第十八話『グレースのほほえみ』
アレスティアを脱出してから二日が経った。オレたちは今ヒューマン族、風の領地の北端にある小さな村に来ている。
名前はトーイ村で、温暖で過ごしやすい気候から牧畜が盛んらしい。
この二日間オレらは追っ手を警戒して足早に移動していたのだが、大半の時間を移動に費やしたというのに、ヒューマンの風の領地すら抜けていない。
この日も日が暮れてきたということで、この村の宿兼小さな食堂で夕食を摂ってから今後のことを話し合うことにした。
「この世界広すぎないか? これじゃレナのいるとこに到着するのはいつになるんだよ……」
「元々シンフォニアも端から端までの移動だと歩きで半日掛かっていたから、山脈の外側だとこのくらい掛かっても不思議じゃないわよ」
移動の合間にグレースはレナと連絡をとっていたのだが、現実世界に戻る方法の手がかりすら無かったという。
生活も少しずつ落ち着いてはいるようだが、長期間この世界で過ごしていると現実の体が心配になってくるが、そんな事を考える前にここからの脱出をしなくてはいけない。
「うーん、ここまで移動に時間が掛かるとは思わなかったが、これではケットシー領に入るまでに早くても数週間はかかりかねないなあ」
「向こうに着く頃には元の世界に帰れるわよ……」
ため息とともに肩を落とすグレースなのだが、そこには疑問点も残る。
「でも会いたい人に会いに行くまでに、脱出方法を見つけるのは大変じゃないか? 仮にここに来てから一週間、つまりは後五日くらいでその方法が分かったとしても、そこがダンジョンで、しかも高難度だったら強い人を集めないといけないだろ?」
「そのときは君の出る幕は無いわね。レナちゃんにあれだけの啖呵を切っておいて、結局役立たずでした……ってのは悲しいけど、クリアしないと帰れないならみんなも頑張って攻略に力を入れるだろうし、本当ならそろそろ帰れたっておかしくはないもの」
「うぐぐ……」
悔しいがその通りだ。確かにオレはみんなのために戦いたいなんて口にしたが、現実は強者がすぐに帰還方法を見つけてしまうのがこういったゲームなのだろう。
だが、フーリエさんは難しい表情を見せていた。飲み物を飲み干し、空になったコップに入った氷はカランコロンと小気味のよい音を立てている。
「……残念ながらすぐに帰れるできるっていう考えは捨てた方がいいかもしれない」
「どうして? ゲームに閉じ込められたのは全プレイヤーなのよ? しかも種族ごとのホームに飛ばされたから、攻略は均等に進むはずだし……」
「現時点で君はクリスタルローズのレナさんに直接やり取りができている。これは他プレイヤーの情報が得られるということにおいては重要だけど、裏を返せば攻略が進んでいないことも分かったよね?」
正論だ。グレースもフーリエさんに言い返せないのか、拳を固めているし、オレに至っては口を出す隙すら与えてもらえなかった。
「それと忘れてはいけない。ケットシー族はこのゲームで最もプレイヤー人口が多い種族だ。もちろん大きなギルドに所属する実力者も必然的に多くなる。実際レナさん以外にも名の知れた人は大勢いるし、そういった人が集まれば攻略組と同等の力も発揮できるはずだ。なのに手掛かりが無いということは……」
これ以上フーリエさんが口を開くことはなかった。
今は現実世界に戻る手段を発見できていないのは事実だし、オレたちが目的地に着くまでに攻略が終わっている可能性が高いのもまた事実だ。
不安に空気が淀んでしまったこともあり、オレらは気分転換も兼ねてこの村を自由に観光してみることになった。
村の景色としてはのどかな農村って感じで周囲は開けた草原に囲まれており、所々でホルスタイン種の牛のようだが、角が随分と大きいカーウという動物が放牧されてる。なんでも、野生種も人畜無害でかなり人懐っこいと説明にあった。
「わぁ……綺麗な景色ね。普通にゲームをプレイしていたら、こんなリアルな体験もそうは出来なかったわね」
緑の絨毯が夕焼け模様に染め上げられる様子にグレースは目を輝かせていた。今にも飛びだしそうなほどに村を囲う柵から身を乗り出している。
「今日はここに泊まるとしようか。もうじき暗くなってくるし、急ぎとはいえ野宿でまたグレースが駄々をこねるのも見ていられないからね」
「はいはい、私のせいよ!」
