第51話 止める者

「君達、喧嘩はよくないね。事情を聞かせてくれ」

 警官の制服を身に纏う中年の男は落ち着いた調子で言う。


「け、警察!?」

 突然の警官の登場に金髪の少年はひどく狼狽えた。

 その間、蒼狼は意識なく倒れている仲間4人と警官とを素早く見比べてから仲間の金髪の少年を見る。

「行くぞ」

 と蒼狼は小声で言うと、警官に背を向けて走り出した。

「え!? み、皆はどうするんですか!?」

 蒼狼が全く振り向かないことで金髪の少年はすぐ理解した。仲間を置いて逃げるのだと。

 倒れている仲間達と逃げだして離れていく蒼狼の背中を、少年は混乱した思考で何度も交互に見る。


 そうしている間に警官がゆったりとした足取りで近づいてくることに気づくと、少年は蒼狼の背中を見た。

「まッ、待って!」

 警官に捕まるかもしれないという恐怖からなのか、仲間を置いていく罪悪感からなのか、引き攣った表情で金髪の少年は蒼狼の後を追っていった。


 2人は走って逃げだしたが、佐藤剛はその場から動かずに倒れている人間達に視線を向けた。

 意識を失った蒼狼の仲間4人と、蒼狼のパンチを顔面にくらい仰向けに転がっている湯沢由輝。

 呻き声を発しているところを見ると湯沢由輝には意識があることがわかる。

 ――あのパンチをモロにくらって脳震盪を起こしてるな。意識がかなり朦朧としてる……。湯沢由輝こいつは、今すぐ逃げれる状態じゃない。

 そう判断してから、彼は視線を警官に戻した。


 中年の警官は歩調を変えることなく、近づいてきている。

 この警官を佐藤剛はじっと観察する。

 ――どっしりとした体型、顔に刻まれた皺。見た目は50代ほどのおっさんに見える。

 温和で優しげな顔は元々の生まれついた造形だろうか。この顔つきに加えてさっきの口調はかなり落ち着いていた。

 警官の制服を着ていなければ優しそうな普通のおっさんに見える。けど――


「おっさん、本当に警察?」

 佐藤剛は無表情で訊いた。

 ――なにか引っかかる。ホームレスの溜まり場であるこの場所にわざわざ警官が入ってきたこと。

 ここのホームレスは刑務所に入ったことがある奴が多いと師匠から聞いている。

 警官に不信感や恨みを持つ人間が、この程度のケンカで通報するとは考えにくい。

 たまたま通りがかりの人が通報したというのは有り得なくはないが、ここは沢山のテントによって公園の外から中の様子は見えないような位置だ。

 それに、ケンカしていた当事者が2人も逃げ出したというのに落ち着きすぎているような気がする。


「私はれっきとした交番勤務の警官さ」

「証拠は?」

 佐藤剛が間髪入れずに質問したことに、警官は少し驚いた表情になって立ちどまった。

「ああ。そういえば警察手帳を見せてなかったね」

「その場で証明しろ」

 警官と佐藤剛との間には十分に距離がある。

 もし、警官が無理に距離を詰めてくるようであれば佐藤剛は逃げるつもりでいた。

 その考えに警官は気づいたのか立ちどまったままでいる。


 しかし温和な雰囲気は変わることはなく、顎に手を当てた。

「そうだな……。それじゃあ、君のスマホで警察署に電話をかけてくれ。スマホで検索をかければ、最寄りの警察署の電話番号がわかるはずだ。そこに私の名前と所属を伝えれば確認がとれる。私の名前は……」

