最高の目覚めは宵に来た

さかした

第1話

栗生くりゅうがこの変わらない地平線を歩み始めたのは、

いったいいつのことだったろうか。

途方もなく歩き始めたのが5日前。

いやこの砂漠の入り口に入ったのは、正確には3カ月ほど前。

いやいやもっと前からすでに前兆があったのではないか。

あまりにも苦しい現状から、いったいどうしてこうなってしまったのか、

そう繰り返し反芻をしていた。

辺りにはほとんど皆無に近いほど草木を生やさぬ砂漠で、

栗生は今にも野垂れ死にしそうな動きをしている。

灼熱の太陽が盛んな時間は何とか凌いだものの、遮蔽物が全く

見られないこの大地では、太陽が沈むまでの時間を長く感じさせられる。

いまはもう暑くはないが異常に気だるい。

今すぐにでもここで横になりたい誘惑に駆られる。

しかしいけない。もう水の持ち分もない。

こんなところで横になってしまったら最後、もうそこでおしまいだ。

こういうのは、ちょっと休憩、というのが歯止めが効かなくなる。

休憩後の身体は重くなる、そこで前より早く疲労が蓄積してまた休憩を欲する。

するとますます身体が重くなってさらに疲労がたまって、もっと早く休憩を…。

そうやってあっという間に気力は削がれていくのだ。

だからこんなところで決して動きを止めてはならない。

せめて水場を発見するまでは休めない。ただあてはない。

そのため栗生はただその動きを決して止めないという一心で、

途方もなく広い砂漠を前へ前へと進んでいた。

まっすぐ進んでいれば、どんなに砂漠が広くても必ずいつかは抜けられる…

そう信じて。


変化があったのは翌日のことだ。

ロバを数頭所持した商人に出会ったのだ。

栗生は自分の眼を何度もこすってみたが、その様子が変わらないのを見ると、

駆けて道行く長身の姿に声をかけた。

「おやおや、こんな広々とした砂漠でお客様か。」

振り向きざまに、ややおどけた調子の声が響いた。

久しぶりに聞く人の声だった。

「水、水がほしいのですがお持ちでしょうか。」

「ああ、そんなこと。」

前方に目を見やるとロバたちを止めて、さも当然のように

「貴金属はお持ちかね?」

と嘯いた。一瞬、何を聞かれたのか分からず、栗生は呆然とした。

「これは由々しき事態だ。」

商人は目を手で覆うように当ててため息をついた。

やむを得ないととらえたのか、首から下げている筒を一つはずすと、

「飲みたまえ。」

と差し出した。

栗生は受け取るとごくごく飲み、勢いでそのまま膝を折って座り込んでしまった。

極度の疲労が訪れ、今すぐにも横にでもなりたい、そういう気分になった。

2,3回の咳払いとともに、そこへ再び男の声がした。

「ただとはいかん。これも商売道具でね。貴金属と交換だ。」

そう言われはっと我に返る。

そうだ、この人に助けてもらったのだ。お礼をしなければ。

貴金属なら…ここに。

「それではこれを。祖父の形見として大事に持っていたものなのですが。」

そう言いつつ、何かの紋章を象った真珠のあるネックレスを取り出し、

首からはずすとそのまま商人に渡した。

「ほほう、これはなかなか見かけぬ珍妙な品ですな。」

「何でも祖父は一種のコレクターだったもので、私にはよく分かりませんが。」

「ふむ。」

商人はしばらくそれを振りかざして眺めたままだったが、

「まあそこいらの品よりは値が張る程度でしょうな。

 それではありがたく頂戴いたしますぞ。」

と受け答えするとそのまま脇にある小袋へと入れた。

「と、ところでどこの街からいらしたのですか?」

「何、ここから左の方面、つまりは北西だな。だが、わしは行けん。

 わしが行くのは右の方面、南東のオアシスの街じゃ。

 お前さんもこちらに来るとええ。

 どうせ方角が分かるコンパスもないじゃろ。連れってってやる。」

願ってもない話だった。まさか再び街に戻れる日が来ようとは!

「ただし、ラクダと交代で荷物を持ちなされ。

 ラクダもこの暑さで疲れているゆえちときついのだ。

 察してくれ。」

それぐらい、今までの途方もなく道が不案内な状況に比べれば天と地との差だ。

やってやろう!

「それでは街までお供いたします、ご主人。お名前は?」

「名前か。名前は…。」


設楽したらという商人と、その供をした栗生は3日後、無事に街に到達した。

街に到着後、設楽は用事があると言い出しそこであえなく別れた。

栗生はやむなく、なけなしの金でも荒んだ民宿に何とか泊まれたが、

設楽は店に入って目当ての人の不在を確認すると、

仲間のいる居酒屋へと足を運んだ。

目当ての人はそこにいた。

「お前さん、また水の取引かね?ここのところ聞くぞ、

 水の取引でぼろ儲けしていると。」

設楽の仲間らしい男の一人が言った。

「人聞きの悪いこと、あまり言わないでもらいたいものだね。

 それに今日の目玉はそれじゃない。このネックレスだ。」

と、その場にいたある者に見せてみた。

このネックレスのデザインといい、紋章といい、栗生には黙っていたが

これは破格の値打ちのあるものには間違いない。そう設楽は睨んでいた。

「あ、あなたはこれをどこで!!見てください、この紋章を!

