第52話 合流

「君が進もうとする道は絶対に間違っている!」

 特殊警棒を手に持って岡崎一清が大声で言う。

 対する佐藤剛は黙ったまま身構えた。


 岡崎一清としては、フリクションロック式の特殊警棒を伸ばす際に発せられる音と大声で少しは萎縮するだろうと考えていたが、佐藤剛が動じる様子はない。

 ――これで怯まないとは。この子は一体どんな危険な生活をしてきたのか……。

 そう思いながら、岡崎一清は眉根を寄せた。

「剛君、こちらに来なさい」

 ゆっくりと低いトーンで岡崎一清は言ったが、佐藤剛の目を見れば一切応じる気がないことは瞭然としている。

 ――剛君を止める為には、やるしかない!

 岡崎一清は覚悟を決め、特殊警棒のグリップを握りしめた。


 その時、警笛ホイッスルに似た音が鳴った。

 それは警笛にしては弱い音で、かつ不規則なリズムで聞こえてくる。

「これは、口笛か?」

 音のする方向を探そうと岡崎一清が目を離した一瞬、佐藤剛は倒れていた湯沢由輝を担ぎ上げた。

「あっ ま、待ちなさい!」

 岡崎一清がそう呼び止める時には、佐藤剛はすでに背を向けて走りだしている。

 不意を突かれた岡崎一清は慌てて佐藤剛を追おうとしたが、それは背後から襲い掛かってきた1人の男によって阻まれた。

 男は岡崎一清を押し倒し、馬乗りになった。倒された岡崎一清はかろうじて仰向けの体勢をとって男と向き合う形をとると、男の顔を見るなり彼は言葉を失った。


 男の目の焦点が合っておらず、だらだらと口から唾液が流れ出していて明らかに正気の状態ではなかったのだ。

 流れる唾液が岡崎一清の顔面に滴り落ちてきたが、それに気づかないほど彼は愕然としていた。

 男が正気でないことも理由の一つだが、それに加えて男が着ているのは。そして変わり果てた表情だが、この男に岡崎一清は見覚えがあったのだ。

「お前は……」


 岡崎一清が言葉を発した途端、男は両手で彼の首を掴んだ。


 ◇


 一方、佐藤剛は湯沢由輝を担いだ状態で走り公園から公道へ出た。

 岡崎一清に追いかけられていると思い込んでいる彼は全速力だ。

 なぜ口笛が聞こえてきたのかを考える余裕はなく、岡崎一清が今どんな状況に陥っているのかも気づいていない。

 佐藤剛の頭の中は『どう逃げ切ればいいか』それだけだ。


 ――追いつかれたら終わりだ。逃げ切ったら身を隠さないと。でも一体どこに隠れる? 身元がバレてる以上、住んでるアパートに戻れば警官が待ち伏せているはずだ。


 なんとか最適解を見出そうと思考を巡らしていると、かすかに特徴的なサイレン音が彼の耳に入ってきた。

 そのサイレンはパトカーのもので、徐々に音が近づいてきていることを彼はすぐ理解する。

 ――もし、この公園に向かって来てるとしたら……。

「……やばいな」

 そう呟いた佐藤剛は、ふと違和感を覚えて立ち止まり後ろを振り返った。


 ――岡崎一清あの警官、追いかけてきてないのか? 追うなら走ってついてくるはずだ。けどその姿がない。

「よ!」

 突然、背後から声をかけられて佐藤剛の体がびくりと震えた。しかし、その声は馴染みのある人物のもので彼は安堵の表情で振り向いた。

「師匠……」

 背後に立っている佐藤剛の師匠は余裕のある笑みを浮かべる。

「安心してんじゃねーよ。俺が警察だったら捕まってるぞ。後ろから追いかけてくるだけが追跡じゃねぇ。常に周囲を警戒しながら逃げろ。土地勘がある相手なら……と、ここで立ち話してる場合じゃねぇな。逃げるぞ」

