第2話 シークレットライブ②

 七月七日、枢木夏向シークレットライブ開催!! 場所は蓮水文化センター。

 そう表示された携帯画面を見せられて、仰天するあまり僕は声を発すると同時に御空部長の携帯電話をもぎ取っていた。

 

 見間違いでは無いことを脳に刻み付けるべく、携帯の画面をくまなく見つめる。

確かに何度確認しても、『枢木夏向、シークレットライブ開催!! 場所は蓮水文化センター』と書かれていた。



「御空先輩!! これ、どこの情報ですか!? ちゃんと信用できるんですよね?」

「もちろんだ! これが誤報なら、私は情報を流した奴を呪殺してやるっ!!」



 御空先輩の目は本気だった、本気で殺るつもりなのだ。言葉の例えとはいえ、御空先輩なら本当に呪殺できてしまいそうなのが怖い。



「たかがアイドルが来るっていうだけで、何を大騒ぎしてるんだか……」

「「たかが……、アイドル……?」」


 

 琴美の言葉が、僕と御空部長の逆鱗に触れた瞬間だった。

 

 御空先輩は琴美の首根っこを引っ掴むと、すぐさま被服室の中にあるホワイトボード前に設置されている教員用座椅子に座らせる。そして右手に黒色のマーカーを握り、長い黒髪をグルングルン振り回しつつ、荒ぶる動きで右手を動かした。



「渡良瀬琴美!! 今すぐこのホワイトボードに書かれた文字を読み上げなさい!」

「え、えーっと……くるるぎかなた……は、にじゅういっせいきに……まいおりた、てんしの……うまれかわり……である……?」

「声が小さ――いっ!? 紫吹肇、手本を見せてあげなさい!」

「はい!! 枢木夏向は、二十一世紀に舞い降りた天使の生まれ変わりである!!」



 ホワイトボードに御空先輩が殴り書きしたその文章を、僕は大声で三回読み上げた。隣にいる茶道部から「お静かに!!」と言われてしまったが気にしない。



「渡良瀬琴美、君は本当に枢木夏向の事を知らないのか?」

「し、知ってますよそれくらい。最近、テレビによく出てるアイドルですよね?」

「その程度で枢木夏向を知っているつもりか? この未熟者! 君は枢木夏向の『枢』の字どころか、木偏の一画目すらわかっちゃいない!」

「いやいや、書き順ぐらい知ってますから」


 猛り狂う御空先輩に対し、冷静にツッコミを入れる琴美だった。


「そもそも女の御空先輩が、何で女の子のアイドルを応援しているんですか?」

「ふふ、良い質問だ渡良瀬琴美。そう、私と枢木夏向の出会いは遡ること――」


 この後、御空先輩によるありがたい枢木夏向講座が語られた。御空先輩と琴美が話をしている傍で、僕も枢木夏向の事について振り返ってみた。

 

 彼女の名前を知ったのは今から一年前である。

 一年という期間が短いのか長いのか……それは個人の主観的な要因が大きいと思うが、枢木夏向というアイドルに至ってはそんな概念は存在しなかった。なぜなら彼女がアイドルとしてデビューし、たくさんのメディアや僕たち一般人に注目され始めたのが【一年前】だからである。それまでの彼女はアイドルではなく、普通の女子高生として生活していたのだ。


 僕の人生が大きく変わったのは、彼女が出場したカラオケ大会が始まりだった。

そしてそれは、枢木夏向という天使が現世に舞い降りた記念すべき瞬間でもある。


 老若男女、一般の参加者が集うその大会で、枢木夏向はアイドルとしての才能を開花させた。高校生とは思えない歌唱力を披露し他の出場者を圧倒しただけでなく、歌を聴いていた全ての者に自分の存在を刻みつけたのだ。


 公共の電波を通して伝わった枢木夏向の歌声は、僕の体を駆け巡る。そして楽しそうに歌う彼女の姿に、人々の心は強く引き寄せられていた。彼女がテレビ番組で歌っていたのは、時間にしてたったの二分程度。しかしその二分という時間が、僕には大きな変革が起こった二分間だと確信できた。

 

 そして月日は流れ、今や枢木夏向は全国民が知るところのトップアイドルである。つまり僕は、デビューした瞬間から彼女の事を知っているのだ。


 御空先輩も僕と同じく、枢木夏向がカラオケ大会で歌っている姿を目の当たりにした内の一人である。先輩が枢木夏向に強く惹かれたのは、彼女の【歌声】だった。アイドルとして売り出されるようになった枢木夏向が、自身初のCDを出した時の話を肴に、ファミレスで五時間語り合ったのは良い思い出である。


 そして電光石火の如く枢木夏向ファンクラブが設立された。僕と御空先輩も反射的に会員登録したが、惜しくも名誉ある会員番号一桁台を逃してしまう。


 枢木夏向の事を改めて振り返った僕は、携帯電話のネット回線を通じてシークレットライブの情報を検索してみる。彼女に関するいくつかのウェブサイトが、携帯電話の液晶画面に表示されていった。



「えーっと、シークレットライブの情報は……」



 目を皿のようにして、僕は携帯電話の画面を凝視する。しかしどんなに調べても、僕はシークレットライブについての情報を発見できなかった。


 ファースト写真集の発売日。

 ファン待望のサイン会。

 枢木夏向のCM特集等々。彼女に関する最新情報は色々と更新されて記載があるのに対し、肝心のシークレットライブについての情報がどこにも出てこなかった。



「あれ? おかしいなぁ。御空先輩、シークレットライブの情報ってどこから仕入れてきたんですか?」

「ん、それはだなぁ……」


 御空先輩は琴美への話を切り上げ、僕の質問に答えるべく携帯電話をつつき始めた。先輩から解放された琴美の表情が、僕の目にはとても安堵しているように写る。



「このシークレットライブの情報だが、実はかなり特殊なのだよ」

「特殊……ですか?」

「どうやらこの情報は、枢木夏向のファンクラブ会員、それも女性会員だけに送られているらしい」

「じょ、女性会員だけ?」



 全く想像にもしていなかった答えが、御空先輩の口から告げられた。女性の会員だけにシークレットライブの情報を送るなんて……運営側のミスなのか?



