第十一話『逃走』

「おい、そこのデカブツ!」


 デモリテはどこからか自分の事を呼ぶ声を聞いた。何となく馬鹿にされような呼ばれ方にストレスを感じている様子だ。


「何だ? 俺様を呼ぶ奴はよぉ!」


 周りを見渡すデモリテ。そして見つけたのはアレスティアをぐるりと囲む高さ十五メートルほどの壁の上に立つ一人の少年だった。


 だがデモリテの目に入ったものはそれだけではない。少年が身に付けている萌木色のコートだった。それはデモリテが喉から手が出るほど欲しかった物なのだ。


「おいテメェ……どうしてそれを持ってんだよ? そのヴァン・フレリアを!」


 だが少年は問い掛けに応える事無く壁から外に飛び降りた。既にデモリテの目にはあのコートしか見えていなかった。そして隣にいた部下を呼びつける。


「『蒼弓』はお前らで捕まえとけ。デスペナがあるから絶対にHP全損させんなよ? いいな?」


「ウス!」


 チンピラが了承したことを確認して、デモリテは目測十五メートルはあろうかという壁を見上げた。


「俺様はあのガキをぶっ潰して神殿送りにする。ようやく見つけたお宝だぜ!」


 その言葉と共にあり得ない跳躍力で壁の近くの木、目測八メートルほどの地点に手を掛けて跳び移っていき、ものの十秒ほどで壁の向こう側へと消えていった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 壁の向こう側はうっそうと繁る深い森だった。今居た門は中央部から走ってくる途中で確認したマップで南側と分かっている。


 門から出たあとの事を考え、更に南に行けば渓谷があることも縮小したエリアマップで確認したので、そこまで行って適当に川にでも飛び込んでしまえば、もうあいつ一人では探せなくなるはずだ。


 恐らくあの大男はオレを追いかけて来るだろう。さっきの映像から、デモリテにはSSRのメダルにかなりの執着があるようだった。


 だからグレースが助かる可能性を少しでも上げるために、オレがヴァン・フレリアを装備してあいつの前に立てば絶対にこっちに向かって来ると考えたのだ。


「……体が軽いし、絶対に足も速くなってるよな?」


 さっき里の中心から走ってきた時よりもずっと速く走れている感覚がしていた。装備前にヴァン・フレリアのステータスを確認してみたところ防御力はもちろん、敏捷性もかなり増やせるようだった。


 前の装備は防御しか上げなかったので、速さ関連も上昇させるのはかなり良い。流石はSSR、皆が欲しがるのも分かる気がする。


「おいこらクソガキ! さっさとそのコート寄越せや!」


 荒っぽいドスの利いた声が森にこだまする。想定通りにデモリテがオレの策に引っ掛かって追いかけて来たのだ。同時にグレースの絶対的ピンチを回避した安堵と、新たに途方もないピンチがやって来た恐怖が同時に込み上げてきた。


 それでも街の中央からグレースが敵を大勢相手にして逃げ切るのと、オレがここからデモリテを撒く、どちらかが良いのかを天秤に掛けるまでもない。


 だがレベルの最底辺と頂点との差はいくら装備でも埋まるはずが無いことをオレは思い知らされたのだ。


「ぐあっ!」


 門を出ておよそ五分経過した。もう陽は沈みきって代わりに月光が辺りを照らす森の中、ようやく目の前が景色が開けて来たのと同時に後ろの地面が爆発したことで前方に吹き飛ばされてしまった。


 二、三メートルは吹き飛ばされたか、いつの間に森から出ていたオレは後ろを見ると、爆発ではなく鉄球が地面にめり込んでいるのが見える。


 それでも五分も粘れたオレに努力賞を与えてほしいと思ったのは、ピンチでも余裕があったのか、完全に諦めの気持ちだったのか……。とりあえずグレースを始めとしたプレイヤーたちが少しでも多く逃げ切ってほしいと思う。


「よぉ、ようやく追い付いたぜ。苦労させやがって……それがそのコートの力かよ?」


 ニヤつきながら鉄球を大きく振り回す大男にオレの背筋は震え上がる。もしもさっきの鎧のプレイヤーみたいにペチャンコにされてしまえば、確実にオレは死んでしまうだろう。


 レナに立ち向かった時とは全く違い、あの大男と相見えてみると最早恐怖しか感じなかった。


「さあな……」


 震える声を抑えてたった一言応えるのが精一杯だった。相手の方が足が速いならば、これ以上は逃げられるはずも無い。


 しかも立ち上がって先の方を確認すると、最悪な事にその先に地面が無く、黒一色のキャンバスに宝石を散りばめたような満天の星空と満月が浮かぶだけ、この先は崖だったのだ。