フーリエさんのニヤリと笑みを浮かべながら発した言葉に、グレースは頬を膨らませた。
そう、これはアレスティアを脱出したその日の夜の事だった。このときのオレらはデモリテらの追っ手を警戒しながら、日中の間に一気に二十キロくらい進んでいた為に、その日の宿の事など誰も考えていなかったのだ。
辺りは深い森の中で、村もまだ先にあることもあり、オレとフーリエさんは仕方がなく夜営の準備を始めると、悲鳴にも似た声が後ろの方から響いてきた。
「ちょっ……そのまま寝る気!?」
見るとグレースが青ざめた顔をして立っていた。少し震えているようにも見え、体を小さくしている。
「そりゃそうだろ、グレースどうしたんだ? 寒いのか?」
明け方までずっと大雨にさらされていた上に、午後からもまた降りだした雨の中を急いで森の小道を歩いていたことで結構体も冷えてしまったのだ。
オレは風邪を引いていないか聞いてみるが、彼女から返事は無し。一応メダリオンの中では風邪のバッドステータスはあるらしいが、どうやら違うようだ。
「お腹が空いたなら、僕がある程度保存食を持ち歩いているから問題は無いよ」
フーリエさんは食糧の事を心配していると思っていたのか、バッグからドライフルーツの袋を取り出したが、それでもグレースはこちらを青ざめた顔で睨むだけだ。
「私、虫が大キライなのよ! ただでさえ大きな街道を使わずにわざわざこんな森の中を進むし、挙げ句のはてには野宿? 冗談でしょ!?」
近くにいたオレの胸ぐらを掴んでいきなり怒鳴り散らしてきたのだ。ガミガミとものすごい剣幕でまくし立てるグレースに気圧されて反論など出来なかった。
そして一通り怒ったところで数秒の沈黙。ようやく我に返ったグレースは自身のしたことに赤面し、顔を隠してその場でうずくまった。
「ああっ、ごめんなさい! こんなこと言うつもりなかったのに……」
この二日間で起こった出来事にずっとストレスを溜め込んだのだろう、精神的にかなりくるものがあったはずだ。
その様子を見たフーリエさんは何やらメニューを操作すると、緑色の植物らしきものを手に取った。
途端に辺りには清涼感のある香りが立ち込め、頭がすっきりしてくるような気もする。
「これは低級回復ポーションの材料になる薬草なんだけど、燃やすと虫除け効果のある煙が出るみたいだから試してみようか?」
バッグから陶器製のカップを取り出して薬草を入れると、ポーチからマッチを取り出して薬草の端に火を着けた。すると一層清涼感が増し、周辺にいた虫がみるみるうちにいなくなったのだ。
「これから旅をする仲間のストレスを溜めないのも重要だからね、グレースさんも今日の所はここで我慢してくれないかな?」
苦笑いして問いかけるフーリエさん。グレースも恥ずかしさか虫への嫌悪感か、目には光るものが見えたが、慌てて立ち上がって深々と頭を下げる。
「す、すみませんでした。本当に子どもみたいに喚いちゃって、でもこれなら大丈夫だと思います……」
何とか野宿に賛同してくれて、ウインドウからオレンジ色の寝袋を取り出す。オレもフーリエさんから簡易的な寝袋を貸してもらうことになった。
その夜は三人で改めて自己紹介をして、フーリエさんが持っていた保存食で簡単に腹ごしらえをしたところですぐに寝りについたのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
村が夕闇に沈む最中、三十分ほどの観光を終えたオレたちは宿を探している途中である張り紙を発見した。
そこにはアルバイト募集についての説明と手描きの牛の絵が描かれていた。
『アルバイトをしてみませんか? カーウのお世話や小屋のお掃除などです。報酬はカーウのミルクで作られた食品と、少しながらお金も出します。一日からで構いませんので、お手を借りれたら幸いです』
という内容だ。するとそれを読んで目をキラキラと輝かせていた人が一人いた。
「あの、私このバイトしたい! 牛さんのお世話するの!」
グレースがそういった下心丸出しで提案してきた。彼女のやる気に満ち溢れた顔は嫌だと言っても退きそうにない様子だ。
「そうだね……一応これはクエストみたいだし、セイリア君にも簡単なクエストの体験としては良いじゃないかな?」
「うーん、オレは構わないかなぁ」
オレも別に動物の世話については興味が無かったが、初めてのクエストという点では興味があったので受ける意思を示しておくことにした。
