第50話 リベンジ

 ◇


 佐藤剛は湯沢浩のスマホに映し出されたマップのとおりに、修行場所であり彼の師匠が生活している『ホームレスの溜まり場』の公園前に到着した。


 そこで立ちどまると、彼は自分の呼吸がかなり乱れていることを自覚する。

 ――いつもより長い距離を走ったとはいえ呼吸が荒くなってる。体に無駄な力が入ってた。

 そう感じとった佐藤剛はゆっくりと深呼吸を繰り返して息を整え、沢山のテントがある公園に足を踏み入れる。


 普通であればホームレス達は佐藤剛の存在をほとんど気にすることはないのだが、今日はちらちらと彼に視線を向けてくる。

 周囲のいつもとは違う雰囲気を佐藤剛は感じていると、何やら言い争っている男達の声がし始めた。

 ――この声、師匠のテントがある方向からだ!

 そう気づき、彼は急いで師匠のテントがある場所まで来ると目を疑う光景に固まった。


 師匠がテントを設営していた場所には佐藤剛とさほど年齢の変わらない7人の男子達が言い争っている。

 しかし、佐藤剛が自分の目を疑った理由はこの7人の男子達の存在ではなく、彼らが立っている場所にあるはずの師匠のテントがなくなっていたことに対してだった。


 荷物ひとつも見当たらずなんの痕跡もない。まるで、もともとテントなど設営していなかったかのように思えてくる。

「師匠、どこに行ったんだ?」


 そう呟いた佐藤剛に、言い争っていた男子達の視線が一斉に集中した。

 するとその内の1人がはっとした表情に変化する。

「お前はにいちゃ……」とその男子は言いかけてから咳払いをした。

湯沢浩ぐずのトモダチ。なんでここに?」

 その男子は赤い髪でツーブロックが特徴的な湯沢由輝だ。

「俺は湯沢浩お前の兄とトモダチじゃな……」

「オレはぐずから連絡があってここに来たんだけど。お前も?」

 湯沢由輝に言葉を遮られて佐藤剛は不満げな顔つきになったが、わざわざ訂正するのも面倒くさく感じたようで頷いた。

湯沢浩お前の兄にメイの指示でここに向かえ、て直接言われたから来た」

「直接言われたってことはぐずと会ったんだな。あいつは今どこにいるんだよ?」

「ここに来るのは時間がかかると思う。それより、どういう状況なんだ?」

 佐藤剛は他の6人の男子達に指をさす。


 彼らは湯沢由輝と対峙する位置にいて、こちらの様子を窺っているところを見ればどう考えても湯沢由輝の友達ではないのは佐藤剛にもわかる。

「こいつ等はオレの後をけてきたんだよ。前にオレと路上でケンカして負けたからリベンジしに来たんだろ。この低能猿5匹」

「誰が低能猿だとテメェ!」

 1人の男子が怒声を発して襲いかかろうとするが、それを青い髪色のショートヘアの男子が手で制す。

「いや、初対面のこいつを含めて6匹か」

 彼らを見る湯沢由輝の表情の変化はそこまでではないものの目つきからは獰猛さが滲みだしているように佐藤剛には感じられ、舌打ちをしそうになった。


 ――こいつに暴れられたらまずいな。今、目立つような行動は絶対に避けたい。

 どうすればこの場でケンカという最悪の事態を回避できるか、と佐藤剛が思案を巡らす前に青いショートヘアの男子が敵意剥きだしの視線を向けてきた。


 その視線の先にいるのは湯沢由輝ではなく佐藤剛だ。

「そいつの言った通り、仲間が喧嘩で負けたっていうからどんな奴かと思って探してたんだが、まさかこんなに早く再会できるとは思わなかったぜ。よォ」

 その言葉に佐藤剛と湯沢由輝は目を開く。

 佐藤剛のUGFCのリングネームを知っているということは何かしらUGFCに関係がある人物のみだ。