 これは200年前の、さる王国で愛用された、偉大な遺品ですぞ!

 王国ご用達の腕利きによる、当代随一のお品ですぞ!」

設楽が探していたのは、この鑑定士だったのだ。代わりに店番をしている

女性に尋ねたところ、いつもの居酒屋にいると話を聞き、

さっそくその仲間の鑑定士の所に向かったのだった。

設楽の仲間は怪しい者が多く、鑑定士もその一人ではあったが、

その分公にはできないような品まで売り捌くにはもってこいであった。

鑑定士の驚愕の反応に対し、その隣の男が理解が及ばず、

「そ、そんなにすごいのか。」と呆気にとられながら尋ねた。

「確かな鑑定士を呼んだのだ。その通りであろう。」

と設楽は平然と頷く。

「それで、売ればざっといくらになりそうですかい?」

「かの王国はご承知の通り、今はもう滅亡しておりますが、

 その臣下だった者が貴族として、あるいは裏社会で活躍しておりまする。

 彼らに売るのが最も高値となるでしょう。そうですね。

 ざっくり、貴殿の10年間分の収入に匹敵するにちがいない。」

設楽は始めはこらえていたが、しだいにふっふっと笑みが込み上げるのに

耐えられなくなってきた。

「そうかそうか。偉い品を入手したものだ。

 今夜は愉快な夢が見られそうだわい。」

設楽は、オアシスの街を中心にあちらこちらに店を十数軒ほどは構える大商人だ。

その長の1年間の収入だって、普通の人には手が届かない額である。

それの10年分となると相当な値打である。

「お前さん、これを本当にどこで入手したんですかい?

 もしや不当に…?」

「ああもうしつこいねえ。私はあくまでも人助けのお礼という好意で

 これをいただいたのだ。」

「な、何これをタダで!?」

あ、いけないと設楽は思いながらも観念したのか、

「とある若者からね。」と答えた。

「とにかく、その若者も無事に砂漠から戻ってこれたのだし、

若者も私もともに、明日は素晴らしい目覚めを迎えるだろう。

ウィンウィンな関係で素晴らしいではないか。」

「人の弱みにつけ込んどるのではなかろうか。」

そういう声も出てきたが、

「いやいや例の元貴族の密輸者に比べれば、設楽はまだ悪党ではない。

 第一悪いことは一切しておらん。悪いことはな。」

と、近くで話を聞いていた別の男が答えるのだった。


夜。まだ深夜にはほど遠いが、栗生は久しぶりに砂でない布団の中で、

布の擦れ合う感触から生じる温もりを、しっかりとかみしめていた。

ああ、ついにたどり着いたんだ。

栗生は相変わらず、自分があの砂漠を抜け出た、という実感にどこか欠けていた。

けれども今の安逸に感謝し、この街での出来事を、

さも極上の食事をしてその味を反芻するかのとごとく、振り返っていた。

宿泊する民宿の部屋に来てまず始めにやったこと。

身体を大の字に伸ばして横たわった床。

その傷んだ床すらもその感触すらも至福を栗生にもたらしていた。

そこでもうこれでもかというほど、伸びをじっくり味わった。

それからしばらくして近場のオアシスの湖に行き、

無一文同然の金をはたいて中へと潜った。

ひんやりした水が肌に心地良かった。

これも久しぶりのことであった。

この湖でのうっとりするような情感を心に描きつつ、

栗生はそのまま寝入ってしまっていた。

これからのこと、明日からどう動こうかなど全く考えもせず、

その顔に笑顔を浮かべながら。


翌朝のこと。この光景は夢ではないはず…。いややっぱり夢なのか。

栗生には判断がつきかねた。さすがに砂漠から無事帰ってきたことだけは

夢ではなかったはず…と考えながらも、いやいやそれなら何であれがそこにある?

やはりまだ寝ているのか等と混乱していた。

目覚めると目の前の机には、あのネックレスとともに

財布と一通の置き手紙があったのだ。


 まだ宵であるから起きているだろうと思っていたのですが、

 お疲れだったのでしょうね。

 すでに熟睡だったのでそのままにしておきました。

 代わりに手紙を置いておきます。

 このネックレスは、かつてこの地一帯で繁栄していた王が

 愛用していた一級品です。

 将来何かやりたいことが決まったとき、これを元手としてください。

 十分すぎる軍資金になるだけの価値があるはずです。

 ですから、時期が来るまでは生活が苦しいかもしれませんが、

 大事にとっておいてください。

 大丈夫。あの砂漠を乗り越えてきたならきっと次も乗り越えられるはずです。

 設楽ですか?設楽の方ならなおさら安心してください。

 彼はいつも人の弱みに付け込んで高値で水の取引をしておりますので、

 金には不自由がないでしょうし、私が出たら、

 この件からはすぐに引き下がりましたよ。


 とある時は鑑定士、とある時は密輸業者の、王の末裔の忠臣より



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最高の目覚めは宵に来た さかした @monokaki36

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