「待ってください。僕も連れて行ってくださいよ」

 そう言って公園から姿を現した人物は、松葉杖をつきながら歩く――新田義彦だった。

「やぁ、久しぶりだね」

 こちらに近寄ってくる彼は佐藤剛へにこやかな笑顔を向けた。

「新田義彦!? なんでここに……」

 目を見開きながら佐藤剛はじろじろと彼を観察する。新田義彦がここに現れたことにも驚いているが、一番気になったことはなぜか負傷した状態であることだった。

 松葉杖をつきながら右足を浮かせて歩いている様子からは杖なしでの歩行は困難なほどの怪我を負っているのが窺える。

「僕ののおかげで警官1人を足止めしてますが、あまり時間は稼げないですよ。、早く逃げないと」


「一緒に逃げるかどうかは俺が決める話じゃねぇよ。新田義彦」

 佐藤剛の師匠に平然と言われた新田義彦は苦笑いを浮かべた。


 この2人が言葉を交わしている状況に、佐藤剛は眉間に皺を寄せて自分の師匠を見る。

「師匠、知り合いだったんですか?」

「いろいろあってな。経緯を話せば長くなる。それより迎えがくるはずなんだが遅ぇな……」腕に着けているスマートウォッチに目を落としながら佐藤剛の師匠は答えると、顔を上げた。

「お、来た」

 師匠の視線の先には猛スピードで向かってくる1台のバン。それが3人の横で急停止し、ドアが開く。


「チビ野郎乗れ! って由輝!?」

 ドアを開けた湯沢浩は佐藤剛に担がれている自分の弟の状態に驚いて固まったが、それに構うことなく佐藤剛は「お前、なんで車に乗ってるんだ?」と半目で訊く。

「公園に向かってきてる途中で乗せてもらったんだよ! んなことよりなんで由輝が気ぃ失ってんだよ!? 由輝生きてんだよな!? おい! おい聞いて――」

 動転した様子の湯沢浩の口から出る数々の質問に答えることなく、湯沢由輝を担いだ状態で佐藤剛は無言で乗り込む。


「浩ちゃん落ち着きな。これは私の車だから医療の設備も揃ってる。きみの弟は後で私がしっかり診るから安心しな。剛ちゃん、その子を後ろの荷台に横にさせときなさい」

 穏やかな調子で言ったのは助手席に座るヤブだ。

「まぁ、あの様子なら大丈夫そうだけどね」と誰に言うでもなく零すと、彼女は運転席でハンドルを握る佐藤メイを刺すような冷たい目で見る。

「後でカネはしぃっかり請求させてもらうよ。メイ」


 いつものチャイナドレスではなく黒のシャツにスラックスという服装の佐藤メイはヤブと視線を合わせず、ただ正面を見つめていた。

「おい。予定より38秒ロスだぞ。まさか、パトカーに追われてんじゃねーだろうな?」

 佐藤剛の師匠が呑気に言ったのが気に障ったのか、メイは強い口調で言う。

「さっさと乗りなさい!」

「……はいはいOK.OK

 軽く肩をすくませて彼は乗り込んだ。

 湯沢由輝を荷台に横にさせ座席に着いていた佐藤剛はメイを凝視する。

 ――こんなに余裕のないメイは、初めて見た。


「あのー……僕も乗せてもらえます?」

 車のドアの前で新田義彦は佐藤メイに訊く。

 佐藤剛は、荷台に横たわる湯沢由輝の隣に腰を下ろした湯沢浩を見る。

 案の定、彼はいま新田義彦の存在に気づいたようで絶句して固まっていた。

「貴方も乗りなさい。新田」

「ありがとうございます」

 あっさりと乗車を許された新田義彦は笑みを浮かべ、乗り込んだ。


 そしてドアが閉まると、メイはアクセルを強く踏み込み車を発進させた。

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