第十二話『ウンディーネとの出会い』
「はっ……」
意識が戻ったオレは一瞬何が起きたのか分からなかった。
目の前には黒く塗りつぶされたキャンバスに白点が無数に打たれ、ぼやける視界だが焦点が徐々に合ってくる。
辺りは水面たゆたう川のほとりだった。森の近くには誰も居なかったが、焚き火があることから人が居た形跡がある。
そして川には綺麗な緑とも橙ともしれない温かな色の光球がふわふわと浮かぶ幻想的な風景だ。
「蛍……なのか?」
小さな可愛らしい光を田舎の祖父母の家の近くにあった、小川で見た蛍の光と重ね合わせる。そんな思い出にふけっていると、森の方から声がした。
「それはライト・ウィスプという小さな精霊系モンスターだよ。何もしなければ襲われないから心配もしなくていい」
優しい響きを持った声だった。振り向くとそこには一人の青年らしき男の人が立っている。
髪は透き通るようなライトブルーをした癖っ毛で、瞳も同色、そして顔立ちは日本人とは少しばかり違って目鼻立ちがはっきりとしていた。たぶんハーフだろうか?
そして耳のあたりは特徴のある魚のヒレのような形をしている。どうやら何か種族の特徴だろう。
「大丈夫かい? 君そこの川の上流から流れて来たんだよ。結構ダメージも酷かったんだよ?」
背は高く目測百八十センチくらいで、服装は黒の長めのローブに深い青色のズボン、右手に中々精巧な装飾を施された杖を持ち、左手には何か木の実が山盛りになったカゴを持っていた。
「ダメージって、そういえば崖から落ちたのにオレ……」
HPゲージに視線を向けると、HP自体は最大でダメージを受けた形跡は残っていないが、未だ体には疲労が残っているのか倦怠感ばかりが埋め尽くしている。
「ダメージは僕の回復魔法で治したよ。そこまで君のレベルが高くないのか、僕程度の回復魔法でも全快にはさしたる時間は掛からなかった」
「……ありがとうございます」
立ち上がってお礼しようとオレは両腕両膝に力を込めるが、小刻みに震えるだけで動くことさえままならない。
溜まりに溜まった疲労と、ギリギリのところであのデモリテから逃げ切った安堵からだろうか。
「ほら、食べるといいよ。美味しいし元気も出るから」
「あ……ありがとうございます」
オレの前で屈んで手渡してきたのはかごに入っていた赤い果実で、大きさや見た目はリンゴのようだった。知らない物とはいえ、さっきまでの緊張とたくさん走ったせいで腹の虫も暴れだしていたこともあり、早速大口でかじりついた。
歯触りの良い食感はリンゴそのものだが、味は濃厚であっても甘すぎないバニラアイスのようなまろやかさであり、溢れだす豊富な果汁は同時に喉を潤してくれる。それは瞬く間に手の上からお腹の中へと消えていった。そんなオレの食べっぷりを見ていた青年は微笑むだけだ。
「これはアップレの実っていうんだ。名前とか見た目はリンゴにそっくりだけど、味はだいぶ違うだろ? ほら、まだ沢山あるから好きなだけ食べてくれ」
山盛りになった赤い果実が入ったカゴをオレの前に置いてくれた。抑えられない食欲に負けてオレはひたすらかぶりついた。
ここで食べたものは朝にハムエッグとトースト、夕方にグレースに奢ってもらった煮物定食。どれも店売りの微妙な味で決して旨い訳では無かったが、この果実はあっという間に体の隅々にまで染み渡るほど本当に美味しかった。心の底から美味しい物を食べられた嬉しさが込み上げてくる。
それと同時に安心したのかため息が漏れ、膝を抱えて目を閉じていた。思い返してみると、たった一日でこんなに多くの事を体験し、たくさんの感情が溢れた。不安、喜び、怒り、そして……。
「うぐっ……」
涙を抑えることができない。無力なオレの為にたった一人で囮になった少女の姿を思い出してた。凛々しい後ろ姿を最後に、彼女がどうなったのかも分からない。
無事に逃げ切っていたら良いのだが、もしも捕まっていたらどのような仕打ちを受けるかと思うと、心臓を締め付けられるように苦しかった。
「何か辛いことがあったのかい?」
青年は焚き火で沸かしたお湯で紅茶を淹れると、オレの前に差し出してくれた。鼻腔をくすぐる心地の良い香りに、それを無意識に飲んでみれば体の芯から温もりが広がっていく。
少しだけ落ち着いたオレは質問に対して無言でうなずいた。無様に人前で泣いてしまったのだが、この日何度も精神を打ちのめされていたオレにこれ以上の恥を上塗りしたところで落ちる印象もあるまい。
「そうか、僕はフーリエだ。初対面で信用してもらえるかは分からないが、まずはお互いに自己紹介といかないかい?」
メニュー画面にプロフィールカードが届く。手早く内容に目を通してみると、すぐに青年がここに居るにはおかしい人物である事が分かった。
「なんで、ウンディーネ族の人がヒューマン族の所に? しかもレベル八十だなんて……」
オレ自身リアクションで驚く気力も無かったが、初めてウンディーネの人に会えたことに加え、デモリテと同じ最大レベルのプレイヤーだったのだ。
本当ならホームタウンに転送されているはずなのに、ここにいるのは何か訳があるのだろうか?