「今、スマホ持ってない」

 表情を変えずに言った佐藤剛を警官はきょとんとした顔で見てから、くすりと苦笑いを浮かべた。

 そして被っている制帽のひさしを触りながら言う。

「いや~、苦し紛れに嘘を吐くのはよくないなぁ」

「本当に今持ってな……」

 佐藤剛の言葉が途切れた。

 警官の雰囲気が変わったからだ。

「そうなると確認がとれないね。まいったまいった。だが、少なくとも一つ言えるとしたら――」

 警官は真剣な表情で佐藤剛を見据える。

「私は犯罪者のカネに釣られて、違法イベント関係者の出入口の見張りをするような腐りきった警官でないことだけは確かだ。君はそのイベントの一つ、UGFC地下格闘にファイターとして関与していたね? 佐藤剛君」


 思いもよらぬ警官の言葉に佐藤剛は息を飲んだ。

 ――自分がUGFCのファイターで戦っていたことも、身元もバレてる!?


 警官は言葉を続けた。

「私は君を探していた。事情を聞きたいんだ。こちらに来なさい」

 佐藤剛の脳裏に『何のことかわからない』とでも言ってしらを切ろうかという考えがよぎったが、ベテランだと思われるこの警官にそんな嘘は通じないのは想像できる。

 そのため黙って見ているしかなかった。

 ――腐りきった警官というのは、アーケード内にある交番の警官のことで間違いなさそうだ。メイからはあの警官が見張り役だと聞いていた。その事実が発覚し、イベント会場も摘発され、自分がそのイベント会場でUGFCのファイターをしていたこともバレてる。これは、内部情報も漏れてるってことだよな……。

 事態は相当深刻なのだと佐藤剛は理解する。

 ――捕まるわけにはいかない。一体どうする。


「それにしても、随分大きくなったな剛君」

「……は?」

 急にこの警官は何を言い出したのかと佐藤剛は怪訝な表情になった。

「私のことは覚えていないか。君とは数回顔を合わせて話もしたんだがね……。いや、無理もないかもしれないな。あの頃、君はまだ7歳だったから」


 警官は被っていた制帽をとる。その頭はずいぶんと白髪が多い。

「私は岡崎おかざき一清いっせい。7年前、君のお父さん――佐藤天理の殺人事件を刑事として捜査をしていたんだ。今は色々とあって交番の巡査だがね」

「……おかざきいっせい?」

 佐藤剛は幼い頃の記憶を辿るが、この警官の名前に聞き覚えもなく、見覚えもない。

 ――いや、あの時に見たはずの警官達の顔、誰一人思い出せないな。

 その代わりに彼が思い出すのは、冷たくなった父親のだ。


 突然、岡崎一清は頭を下げてきた。

「本当に、すまない」

 深々と頭を下げて謝ってきたことに、佐藤剛は意味が解らず呆気にとられる。

「なにが?」

 佐藤剛の口から自然と問いが零れた。


「君のお父さんを殺害した犯人を今も見つけられないことだ」

 岡崎一清は頭を上げる。

「君のお父さんを殺した犯人はこの7年間、捕まえるどころか手がかりすら掴めていない……。だが、私は必ず犯人を見つけ出すつもりだ」

 岡崎一清は佐藤剛の目を真っ直ぐと見ながら言った。

 表情にも言葉にも嘘など微塵も感じられない、強固な意志の灯る瞳で。

「君は……、君を引き取った佐藤メイに強制的に地下格闘なんてものをやってきたんだろう? もうそんなことはしなくていいんだ。これ以上つらい思いをする必要はない」


 ほんの少し間があいてから、佐藤剛は言った。

「おっさん、勘違いしてる」

「……勘違い?」

 岡崎一清の目から視線を逸らさず、佐藤剛は目を剥いた。

「俺は自分の意思で戦うと決めた。UGFCで戦ってきたのは強くなるために必要だったからだ。父さんをあんな酷い顔で殺した、アイツを殺す為に!」


 岡崎一清は制帽を被りなおし、腰に携帯している特殊警棒を手に持つ。

「手荒なことはしたくなかったんだが、仕方ないな」

 伸縮式の特殊警棒を勢いよく一振りすれば、音を立てて60センチほどの長さに伸びた。


「君が進もうとする道は絶対に間違っている!」

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