第3話 シークレットライブ③

 枢木夏向ファンクラブ、女性会員限定のシークレットライブ。

 その衝撃的な一件があったことで、僕は自分でデザインした作品の製作に取り掛かりつつも気持ちは沈んでいた。


 僕の隣では御空先輩と琴美も自分の作品造りに精を出している。

 ここは被服室、そして僕達は手芸部なのだ。一度スイッチが入ればちゃんと部活動として機能する。


 しかし今の被服室には僕と琴美、そして御空部長の三人しかいない。他にも部員はいるのだが、今日から期末考査の勉強期間が始まっていることもあり、きっと家に帰って勉強をしているのだろう。



「しかし渡良瀬琴美も紫吹肇も感心だな、テスト期間も部活しに来るなんて」

「そう言う部長は、三年生なのに部活へ来ていいんですか? 一学期最後の期末考査って、受験に響くんじゃ?」


 琴美は、ふと御空先輩へ投げかけた。


「私の進路はもう服飾系の専門学校と決まっている。それに成績も卒業するのに問題ないレベルを維持してきた。従って残りの学校生活で私がすべきことは一つでも多くの思い出を作り、青春を謳歌することだ!」


 そう言うと、御空先輩は手元を見ずに針の穴へ糸を通していく。実に慣れた手つきだ、僕でなくても見惚れてしまうだろう。

 

 御空先輩がつくり上げる作品は、お店に並べても遜色無い程の素晴らしい出来栄えだ。年二回行われている全国物造りコンクール《裁縫部門》では、過去に最優秀賞に選ばれて誉れ高い結果を残している。


 ただのアイドルヲタクと侮ってはいけないのだ。


 琴美も御空先輩の手さばきに負けじと糸を通そうとしているが、なかなか上手く通せていない様子だった。一応針の穴に糸を通す道具を使ってはいるものの、その効果は微塵も感じられない。


「むーずーかーしーい~っ!」


 琴美のお母さんも大変だな、こりゃ……。

 僕は、手に持ったハサミを使って生地を慎重に切り分けた。そして切った生地を丁寧に縫い合わせ、デザイン通りに縫い合わせていく。


 今僕が作っているのは緑を基調としたミニスカートで、不自然じゃないくらいの位置にポケットを縫い付けようとしているところだ。仮縫いを終えてスカートをひっくり返すと、いい感じに縫い合わせていたのが確認できてホッとした。


 御空先輩に比べると、僕もまだまだ未熟な腕前だが決して悪くはない出来栄えだ。若干の微調整を繰り返し、ミシンを用意する。男なのに女の子物の洋服を作るなんておかしいと思われるかもしれないが、僕はそう思わない。だって男の服より、女の子の服のほうが作っていて楽しいのだ。


 それに僕の夢は服飾デザイナーとして働き、いつか枢木夏向に着てもらえる様なステージ衣装を造ること。他意は無い、けして彼女とお近づきになりたいわけではない!



「痛っ!!」



 将来設計に思いを馳せていた僕の耳にそんな声が響いてくる、どうやら琴美が何かやらかしたようだった。


「琴美っ!?」

「渡良瀬琴美、何があった!?」

「ぶちょ~、はじめちゃん~。ゆび……、さしちゃったよ~……」


 涙ぐんでいる琴美の左人差し指には、直径二、三ミリ程度の赤い水滴が浮いている。おそらくこれは僕の想像だが、きっと針に糸が通ったことで安心してしまった琴美は、気の緩みから自分の指を刺すという失敗を犯してしまったのだろう。


 琴美の人差し指を診て、僕は胸を撫で下ろした。


「紫吹肇。渡良瀬琴美の容態は?」

「大丈夫、そこまで深くは刺さっていないみたいです。絆創膏を貼って安静にしていれば、明日にはちゃんと治りますよ」

「ほ、ほんとぉ~……?」

「あと、これ以上怪我をしないためにも今日は針を使わないでね。また指を刺したいなら止めはしないけど……」

「し、しないしない! 今日はもう針を使わないよ!」


 右手を振って針は使わないとアピールする琴美は、被服室に置かれてある救急箱を開けて絆創膏を指に巻きつけた。

どうやら僕の言葉は、効果抜群の良い脅し文句だったようだ。


「まったく、急に大きな声を出すから何事かと思ったではないか」

「えへへ、すみません」


 琴美自身は真面目で健気な人柄なのだが、これまでにもこんなことが何回も起こっていたので、今回の出来事も内心『またか……』と思ってしまう。こと裁縫に関してだけ言えば、実に不器用な一面をさらけ出す琴美であった。


 針を扱えない以上、琴美は生地のカッティングを始めた。いくら琴美でも、さすがにハサミで手を切ることはしないだろうと思いたい。琴美が静かになったことで、僕もやっと集中して自分の作品を進めることができた。


 一度作業に没頭してしまえば早いもので、時間はあっという間に過ぎ去っていく。気がつけば窓の外から見えていた景色は暗くなり、時刻も作業を始めてから三時間程経過していた。