「オレは……セイリアって言います」
フーリエさんはオレが送ったプロフィールカードを一通り見終わると、水色のメニューウインドウを広げた。
「レベル一の君がどうしてここにいるのかを訊く前に、僕がどうしてこんな所に居るのか訊きたいだろうし、それを教えてから聞かせてほしい。もちろん無理強いはしないけどね」
そう言うとメニューウインドウから三次元の立体地図が現れた。中央に大きな街のアイコンがあり、それをぐるりと囲むように大きな山脈がそびえ立っている。
更に外側には山脈を囲むように七つのエリアがあった。
「これはこのメダリオンの世界の全体図だ」
そしてフーリエさんは中央の街を指差す。大きな山脈に囲まれてはいるが、街の周囲には湖や溶岩地帯など多岐にわたる環境がアイコンで示されていた。
「ここは僕たちプレイヤーが朝起きた時に居た、はじまりの街とも言われるシンフォニアだね」
そう言って次にその外側の山脈を指差してその部分をなぞっていく。マップの縮尺は分からないが、山脈の内側の半径よりも数倍はあろうかというのが外側の半径だ。
「これが円環山脈と呼ばれる巨大な山脈。今までのメダリオンではここまでがプレイヤーの行動範囲だった」
「たったのこれだけですか?」
円環山脈までの面積とその外側の面積には恐ろしいまでの差がある。例えるならユーラシア大陸全体とモンゴル位の差の感じだ。
「そうだ。この山脈の外側の超巨大なエリアは、僕たちプレイヤーが設定した七つの種族がそれぞれ統治しているとみえる」
フーリエさんが南西の青いエリアを指差した。その広さはシンフォニアの何倍もあり、ここいらを旅するだけでも相当な時間を食いそうなほどだ。
「ここが僕が所属するウンディーネの領地で……」
次に指差したのはその隣の紫のエリアだった。ウンディーネの領地よりもかなり小さいが、それでもシンフォニアより広大なのが一目でわかる。
「こっちがヒューマン族の領地だよ。まだ僕が歩いた部分にしか色がついていないけどね」
「こんな情報をマップで確認できたのか……」
驚きの余り口を開けっ放しにしていたのも忘れていた。更にフーリエさんは紫のエリアを指で広げるように動かして拡大していく。そこには更に南から緑、青、赤、黄、茶の五色のエリアが確認できた。
「この緑のエリアが君が属するヒューマン族の風の領地になっている」
「つまり、フーリエさんはウンディーネ族の領地から近いヒューマン族の領地、しかも南側の風の領地に来たってことですね?」
「ああ、何故かは分からないが、僕を含めたウンディーネプレイヤーの何割かはウンディーネのホームタウンではなく、南端の街にリスポーンしたんだ。おかげでヒューマン族側の方が近かったよ」
「マップを見てみてもかなりの広さですからね……」
ここに来た理由の一端は分かったが、肝心のわざわざここまで一人で来た理由は判明していない。
「でもどうして転送されたばかりなのに街から出たんですか? この状況でわざわざ一人でここまで来る意味なんて……」
その質問にフーリエさんの目が細くなった。何かまずかったのか? 口をつぐんですぐに取り消そうと言葉を選んでいると、フーリエさんは苦笑を見せる。
「そうだね……強いて言うなら、僕はウンディーネ族のプレイヤーに嫌われているっていうのが最もな理由かな? だから街を出て一人で旅を始めたんだ」
同じ種族のプレイヤーから嫌われている? どうやら本当に訳ありらしい。