翌朝、フーリエさんは今後の旅に必要な物資の買い物と村の住民から何か情報を得られないか村を回るということで、今回のクエストは受けないという。
そこで今日はオレとグレースの二人で【カーウのお世話】というバイトクエストをすることになった。
開始前、グレースは牧場にいたカーウたちを子どものような純粋な瞳で見つめている。
「グレースって動物が好きなんだな」
オレは今までに見ない彼女の様子に対して率直な感想を述べると、
「うん! 私、現実世界でも色んな動物とふれあっていたんだよね」
満面の笑みを咲かせるグレース。ちょっぴりクールなアーチャーが、今では動物大好きな少女になっていた。
そしてバイトが始まったのだが、さっそくオレに試練が訪れた。
「うぐぅ……」
とてつもない臭いがオレの鼻に突き刺さる。オレが割り当てられた担当は牛舎の掃除なのだが、排泄物の掃除にものすごく手を焼いていた。
ただでさえ経験した事の無いことで戸惑っているのに、この臭いには参ったものだ。
そんな臭いと格闘するオレに対して、グレースは近くにある別の建物でミルクを搾る作業をしている。
作業の合間に見えた、ものすごく嬉しそうにカーウ達と歩いていく姿はいいストレス発散になるだろうとは思っていたが、牛舎の掃除の仕事をするオレにはどこか複雑な感情だった。
もう少し動物ふれあい体験的なことができるのだと思っていたのだがなあ……。
「お疲れさま! これでアルバイトは終わりよ。君たち今日もここに泊まるみたいだし、明日の朝にカーウのミルクで作ったチーズとか色々あげるから楽しみにしててね」
依頼主のカウンターのお姉さんから労いの言葉を貰うと、近くに温泉があるという事を聞き付けて、そこで作業でついた悪臭を洗い流そうと向かうことにした。
その途中の掃除を任されていなかった牛舎の前を通ると、グレースが一頭のカーウを甲斐甲斐しく世話をしている。
牛は丁寧に敷き詰められた藁の上で横たわっており、他とは違った様子だ。
「グレースどうしたんだ?」
声をかけてみると、グレースはこっちを振り向くことはなかったが、返事はしてくれた。
「この子ね、妊娠しているみたいなの……」
後ろからよく見てみると、牛のお腹が結構膨らんでいたのだ。
「私ね、小さい頃祖父母の牧場でよく遊んでいたんだ」
「へぇ……」
自分の幼い頃を話し始めた彼女。オレはブラシ掛けをするそんな後ろ姿をじっと見つめていた。
「こうやってよく牛さんにブラシを掛けていて、気持ち良さそうな顔を見るのが好きだったのよ」
そんな彼女の横顔は可愛らしい微笑みを浮かべていた。どうやら現実世界の事を思い出しているようだ。
ここに来たときには、そのはしゃぎようから彼女はこんな景色を見たことが無いと思っていたが、実際は懐かしい風景に思いを馳せていたのだろう。
「だからこうしてこの村に来て牧場の風景を見ていたら、懐かしい記憶を思い出しちゃった。だからバイトの張り紙を見てから居ても立ってもいられなくてついね……」
「そっか、でもグレース嬉しそうじゃないか。こんなに生き生きしたとこ見たことなかったぞ」
「ふふ、二日間酷い目に遭ってきておいて、ようやく落ち着いてきたとこかも」
ぽつりぽつりと言葉を紡ぐグレースに、オレはこれ以上の言葉を掛けることができなかった。これ以上は彼女の時間を邪魔したくなかったし、掃除で身についてしまった異臭を一刻も早く取り除いてしまいたかったのだ。
オレは足早に温泉のある山の麓へと走っていった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ゲームの中なのに、お風呂のあの何とも言えない温かさは現実そのままで、ベッドにもぐり込むとそのまま夢の中へと落ちていった。
しかし、夜中に目が醒めてしまい水を飲もうとテーブルの上にあったコップに手を伸ばしたとき、隣の部屋にいたグレースの声が聞こえてきた。
「あの子が?」
「うん……できれば手伝ってほしいのだけど」
「もちろんです! こういったこと、私も経験したことあるのでお手伝いしますよ」
「ありがとう! それじゃ、すぐにいきましょうか。お父さんもすでに作業しているからね」
もう一つ聞こえる声は宿屋のお姉さんだ。何やら話している様子で、少しの時間の後に廊下が騒がしくなる。