 川岸にでも出ればよかったのだが、下から水の流れる音がするとはいえ、崖から落ちて死んでしまえばきっとアレスティアに逆戻りだ。このままどうにかする策が出てこなければ万事休すとなってしまう。


「お前のコートのメダルを俺様に渡せばこのまま見逃してやるよ。どうだ?」


 デモリテがこちらに手を出して提案をしてきたが、どう考えてもあの男が約束など守るように思えない。


 ――このままやられる位なら……。


 オレは最後に一つだけ抵抗してみることにした。


「お前に渡すくらいなら、ドブにでも捨ててやるさ」


 虚勢を張って相手を挑発した結果、相手はみるみる怒りのボルテージを上げていく。額に血管が浮かび、鎖を持つ手はわなわなと震えていた。


「んだと? じゃあお望み通りぶっ殺してからそれを奪ってやるよ!」


 鉄球が闇を切り裂くような真紅に染まっていく。恐らくスキルだろうが、喰らえば確実にHPが吹き飛ぶ上に逃げ道も無い。


「うらっ、消えて無くなれやぁ!」


 空気を押しのけて突き進む鉄球を避けようにも場所も無い以上、どうしようもなく剣を構えて防御を固める。だがここで二つの幸運がオレに味方してくれたのだ。


 一つは鉄球が着弾した場所だ。そこはオレからほんの一メートルくらい手前の地面で、あいつは暗さで狙う箇所を誤ったのか、当てる場所を手前にしすぎたのだ。


 高い威力を持つ反面、手元が狂いやすい武器なのかもしれない。そうして恐ろしい威力を地面に与えた結果、崖が簡単に崩落していく。


 そして二つ目の幸運はオレが崖から落ちて気付いた。


「うげっ!」


 下が川なのは音で察していたのだが、絶壁には木が生えていてオレの落ちる勢いを緩和してくれたのだ。そうではあっても目の前にぐんぐん近づく漆黒の激流、そしてげ水面に激突した。


 木と水のクッションのお陰でなんとか落下死は免れたが、今日一日の余りに多すぎる出来事による疲労、そしてさっきまでの圧倒的恐怖に意識が薄れていく。


 ここで溺れてしまえばアレスティアに逆戻りだ。それだけは何としても避けなくてはならない。


「苦しい。意識……が……」


 ゲームというのに呼吸ができない苦しさに必死になって何とか浮かび上がるも、一緒に落ちてきた木の枝にしがみつくのがやっとだ。




 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


「ちくしょう! ミスって落としちまった……」


 デモリテは喉から手が出るほど欲しかったヴァン・フレリアを着たセイリアが、崖の下へと消えていく様をただ見ている事しか出来なかった。


 しかも下を確認したところで川だった事と、死亡エフェクトである光の粒が出てこなかったところから、まだ生きていることを察したデモリテは地団駄を踏むも、既に後の祭りだ。


 自らのミスを悔やんで頭を抱えていたが、ここで部下から通話による一つの報告があった。心底いらだっていたデモリテは通話開始のボタンをクリックすると同時に「何だよ、うっせえぞ!」と八つ当たりの言葉をぶちまける。


「ちょっデモリテさん、『蒼弓』とか他の奴らに仲間の三分の一くらいやられましたが何とかHP残して全員捕まえたぜ!」


 この事に関しては彼にとっては良い報告だった。向かわせた人数の三分の一、およそ五十人くらいだが、ほとんどがレベル二十以下の雑魚チンピラだったようで特に問題は無い。


 やはり数の力は素晴らしいが、だからこそヴァン・フレリアを取り損ねたのは相当悔やまれるだろう。


「後はあのクソガキを探すだけだな。死んでれば神殿にいる奴が報告するだろうし、川から上がれたところで遠くには行けないだろうから、探すのは明るくなってからでいいか……」


 着々と自分がアレスティアの覇権を握りつつある状況に、デモリテは上機嫌だった。

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