「観客制限はどれくらいですか御空先輩。七月七日って、もう二週間もないですよ。早くチケットを申し込まないと、売り切れちゃうかも……」

「確かにそうだ。蓮水文化センターなんて、五百人も入ればパンクしてしまう」

「そうですよ! こうして彼女のシークレットライブの情報を女性会員ならともかく、男性会員の誰よりも早く手に入れられた僕は、枢木夏向に選ばれたんです! これは観に行く運命なんですよ!」


 すごく自分勝手な解釈な気もしたが、今の僕には彼女に会いに行くことだけしか考えられなかった。


「会場は、観客が五百人に達した瞬間に入場制限を設けさせていただきます――と書いてあるようだ。そして、特にチケットの販売は行っていないらしい」

 

 僕は、御空先輩が口にした言葉に耳を疑った。


「あ、あの枢木夏向のライブですよ! 蓮水市の人達はバカなの? 死ぬの?」

「全くだ! 大体、あの枢木夏向が来るというのに〝蓮水文化センター″なんて小規模な会場を用意する辺りが間違っている!」


 僕と御空先輩の思いは同じだった。どうにも市役所のお偉いさんは、枢木夏向を過小評価しているように思えてならない。


 僕は知っているのだ、彼女が如何にすばらしい存在で、こんな田舎に来てライブを開いてくれること自体が奇跡なことを。



「ねぇ、二人とも……。盛り上がっているところ悪いんだけど……」



 市役所に出向いて抗議しようと企てていた僕と御空先輩の間に声を挟んだのは、さっきからずっと黙って僕たちの成り行きを見ていた琴美だった。


「これ、【女性限定】のライブみたいだよ?」

「「へ?」」


 琴美の言っている言葉の意味が分からなかったので、僕はひとまず市役所に抗議することを頭の片隅に置いた。そして琴美の持っている先輩の携帯電話の画面を覗き込む。



「ね、ほらココ。確かに書いてあるでしょ?」



 琴美の指差したところには、確かに『来場されるお客様は【女性限定】とさせていただきます』と書かれていた。



「はぁ――――っ!?」



 あまりにも仰天してしまい、僕は大声を発していた。そのことで再び、隣の茶道部から「ゴラァ、手芸部!! 静かにしろっつってんだろうがァ!!」と言われてしまった。しかし今の僕には、そんなことなど気にする心のゆとりは無いのである。


「本当に……、女性限定のライブなんだ……」


 何かの間違いだ、そう思い何度も携帯の画面を見返したが、女性限定の文字は確かに明記されていた。


「本当に残念だ、紫吹肇。私は女に生まれたことを今日という日ほど感謝したことはない。君の分まで、私が楽しんできてあげるから安心したまえっ!」


 口ではそう言う御空先輩だったが、その表情は緩みきっており頬のニヤニヤが止まらないといった感じだった。


 先輩、明らかに勝ち誇っているな。


「くそっ、なんということだ! 神は僕を嘲り、愉しんでいるとでもいうのか!?」

「いやいや、肇ちゃんが勝手に勘違いしただけだと思うよ」


 琴美のさりげなくも鋭いツッコミが、僕の傷ついた心を抉り込む。

 ヌカ喜びもここまで来れば滑稽だ。僕はこの瞬間ほど、自分が男として生まれたことを後悔した事は無い。


「成程、女性限定ということであえてのシークレットライブ。だから観客は五百人という小規模会場をセッティングしたというわけか……」


 冷静な御空先輩の分析に、理解は出来てもは納得できなかった。


「考えてみれば、元々女性会員だけに絞った情報を送っていたんだし。当然といえば当然だよねぇ~」


 琴美と御空先輩は愉快そうに笑っている。


「ちくしょう! 何故だ、何故……なんだ……」

「肇ちゃん……、なにも泣かなくても……」

 

 これが泣かないでいられるもんか! 

 また再び枢木夏向に会えると歓喜した途端、突き離されたんだぞ!

 織姫と彦星だって、「今回の七夕は会わせないから、そのつもりで」なんて言われたら、きっと僕と同じ気持ちになるに違いない。


「……だとしても御空部長、なんでわざわざこの蓮水市なんでしょうか?」


 ふと口からでた琴美の疑問が、悲しみに暮れる僕の耳に聞こえてきた。


「うーむ。この場所でライブをする深い意味が、あるのかもしれないな……」


 御空先輩は首を傾げて考えるが、考えるほど謎は深まっていくばかりだった。


「まぁ、ライブの事は残念だけど、これが最後ってわけじゃないんでしょ。肇ちゃんも、そんなに気を落とさないで……ね?」


 僕の肩にポンッと手を置いて、琴美は労いの言葉を送ってきた。


「よーし! それじゃあアイドルのことはひとまず置いといて、部活を始めよう!」

「よくそんなテンションで部活を始めようなんていいだせるね、琴美は……。その神経と太腿の太さには、心から恐怖を感じてしまうよ」

「肇ちゃんが勝手に盛り上がって、勝手に落ち込んでるだけでしょーが!!」


 ライブが女性限定ということはどうしようもないので、これ以上僕が騒ぎ立てたところで変わらない。それは百も承知なのだが、すぐに気持ちを切り替えて部活を始めるなんて気にはなれなかった――。

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