長い眠りのあとは

楠秋生

第1話

 辺りは薄暗闇に包まれ、生暖かく湿った空気が身体にまとわりついている。微睡まどろみの中、胸元でもぞもぞ動く温もりに幸せを覚え、小さく欠伸をしてそちらに目をやる。

 ぼんやりとした寝ぼけまなこでなくとも、この暗さでは輪郭くらいしか見えない。手探りでその温もりを抱き寄せると、ふわりと胸に吐息がかかった。

 ふふっ。くすぐったい。

 幸せな、とても幸せな時間。

 私は優しさと慈しみに満ち足りた眠りにもう一度落ちていった。


 緩やかに穏やかに時は流れ、眠りが次第に浅くなる。

 ふわりと漂ってきたいい匂いが鼻をくすぐる。


 ん、もうそろそろ起きなければ。


 のそりと身体を起こして軽く伸びをすると、外の様子をのぞいてみた。胸元の温もりもついてくる。

 ふふんと鼻をならしてキスをする。甘えられるのがこんなに嬉しいなんて知らなかった。


 ああ、でも本当にもう起きる時間だ。


 とっくん。とっくん。

 ゆっくりしていた鼓動が、少しずつ動きを早めていく。

 今度は身体をぐんっと大きく伸ばして、本格的に起きる準備をする。

 さあ、もう起きましょう!

 先に身体を起こし、寝床をあとにした。

 慌ててついてくる気配が愛おしい。振り返って見つめると真っ黒のくりんとした丸い目で、真っ直ぐに見つめ返してくれる。

 思わずキスしたくなって、頬に優しく口づけると、嬉しそうに身体をすりよせてくる。

 ふふふっ。本当に、幸せ。



  🌱 🌱



 外に出ると、眩しく芽吹いた新緑が目を和ませてくれる。爽やかな空気が身体を撫でていくのが心地よくて、春だなぁとしみじみと思う。

 木々の間を並んでゆっくりと歩く。さやさやと風に揺れる木の葉の音や、それにつられてきらめく木漏れ日。春は全ての幸せを連れてくる、目覚めの季節だ。歩いているだけでもうきうきと幸せな気分になる。


 茂みの中に木苺を見つけた。私の大好物だ。人の気配がないのをしっかりと確認して、並んで一緒に食べる。

 甘酸っぱい味が口の中いっぱいにひろがっていく。あんまり美味しくてしばらく夢中になって食べた。ふと隣を見ると、口の周りを真っ赤にして頬張っている。

 そんなに慌てて食べなくてもなくならないよ。そっと口元を舐めると、くすぐったそうに首をすくめ、キスを返してきた。甘酸っぱいキス。

 お腹がふくれたので、少し歩いて陽のあたる草原を見つけ、寛ぐことにする。ぽかぽか陽気とあったかい地面がが気持ちいい。


 私の隣に一緒に並ぼうとして、何かにつまづいたのか、ころりんと転がった。真っ黒な瞳がきょとんとしている姿も愛おしい。

 黙ってみていると、転がったのが面白かったのか、何度も何度も転がりだした。ついて歩くだけでは物足りなくなっていたのかもしれない。

 転がるのにも飽きると、今度はひらひらと飛んできた蝶々に興味をもったようだ。最初は目だけで追いかけ、それから手をあげて捕まえようとする。そのうち辺りを走り始めた。ころころとした身体で、蝶々と戯れる。ついさっきまで、側を離れようともしなかったのに。

 嬉しいようなちょっと寂しいような不思議な気分だ。

 それでもしばらく遊んで疲れると、私の側に戻ってきた。

 まだまだ側にいて、いろんなことを教えてあげなければね。危険な場所も教えないといけないし、美味しい蜂蜜のとりかたもね。

 来年の春、また幸せに目覚めるまで、ずっと側にいるからね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

長い眠りのあとは 楠秋生 @yunikon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説