「どうしたんだ?」
静かになった廊下の窓から外を見ると、寝間着姿のグレースと宿屋のお姉さんが外を走るのが見えた。彼女が世話していたカーウに何かあったようだ。
「何か騒がしいけど、どうかしたのかい?」
フーリエさんも生成りの寝間着を着て、寝ぼけ眼を擦りながらオレの二つ隣の部屋から出てきた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
オレが先にグレースとお姉さんが入っていった建物に突入した。そこで焦るグレースの声が出迎え、異変の正体が分かったのだ。
「グレースどうした?」
「セイリア君、昼間の子の赤ちゃんが産まれるみたいなの……」
二人が見つめていた先には荒い息を吐いて横たわる牛の姿がそこにあった。
グレースと共に手早く準備を進めるお姉さんと、宿屋のオーナーである白髭のおじさんが懸命に赤ちゃんを産もうとする母牛の姿を側で見守っている。
必死に力を入れて新たな命をこの世に誕生させようとする母親の姿は鬼気迫るものを感じる。
オレの隣にいたグレースは目を瞑り、手を組んでひたすらに祈っていた。僅かな時間の世話でも、彼女にとっては大切な思い出になる出逢いだったのだ。
「ああっ!」
グレースの声。小さな命が藁の上でこの世界の空気を吸う姿を目にしたのだ。
産まれてまだ僅かというのに、子牛は立ち上がろうと震える脚で必死に自らの体重を支えるも、うまくいかずにへたりこんでしまった。
「……頑張って」
グレースのか細い応援。しかしその声は徐々に大きくなる。
「頑張れ!」
オレとフーリエさんもつられて子牛を応援する。子牛は諦めずに脚で踏ん張ると、その細い脚で力強く立ち上がった。
震えながらも、産まれたばかりでも、新たな命の強さをその姿で示す子牛にオレは思わず感動していた。
隣を目だけで覗くと、少女の頬には朝日にきらめく雫が伝っていくのがオレの目に映る。
「ちょっ、何見ているのよ!」
「別に……色々といいもの見れたなあって」
「ふんっ! あんたに分かってたまるもんですか!」
すぐにこちらから顔をそむけるが、袖で目をこすると、晴れ晴れした表情で母牛に甘える子牛の姿をその瞳に焼き付けていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「色々とありがとね。普通のアルバイトなのにここまで手伝ってもらっちゃって」
わざわざ村の門まで見送りに来てくれた宿屋のお姉さんにグレースは頭を振る。
「そんなこと無いです。私も素晴らしい瞬間に立ち会えたんですから」
あの後、早朝に産まれた子牛の名前はこの世界の太陽という意味である【ソルフィ】と名付けられたという。
それとバイトのお礼ということで、たくさんの乳製品と中々の金額を貰ったオレとグレースは村の小さな道具屋でポーションなどをたっぷりと買い込むことができた。ついでにオレの野宿用の簡易寝袋もだ。
「また絶対に来ますね!」
この二日間で貴重な体験をすることができたオレたちはケットシー領を目指して歩き出す。グレースは離れ行く小さな草原の村にいつまでも手を振り続けていた。
この村はアレスティアの街道を使えば三つ目の村だし、いつかデモリテら犯罪者集団から取り返すことができればまたみんなで行きたいものだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「これって本当にゲームなのかな? あんなすごい体験できたんだぜ?」
小高い丘を登りながらそんな考えを持ってオレは悩んでいた。バイトの後のお風呂のあの心地良い感覚と温かさを、そしてあの母牛の出産に立ち会っていたことをふと思い出したのだ。
加えて、宿屋のお姉さんとの会話はゲームとしてプログラムされているはずの会話なのに、もはや普通に人と話すそれと変わらないものだと思える。
するとオレの頭を小気味よい音を立てて何かが叩いた。振り返ってみると、グレースが右手を振り下ろしてむくれている。
「もう、そんなことどうでもいいの! 良い思い出になった、それで良いじゃないの」
そう言いながらオレの横を通りすぎていくグレースの表情は二日前と比べても、ずっとスッキリしたものだった。
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