第十七話『二日目の朝』

 壁の向こうへと消えていったセイリアとグレースの姿を見送り、フーリエは安堵の表情を浮かべた。


「何とか撒いたようだね。良かったよ……」


 残りHPは半分でSPは四分の一くらい。特にSPの減少が激しいのは、増援が想定よりも強いことで魔法を結構使った結果によるものだった。


 それなりに数は減らしてはいたものの、相手の数は三人だ。中級攻撃魔法を同程度の攻撃スキルで相殺出来る事からして、最低でもレベル七十前後だと推定できる。


「それなら僕もここには用は無いね……」


 そう呟いて魔法の用意に入ったとき、怒りを含んだドスの利いた声が門の方角から聞こえてきた。


「テメェは逃がすかよ。この俺様のプライドを滅茶苦茶にしやがって……」


 セイリアからの想定外の反撃を受け、高所から落下したダメージでHPを半分以上減らしたデモリテが鉄球を引き摺りながらやって来たのだ。


 出血のデバフがついていたからか、頭からは血が流れるようなエフェクトが生じており、HPはなおも減少を続けている。


「お前ら、あいつだけは逃がすなよ。絶対に地獄を見せてやるんだからな!」


 殺意を濃厚に纏わせた眼光をフーリエに向ける。しかし当の本人は意に介さずに魔法詠唱を始めた。


「リ・アレグロ・ワルプ・アクエンス……」


「お前らぶっ殺してやれぇ!」


 それを見逃すような間抜けなどいない。武器を構えていた敵が四方から一斉に襲い掛かるも、彼らの武器は何一つフーリエに届くことはなかった。彼もまた、ただ隙を見せた状態で詠唱するようなプレイヤーでもないのだ。


「ゴボッ……!?」


 飛び出した四人の足元から水溜まりが持ち上がると、避ける暇も与えずに包み込んだのだ。必死にもがくも、水の球は包み込んだ敵の行動を阻害し、まともな攻撃行動をとらせない。デモリテですらその筋力で腕を振り回そうとも、水の牢獄はびくともしなかった。

 そんなデモリテらを眺めながら詠唱を終えたフーリエが今までとは全く違う冷たい微笑みを浮かべる。


「ウンディーネ相手に雨のトラップを警戒しないのは怠慢としか言いようもないね。済まないが君たちとはここまでだ。僕には彼らを導く役割が有るんでね……」


 そこまで言ったところで、フーリエのそばにいた小さな水の獣が口から水の輪を吹き出した。それが魔法使いを囲んで覆いつくすと、辺りを切り裂くような鋭い破裂音と共に水しぶきを撒き散らし、間欠泉のようにトラップに捕まったプレイヤーたちを吹き飛ばしていく。


「……嘘だろ?」


 水が排水溝を通り水煙が風に撒かれた後、フーリエの姿は跡形も無く消え去っていた。その様子を見たデモリテらはあまりに突然の事に絶句することしか出来ず、石畳で奏でられる雨音が明け方の街を彩るだけであった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 時刻は五時を回っている。脱出して一時間弱が経過したところで、オレらは合流場所に決めていた街の南西にある見晴らしの良い丘の上でフーリエさんを待っていた。


「やぁ、待たせたね」


 疲れを感じさせない通りの良い声でフーリエさんがひょっこり木陰から現れた。ダメージを受けた痕はあったが、その佇まいからは苦戦を感じ取らせない余裕差も垣間見える。


「はあ、戻ってきて良かったです」


「……あの、ちょっといい?」


 無事に戻ってきた姿に一息入れるオレだったが、グレースは眉間にシワを寄せた表情でフーリエさんに詰め寄る。


「どうして私とセイリア君を助けたの? 【精霊獣使い】……いいえ、今は【裏切りの水精霊(ウンディーネ)】って呼ぶべき?」


 首を振って呼び名らしきものを語るグレース。いつの間にか彼女はため口で話していたのだが、明らかに不名誉な呼び名にフーリエさんは濡れた髪を苦笑して掻き上げた。


「SSRのメダルに選ばれた彼がどんな人物か気になってね。それと何も知らないような初心者だし、あんな傍若無人っぷりを発揮していたデモリテたちに好き勝手させるわけにはいかないと判断したまでだよ」


 それでもグレースは納得していない様子で腕組みをして、訝しげな表情を崩さない。


「彼が超初心者って知っていたみたいだけど、彼のメダルを狙ったという可能性は? デモリテたちは酷いことをしてプレイヤーにメダルを差し出すように仕向けていたのよ。あなたみたいなこのゲームをよく知っている人なら、今がチャンスだと思ってても不思議じゃないわよね?」


「さっきセイリア君に僕のメダルを実際に手渡せたとこまでは検証できたけど、いざプレイヤーがメダルを差し出させるところまでは分からなかったんだ」


 オレと出会ったときにはそこの部分の考察は詰めきれなかったが、フーリエさんの問いにグレースの表情が曇る。


「このゲームでデスした時、フルダイブ環境では何とも言えない不快感があるでしょ。それがここに来てからというもの、そういった感覚がとても強くなっていて、デモリテたちはそれを悪用したの」