「知り合いか?」


 湯沢由輝に問われた佐藤剛は青い髪色のショートヘアの男子をしばらくじぃっと穴が開くほど見つめたあと、口を開いた。

「誰だっけ?」

「なっ!? 覚えてねぇのか!? 蒼狼そうろうだ! 対戦相手くらい覚えとけよ! また顔面ぶん殴って腫らしてやろうか!!」


 佐藤剛は身に覚えがない、と首を傾げそうになったが思い出した。

「あの時のファイター、か?」

 この『蒼狼』と名乗った男子がUGFC本戦で初めて戦った相手だということを。


 突然、湯沢由輝が噴き出した。

 蒼狼が眉間に皺を寄せるのもお構いなしに大笑いしだした。

「なに笑ってんだ?」

 蒼狼の問いに湯沢由輝は笑いを堪えつつ途切れ途切れに答えた。

「だって笑うしかないって! そうろうっ! その名前の由来は早〇からきてんの!? よくそんな下ネタなリングネームにしたなっ」

 と、また笑い出す。


 湯沢由輝が笑っている内に、蒼狼の顔がみるみる赤くなっていく。

「テメェぶっ殺す!!」

 そう言うなり蒼狼は湯沢由輝と佐藤剛に向かっていくが、仲間の5人は状況が呑み込めず動かないことに気づいた。


「さっさと囲え!」

 そう大声で指示されて、仲間は戸惑いつつも佐藤剛と湯沢由輝の周りを囲い逃げ場をなくす。


 佐藤剛は湯沢由輝を睨んだが、その視線は交わることはない。

 湯沢由輝の表情は『笑う』という行為では先ほどと一緒だ。

 しかし全く意味の違う、今にも蒼狼に向かって飛び掛かりそうな獰猛な笑みを浮かべている。

 ――最悪の展開になった。

 と、佐藤剛は重い溜息を吐く。


 その彼の態度が蒼狼の怒りを沸点にまで押し上げるには十分だった。

 怒りに任せて佐藤剛に襲い掛かるが、一方の彼は蒼狼に背を向けて走り出した。

「逃げんな!」

 蒼狼が佐藤剛を追って走りだした瞬間、彼の膝に衝撃が走る。

「オレを無視してんじゃねーぞ低能ボス猿!」

 湯沢由輝の下段蹴りをモロに受けた蒼狼が痛みに顔を歪めて後退るのを見て、さらに追撃を加えようとした。

「おい」


 佐藤剛の声に湯沢由輝は動きを止めた。そして機嫌を損ねた顔で彼のいる方向へ振り返る。

「邪魔す……」

 それから先に続く言葉は出なかった。なぜなら、蒼狼の仲間の1人は蹲って悶絶し、もう3人は意識なく佐藤剛の足下に倒れている光景を目にしたからだ。


「さっさとケンカ終わらせるぞ」

 表情なく淡々と言う佐藤剛からは余裕を感じさせる。一発も攻撃を受けていないのは明らかだった。

 ――こいつ、あの瞬間で4人も倒したのか!?

 驚きを隠せない湯沢由輝は大きく目を見開いて凝視する。


 それが隙になった。

「りょ、涼太りょうたセンパイ!」

 倒されていない蒼狼の仲間――金髪の少年が彼の本名を大声で発し、湯沢由輝の両足を抱きつくようにして押さえつける。

 その少年の動きに気を取られ、湯沢由輝は拳を握って走ってくる蒼狼への対応が遅れた。

余所見よそみしてんなっ!!」

 パンチが顔面を捉え、その威力で湯沢由輝は後ろに倒れた。

「次はテメェの番だぞ! 修羅の――」


 突如、高い音が長く辺りに響き渡る。


 音の正体は警笛ホイッスルの音。

 それを鳴らした人物は温和な顔をした中年の男だ。


「君達、喧嘩はよくないね。事情を聞かせてくれ」

 警官の制服を身に纏っているその男は落ち着いた調子で言った。

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