勿論構いませんけれど、紫吹さんはどちらへ?」
「お、お花を摘みに……」
瑠璃さんに多くは語らず、もっともらしい理由をつけて会場を出た僕は、スタッフ専用の部屋を探し始めた。 蓮水文化センターの構造は熟知している。僕は慎重に辺りの様子をうかがいながら、建物の中を徘徊した。
そこまでの行動力を駆り立てる起爆剤は、何を隠そう枢木夏向である。
もしかしたら彼女の身に何か起こったのではないか、そんな思考が働き僕の足は動いていた。
そして『この先、関係者以外立ち入り禁止』と書かれ仕切られた通路を発見する。しかしと言うべきか、やはりと言うべきか、警備員という名の門番が二人立っていた。
奥の方へ行くにはどうすべきか手をこまねいていると、警備員は肩に取り付けている無線機らしきものに手をかけた。
「はい、こちら楽屋前、どうぞ? ……了解 すぐに玄関ホール前に向かいます」
「どうした、トラブルか?」
「玄関ホールのファンを抑えきれないらしい、こっちへ来てくれってさ」
「了解」
そう言うと警備員二人は、持ち場を離れエントランスの方へと行ってしまう。
これはチャンスだった、まるで外のファンのみんなが「ここは俺たちに任せて、早く先へ行け!」とでも言っているかのような錯覚に陥る。
僕は躊躇せず、仕切りを越えて奥へ歩を進めた。
仕切りの奥には二つ部屋があった。
どちらから調べようと考える間もなく、一方の部屋から声が聞こえてきた。
『一体、だれがこんな酷い事をっ!』
『確かに会場へ運び入れたときには、まだこんな状態ではなかった筈なのですが……』
部屋の扉に耳を近づけ、僕は中の声を拾うことに集中した。どうやら男の人と女の人が話をしているようだ。
酷い事って何だ?
会場に運び入れたって、一体何を……。
『どっちにしたって、衣装がこれじゃライブどころの話じゃありませんわね。と、言うことは……夏向のライブは中止するしかないんじゃないかしら?』
その声からは、最初に聞いた声質より強い印象を受けた。男が一人に女が二人、少なくとも部屋の中には男女合わせて三人は居るらしい。
「衣装がこれじゃあって、どういうことなんだろう……。もっと中の様子を」
「あのぉ、どうかされたんですか?」
「わあっ!?」
部屋の会話へ聞き耳を立てることに集中し過ぎるあまり、背後への警戒が疎かになってしまっていた。
声をかけられてしまい、僕は尻餅をつく形でその場に腰を落とす。
「あ……、あぁ……」
「えっと……私の顔に、何か?」
そう言って、目の前にいる人物はパッチリと見開いた大きな瞳を僕に向けて手を差し出した。不思議そうに首を傾げた彼女は長い栗色の巻き髪が小さく揺らし、そんな彼女の全体像を瞳に収めた瞬間、僕は咆哮した。
「く、くくく、枢木夏向ぁ―――――――――――――――っ!?」
「は……はい、枢木夏向……です……」
苦笑する彼女と僕との距離は、字の如く目と鼻の先だった――。
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