「一応僕の理由はこんなところかな。それじゃあ、君がどうしてこんな目に遭っているのか教えてもらえないか? さっきも言ったけど無理して語ることはない、話せるところまでで大丈夫だから」
「……大丈夫です」
肝心な嫌われた理由も聞きたかったが、多分フーリエさんの嫌な部分に触れてしまうだろう。これ以上追求することなく、オレはこの街にやって来てからここまでに至る顛末を一通り話すことにした。
話を聞いたフーリエさんがオレの着ているコートを一通り眺めてから空を仰いだ。
「なるほど。それは大変だね……」
オレへの同情の言葉を口にしてから、満天の星空の下でフーリエさんはあることを呟いた。
「メダリオンは自らを使う者を自らで選ぶか……ただのゲーム設定かと思ったけど、中々に面白いことかもしれないな」
「使う者を選ぶ?」
意味の分からない言葉に、問い掛けるように疑問の言葉を口にすると、フーリエさんは薪を焚き火に据えてからぽつりと語り始めた。
「暫く前……大体十ヶ月くらい前に、ダンジョンで一つの石碑を見つかったんだ。そこに刻まれていた文章は解読スキルの熟練度を上げないと読めないものだったけど、僕はそういった事に興味があってね、なんとか読むことができたよ」
「どういう内容だったですか?」
訊ねてみると、フーリエさんは腰のポーチから一枚の紙を取り出して読み上げ始めた。
『この大地に悪しき存在現わるとき、五つの精霊を統べる長である龍、精霊人と人間に自然の力を封じた武器を込めたメダリオンを与える。メダリオン、その力を使うに相応しい者を選び共に悪しき存在を駆逐す』
「という内容さ。ゲームのタイトルにもなっているメダリオンなるものが龍に与えられ、それは人を選ぶ要素があるということだろうね」
「じゃあ、このコートも……」
オレが今着ているヴァン・フレリアもSSRの強力な装備だ。もしかしたら、これもオレを選んで今ここにあるのか? そんな非科学的なことを考えていると、フーリエさんが突然表情を改めた。
「与太話は後にしよう。今は君の恩人がどうなっているのかが心配だし、メダルを人に譲渡できるのかが気になるところだね。試してみたいことがあるからちょっと手を出してみてくれないか?」
言われた通りに手を出してみると、落ちてきたのはメダルが一枚。正体は水属性の魔法使いの帽子だった。顔を上げると、フーリエさんがさっきまで被っていたはずの帽子が無くなっている。
「やはり装備していたメダルも人に渡せるね。試しに被ったらどうだい?」
「は……はあ」
メニューを開いて空白になっていた頭の位置のくぼみにメダルを置くと、頭上に大きなつば広帽が現れた。デモリテは既にこのことを知ったうえで、メダルを要求したことが分かったのだ。
オレは自分に似合わない魔法帽のメダルを返すと、次の謎に迫るフーリエさんは腕組みをして難しい顔をして唸っていた。
「メダルを奪うまでの過程はともかく、次は恩人さんだね。まずは安否確認をしなくてはいけないな」
「知りたいのはやまやまなんですけど、どうやったらわかるんですか?」
「そうだな……フレンド通話はしてみたかい?」
そういえばグレースがレナと通話して状況をやり取りしていた事を思い出した。オレはフレンド欄からグレースの名前を選択し、通話の欄をクリックしてみる。するとよく耳にする電話の音が頭の中で鳴り響き、それを聞いて十秒ほど待っていると待機音が途切れた。
『……セイリア君?』
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