「具体的には?」


「復活の神殿でリスポーンしたプレイヤーを再び外に追い出し、そこで即体力を全損させて……ということを繰り返していた。お陰でそれをされた人は話すだけの余裕もなくなってた」


 そこでオレは最初に南門から逃げ出す直前のことを思い出した。デモリテに立ち向かった鎧のプレイヤーが鉄球に叩き潰された場面だ。


 やられた時の痛みはないだろうが、死んだときの苦しみはどれほどのものだろうか。


 一通りの手口を訊いた後、フーリエさんは渋い表情を浮かべて手近な意思に腰かけると、さらなる疑問を口にした。


「街中ならそもそも戦闘行為はできないはずだ。何かシステムの抜け穴でも発見されたのかい?」


「領主権限で設定したのがその候補よ。そんな抜け穴があるなら、とうの昔に修正されてるはず」


 未だ信用できないのか鋭い目線を浴びせかけるグレースにフーリエさんも真剣な眼差しへと変わる。


「領主という立場は街中でのプレイヤーキルすらも可能に出来るのか……」


「もう一度訊ねますが、あなたはセイリア君に危害を加えないと……保証できますか?」


 数秒間の静寂。そしてフーリエさんが口を開いた。


「僕が人から物を奪うなんてこと、断じてそれは無い。僕には確かに不名誉な二つ名はあるけど、少なくとも現実世界で犯罪になるようなことは絶対にしないよ」


 そう強く返事を返した。彼の表情は真剣そのもので、オレの目からはとても嘘などついているようにも見えない。


 東の空が白んでいる。互いに真剣な表情で黙りこむ中、そんな静寂をグレースは破った。


「まぁ完全に信用したとは言えないけど、今回は助けてくださってありがとうございます。このままだと私もどうなっていたか……」


 目を閉じてぽつりと呟いたグレース。そして濡れた栗色ショートボブの髪を揺らして深く頭を下げる。


「いや、さっきも言ったが困っているプレイヤーを助けるのも僕は嫌いじゃないからね」


 グレースをなだめるように両手を振るも、笑顔で返事をしたフーリエさんはオレの方向を向いた。


 こちらとしても助けてもらった立場だ、何かしらのお礼をするべきだろうが、あいにくのところそう言ったものは持ち合わせていない。


 そんなオレがよほど慌てていたのを見てか、彼は「そんなにかしこまることはないよ」と落ち着かせてくれた。


「最後のデモリテを撃ち落とした魔法、初めてにしては上手かったよ」


 褒めてくれたフーリエさんにオレは少々照れくさかったが、グレースから手酷い批評が飛んでくる。


「まぁ、ミスって発射する前に暴発してたけどね」


「そこは仕方ないだろ? オレだってあれが初めての魔法だしさ……」


 悔しさを溢れさせた情けない声に、グレースは「くくっ」と抑えるような声を漏らしたかと思うと、いきなり大声で大笑いし始めた。


「ふふっ……あははは! なんかほっとしたら可笑しくなっちゃったわよ」


 何が面白いのか分からなかったが、オレも少しの間は呆気にとられていたが、つられて笑っていた。


 あんな危機を切り抜けた事で今までに張りつめてきた緊張の糸が切れてしまったのか、なんてことのない会話で笑いが止まらない。


 オレとグレースの大爆笑が止まったのは、鈴の鳴るような音が明け方の冷えた空気を振るわせた時だった。


「ごめんね、私のメールよ」


 その音はグレース宛のメールによるもののようだ。彼女はそれを五分くらいかけてじっくりと読むと、花が咲くような明るい表情で顔を上げる。


「レナちゃんからのメールよ!  私達を保護したいから、ケットシー族の光の領地【リリヴィオラ】まで来てほしいという内容だわ」


 嬉しそうに満面の笑みでオレとフーリエさんに報告するグレース。正直言って、彼女のそんな笑顔は、オレと同じような年頃らしさのあるもので、結構心に触れてくるものだった。


「これからの目的は決まったね。僕にも出来ることは手伝わせてほしいけど……どうかな?」


 フーリエさんは杖を背中に収めてから笑ってみせた。この発言はオレにとってかなり心強い言葉だ。


「本当ですか?」


 聞き返すオレにフーリエさんはうなずく。グレースも始めこそ神妙な面持ちをしていたが、すぐに納得したのか、無言で首を縦に振った。


「僕も行く当てはないし君たちを送り届けたら、また一人でこの世界のことについて色々と調べようと思うよ」


「私もそこまでレベルが高い訳ではないから、最大レベルの人がいたら色々と安心ね」


「それなら当面の目的地はケットシー族、光の領地【リリヴィオラ】だな!」


 オレが拳を高く挙げたところで、山の稜線から太陽が顔を出し始めた。まるで旅立ちを見送るかのようだが、これは気持ちを新たにするようなものではなく、手の負えない悪人からの命からがらの逃亡劇に過ぎないのだ。


 いつかはあいつらにリベンジしなくてはならないし、それまでに力を付けなくてはならない。


 オレとグレース、そして新しく共に行動する事になった水の魔法使いフーリエさんと共に、ケットシー族のエリアを目指した冒険の幕を、二日目の朝日が開けたのだった。

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