「二人共、今日はこれまでにしよう」



 御空先輩が終了を告げる一言を口にした所で、僕も作業していた手を止めた。


「わかりました……って、琴美!」

「ふにゃ?」

「静かだと思ってみれば、ずっと寝てたの?」

「ず、ずっとじゃないよ。さっきまでちゃんと起きて作業してたもん!」

「さっきまで……」


 琴美が最初に切り分けた生地の色は薄いベージュ、それもまだ手つかずの新品だったことを僕は覚えていた。それなのにも関わらず、琴美の手にしている生地の形はほぼ原型を変えていない。これはつまり……。


「琴美、今日の作業は随分ゆっくり……というか進んでないよね?」

「そ、それは……。ほら、私ってば一度指を刺しちゃったから。もう怪我しない為にも、慎重に作業をしようと思って……」


 琴美の目は完全に泳いでいた。


「……わかった、そういうことにしておく……」

「じゃあ道具とか諸々仕舞って、帰る準備を始めてくれたまえ」

「はーい!」


 御空先輩の指示に対し、琴美は意気揚揚と元気な返事をする。裁縫道具を片付ける点だけは、本当に手際が良いんだからなぁ……琴美は……。


「二人共、部活に精を出すのもいいが勉強も怠らないようにするのだぞ」

「はーい!」

「わかりました」


 被服室の施錠を見届けて、僕と琴美は御空先輩と別れる学校の正門をくぐった頃には、空がすっかり夜になっていた。


「あー、今日も一日楽しかったね、肇ちゃん」

「僕はそうではないかも……」

「もしかして、まだあのアイドルのこと気にしてるの?」

「あのアイドルとはなんだ! ちゃんと枢木夏向という崇高にして唯一無二の名前があるんだぞ!」

「はいはい、そうでしたねぇ~」


 本当にわかっているのかと思ったが、質問の方向性としては鋭いところを突いてきたと感心してしまう。彼女のライブのことで気が重かったのは事実だった。


「まぁ、仕方ないよ。なんたって女性限定なんだから」


 琴美の言葉は、やけに女性限定という部分を強調しているように聞き取れた。


「琴美が羨ましいよ、女の子なんだからライブに行けて……」

「いやいや、羨ましがられても私はライブに行かないし、行くつもりもないから」

「ええええええっ!? 琴美、ライブ行かないの? どどどどどどっ、どうして?」

「どうしてって別に私、アイドルとかどうでもいいし枢木夏向に興味無いもん」

「……………は?」


 僕は信じられない言葉を聞いてしまう。

 琴美は確かに今、枢木夏向に興味無いと言いやがった。二十一世紀に舞い降りた天使の生まれ変わりである彼女に、興味が無いだと!!


 ふざけるな、このメス豚がっ!!


「琴美、今すぐ眼科行ったほうがいいよ」

「なんでよ!」


 いや、僕は琴美の目のことを真剣に心配しているつもりだったのだが……。

 あの枢木夏向の姿を見て興味関心を抱かないなんて、琴美の目の異常さは乱視なんてレベルじゃないぞ。

 

 うーむ、やはり女の子同士だからなのだろうか。


 御空先輩があれほど熱く語ってくれてたにも関わらず、琴美には枢木夏向の魅力がイマイチ伝わっていないようだった。


「大体、私がそのアイドルに興味あっても、ライブに行くか行かないかは私が決めることでしょ。肇ちゃんが気にすることじゃないってば!」

「それは、そうだけどさ……。琴美、何か怒ってない?」

「ふんっだ! さっきから枢木夏向、枢木夏向って騒いでいる肇ちゃんが悪いのよ!」


 そう言うと琴美はプイッとそっぽ向いて、不機嫌アピールをしてくる。僕はただ、枢木夏向について少しでも興味を欲しいだけなのに。彼女のことを口にすればするほど、琴美の不機嫌さは募っていく。そこで僕は、自分が琴美に押し付けがましいことをしてしまっていると反省した。


 琴美がライブに行かないのは琴美の自由だということは充分理解しているつもりだ。だが僕にはどうしても、贅沢な選択肢に思えてならなかった。


ライブに行く、行かない。


 僕には選ぶ権利すら与えられていない選択肢が、琴美にはあるのだ。それがとてもうらやましかった。


「はぁ~~。どうにかして、ライブを観に行けないかなぁ」

「まだ言ってる。そんなに観たいなら、女装でもして観に行けばいいんじゃない?」

「え?」

 

 それは琴美が、嘲笑うように口元を歪め呟いた一言だった。

 だが僕は、その一言にこの状況を打破する兆しを確かに感じ取った。


「琴美、今……なんて?」

「んー? 女装でもすればって言ったの。まぁ、さっきから散々嫌な思いさせられたんだもん。これくらいの悪口は私にも言わせてよね」


 そう言って琴美は、僕の方を見て悪戯な笑みを浮かべてきた。


「女装……、女装……か……」

「ちょ、ちょっと……。肇……ちゃん……?」


 それから僕は家に帰りつくまで、ずっと女装のことを考えていた。時折、琴美が隣で騒いでいた気もするけど記憶に残っていない――。

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