最高の目覚めをください
ミトイルテッド
第1話 最高の目覚めをください
ある週末の夜、男は久しぶりにカクヨムへログインした。
妻は友人たちと旅行に出かけており、一人自宅で過ごす静かな夜だった。机の上には琥珀色のバーボンが注がれたロックグラスが置かれ、傾けるとカランと小気味いい音をたてて氷が弾ける。
なになに、カクヨム3周年記念選手権? ほう、賞金は3万円か。7日目のお題は『最高の目覚め』で、文字数は1200~4000字。応募締切は……明日の正午か。あんまり時間がないけど、このくらいだったら俺にも書けそうな気がするな。3万円あれば妻に内緒でゴルフクラブが新調できそうだ。ようし、いっちょやってみるか。ノートとペンを取り出し、早速プロットづくりに取り掛かかることにした。
うーん、最高の目覚めねえ。せっかくだから読者がアッと驚くような凝った設定にしたいよなあ。
こんなのはどうだろう。幸せといえば金と女。主人公が寝ている間に、別の場面で物語が進んでいって、起きたらそのどちらもが手に入るような話。例えば、密かに恋心を抱いていた女が部屋を訪ねてきて目を覚ますとか……いや、それじゃあストーカーっぽいかな。起きたら宝くじが当たってたってのもちょっとありきたりか。目覚めたらアラブの石油王と体が入れ変わってたっていうのはどうだ。でも、それだと言葉の問題が出てくるよな。矛盾がないように凝ったストーリーを組立てたいんだが……。
あーでもないこーでもないと30分ほど悩んだのだが、さっぱりいいアイデアが浮かばなかったので、もっとシンプルな設定で攻めようと考えをあらためる。
雪山で遭難した男の話はどうだろう。極限の状況のなか、残してきた家族を思って一人テントの中で耐え忍ぶ男。しかしついに食料も尽きてしまった。そして眠気も限界に達し、抗い切れずにうたた寝を始めてしまうのだ。もう駄目かと思われたその時、間一髪のタイミングで救助隊が到着する。目を覚ました男の眼前に温かいココアが差し出され……。
ちょっとシンプル過ぎる気がした。もうちょっと読者の注目を集めるような設定がいいような気がするぞ。となると異世界か……。
1000年前、勇者一行によって北の大地の果てドルゴネストに封印された魔王。人々は、はるか昔に過ぎ去った暗黒時代のことなどすっかり忘れ去り、平和な生活を送っていた。しかし魔王は力を蓄えていたのだ。魑魅魍魎のごとく跋扈する凶悪なモンスターどもを従え、再び人類を地獄の底に突き落とすその日を夢見て。封印の力は弱まっており、目覚めの時はすぐそこまで迫っていた。大地を震わせる咆哮とともに目覚めた魔王は圧倒的な力を解き放つ……。
……うん、悪くない。悪くはないと思うんだけど、なんか誰か書いてそうだよな。異世界ってライバル多いし。となると、これも駄目か。男はやれやれとため息をついて、グラスに残っていたバーボンを一息に飲み干した。
よし、もうちょっと身の丈にあった話を考えよう。こういう時は自分自身に照らし合わせて考えてみるといいんだよな。そうだな、今の俺にとって嬉しいできごとってなんだろうか……。おっ、まさにこの賞を受賞して3万円もらうことじゃないか。となると、メタフィクションっぽい設定にして、目が覚めた俺がメールボックスを確認すると受賞の通知が入っているってオチのこんな話はどうだ。
週末の夜、一人自宅で過ごす男がカクヨム短編コンテストの募集を知る。男は賞金の3万円欲しさに足りない頭を振り絞って色々なアイデアを出そうとするが、そのどれもがパッとしない。そこで男はこう考えるのだ。メタフィクションっぽい設定にして、うだうだとプロットを練っていた過程をそのまま書いてしまおう。そうやって書いた小説が大賞に選ばれるのだ。そして、ある朝目覚めてメールボックスを確認すると受賞の通知が入ってる、と。
うん、面白いかもしれない。カクヨム編集部にもこの気持ちが伝わるように「最高の目覚めを下さい」ってタイトルにしよう。
○●〇●
カクヨム編集部員エヌ氏の朝は早い。
朝5時きっかりに起床し、時間をかけてコーヒー豆を挽く。オンラインショップで取り寄せているジャマイカ産の高級豆だ。キリキリと心地よい音をたてて削られていくコーヒー豆。ドリッパーにペーパーフィルターをセットし、中細挽きにした豆を軽量カップですくって投入する。それから少しずつ少しずつお湯を注いでいくのだ。ほのかに立ち上る上品な香りが鼻腔を抜けていき、エヌ氏の頭も次第にクリアになっていった。
そういえば今日の午後にカクヨム3周年記念選手権の選考審査があったな。お題は最高の目覚めだったっけ。しまったなあ、たしかまだ読み残しの作品があった。エヌ氏はテーブルの上にラップトップを広げると、担当として割り当てられた残りの作品を読んでいった。
さてと、次は「最高の目覚めをください」か。うん、メタフィクション設定のストーリーね。……ふむ。読みやすいし悪くはないけど、ちょっとパンチに欠けるな。惜しいけどボツ。えー、次の作品は……っと。
ところが。
午後に行われた選考会でまさかのどんでん返しが起きた。若手編集部員のワイ氏が「最高の目覚めをください」を猛プッシュしたのだ。本来この作品は彼に割り当てられたものではなかったのだが、そこは若手特有のみなぎるやる気がなせる技、彼は担当外の作品も一通り目を通したらしい。そして「最高の目覚めをください」に衝撃を受けたそうだ。ワイ氏は、この作者は将来の日本文学を担うポテンシャルを秘めているとまで言い切り、推しに推しまくった。最初はこんな作品のどこがいいのかさっぱりわからなかったエヌ氏も、彼の熱い演説を聞いているうちに、ひょっとしたらこれはすごい作品なのではないかと思い始めた。そしてしまいには編集長までもがワイ氏の意見に賛同し、最後は満場一致で「最高の目覚めをください」に賞を与えることが決定したのだ。
どこか腑に落ちない気持ちのあったエヌ氏であったが、これは正式に選考会で決まったことだ。その日の深夜、エヌ氏は作者に編集部賞受賞のメッセージを送信した。もし作者が明朝このメールを見るのだとしたら、作品に書いてあるストーリーそのままをなぞっていることになる。エヌ氏はなんだか自分が小説の登場人物になってしまったような気がして、ちょっと嫌な気持ちになった。
よし、これは傑作ができた。男はここまで書いた文章を読み直し、自らの作品の出来に大いに満足していた。特に最後にカクヨム編集部員のエヌ氏を出したところなど、我ながら素晴らしいアイデアではないだろうか。さあ、これで近いうちに3万円が手に入るはずだ。男はウキウキした気分に浸りつつ、三杯目のバーボンを空けてから床についた。
男はまだ知らなかった。この6時間後、妻が旅行先のラスベガスのカジノで30万ドルのジャックポットを当てることを。翌朝、男は妻からの電話で目を覚ますことになる。
最高の目覚めをください ミトイルテッド @detlily
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