第9話 急接近 ①

 ついに、この日がやってきた。

 枢木夏向シークレットライブの開催日、七月七日である。


 七夕ということもあり、僕は少し運命じみたものを感じてしまった。僕と彼女はまさに織姫と彦星、逢うことが必然であるかのような気さえしてしまう。


 自意識過剰の熱狂的ファンだと、人は僕のことを笑うかもしれない。


 しかしそれでもいい、僕は立ちはだかる困難を乗り越え、『身』も『心』も犠牲にしてここに立っているんだから。



「枢木夏向……いま、逢いに行きます!」

 


 蓮水文化センターの前には、ライブの一時間前だというのに人が溢れ返っていた。女性限定となっている筈だが、ほとんど男性の姿で埋め尽くされている。


 シークレットライブなのに、彼らも僕と同じくどこからか情報を手に入れてきたのだろう。一目でも彼女を見ようと、わざわざ押しかけてきたに違いない。


 田舎町である蓮水市でも、枢木夏向が来るとあっては大事件に近い騒ぎだった。

過去にこの場所へ、これほどまで人が集まったことがあっただろうか。


 いや、無いな。


 少なくとも僕の記憶には存在しない。不定期に開催している演歌歌手のコンサートや、落語家の寄席とはわけが違うのだから。


 ライブの開催時間が迫ってくるにつれて、人だかりは増えていった。

 会場の前では、警備員総動員で鎮圧にあたっている。ただならぬ出来事で、警備員の顔に焦燥感がにじみ出ているのが一目で分かった。


 ふっ、彼女のことを過小評価した報いを受けるがいい。


 僕は何食わぬ顔をして、会場の入り口に足を踏み入れた。当然だ、僕は誰がどう見ても女の子なのだから。


 不自然にならないくらいの長さに切り整えたセミロングヘアーのウイッグを装着、顔にはほんのりと化粧を施し、アイラインや睫毛にも気を配る徹底ぶり。

身なりも当然、歳相応のファッションでコーディネート。


 トップスは暑い夏を快適に過ごすことを意識した、薄い黄色のブラウス。ボトムスはスキニーデニム(ジーンズ)、履物は素足にスポーツサンダルで演出した。女の子っぽいガーリースタイルより、男の子っぽいボーイッシュな方が、僕の雰囲気に合っている気がしたので、この組み合わせを選んだ。

 

 鏡に映った自分を見た時、我ながら納得のいく良い出来だと自画自賛した。女子力を図る計測器なんてものがあれば、間違いなく高い数値を叩き出すに違いない。



「おぉ、さっさく枢木夏向のお出迎えだぁ!」



 会場の入り口を抜けた先にあるエントランスには、枢木夏向の等身大パネルが立っていた、壁にも彼女のCDジャケットを並べたポスターがたくさん貼り巡らされている。


 グッズ売り場も設置され、枢木夏向に関する物販が行われていた。一通り目を通してみたが……ふっ、全て僕の持っているものじゃないか。観賞用、貸出用、永久保存用と三つ買っている……まぁ、彼女のファンなら当然だな。おかげで僕のお財布の中身は雀の涙、お小遣いも四ヶ月先まで前借りしている。


 後悔はしていない。むしろ彼女のためにお金を使えたと考えると、これほど嬉しいことはないのだから。


 エントランスを抜けてライブの行われる場所へやってくると、すでに二百人近い女の子がステージの前を埋め尽くしてしまっていた。


 立ちっぱなしのライブ会場とは違い、ここは公共の施設である。座席シートがあることで臨場感はやや薄れてしまうものの、もうすぐ枢木夏向がここにやってくるんだと思うと些細な事に過ぎなかった。


 どうやらこの会場内の光景を見るに、席の指定等は無いらしい。みんな各々好きな位置に陣取ってライブを楽しむつもりのようだ。



「僕としたことが、完全に出遅れてしまったか……」



 今にして思えば、この状況も無理からぬこと。何せ僕は、このスタイルチェンジに五時間以上の時を費やしているのだ。ウイッグの付け心地、服装の違和感、女の子らしい歩き方や素行の上品さ等々。


 何度も何度も鏡を見て、調整を繰り返した。


 僕は会場の中を一通り見回って、ライブを観るのによさそうな位置を探し始めた。そんな折、視界の端に御空先輩の姿を発見する。先輩独特の白い肌に長い黒髪は、遠目でもすぐにわかった。

 

 御空先輩に最前列を取られてしまっている以上、無闇に近づくことは得策ではない。僕が女装して会場へ来たことは、御空先輩には伝えていないのだ。先輩にバレる可能性もあるので、会場の中間にあたるベターなポジションに腰を下ろした。



「あのぅ……、すみませぇん……」

「うわっ!?」



 背後から聞こえてきた声に、僕は驚き声を上げてしまう。そのせいで周囲からの注目を集めてしまった。

 

 真後ろ、しかもほぼ零距離の位置で耳元からの一言だった。

 全く気配に気がつかなかったこともそうだが、まさかこんな風に自分へ声をかけてくる人がいるとは予想していなかった。


 もしかして、僕が男だとバレた?


 声をかけられることは想定していなかったわけじゃない、むしろ対策は数十通りも考えシュミレーションしてきたぐらいだ。しかし、いざ誰かに声をかけられてしまうと、途端に頭の中が真っ白になった。


 考えてきた対策も、シミュレーションも、一瞬にして消えてしまう。僕はただ戸惑いの表情を浮かべて、背後にいる声をかけてきた人物に向き直った。



「驚かせて、ごめんなさぁい。でも、緊急かつ重要なお願いがありましてぇ~……」

「は、はぁ……」



 声をかけてきたのは、当然だが女の人だった。

 僕よりも身長が高く、端正な顔立ち。身につけている服装も、落ち着きのある色合いのもので年上のような印象を受ける。カラーコンタクトをしているのか瑠璃色の瞳をした彼女は、もじもじと身体を揺らし、再び僕の耳元で囁いた。



「お花を摘みに行きたいのですが……、この場所を離れると……そのぅ……」



 そこまで言うと、瑠璃色の瞳のお姉さんは恥ずかしそうに頬を染めて俯く。


 なるほど、大体の事情と僕に声をかけてきた理由は吞みこめたぞ。

 つまりこの人はトイレに行きたいけど、この場所を離れたら席を取られてしまうことを心配しているのだな。



「そう言うことなら席は僕が確保しておきますので、安心してください」

「あ、ありがとうございましゅ!!」



 よほど嬉しかったのか、それとも限界が近いのか。お姉さんは、ぱぁ~っと表情を輝かせると、脱兎の如く行ってしまった。


 僕はお姉さんの席を確保する為、今居る場所から後ろの席へと移動する。

 肩からさげていたバッグを彼女の席へ置いて隣の席に腰をおろすと、改めて会場内の様子を観察した――。

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