第三話『起きてみると……』
「う……ん……」
閉じた瞳に眩しい朝日が射し込む。今日も学校に行かなければならない。月曜と変わらず火曜もまた億劫だったが、ようやくメダリオンでのデビューを迎える記念日でもある。
まだ何も知らないので本当に基本だが、色々と知ることが楽しさを何倍にも引き上げる。それはサッカーでも通ずるところはあるかもしれない。
朝食を食べるために、寝ぼけ眼でいつものように階段の手すりを掴みながら力の入らない足で一階に降りていき、そしていつも通りリビングのドアノブを回した。
「母さん、今日のご飯は……」
オレの日常はその瞬間あまりにも長い時間切り離されてしまう、現実からもだ。
「は……?」
最初の違和感はドアノブだった。オレの家のドアノブは全てレバー型のものだが、今手に掛けているそれは丸型だ。流石に寝ている間にドアが壊れて修理したなどということは有り得まい。
「…………」
生唾を一度飲み込み、意を決してドアを開けると、眼前にはうちのリビングなど無い。赤の他人らがオレと同じように辺りを見回して茫然としている様だった。
よく周りを見てみると、五人程の使うような丸テーブルが十個程木製の床に立っていて、カウンターには知らない初老の男がグラスを拭くという姿は、まるでバーのマスターのような雰囲気だ。
「おいおいおい!」
慌てたオレは部屋に戻ろうと二階へ向かうと、出たときには気づかなかったが、三つしかないはずの家の二階のドアは何と十や二十はあろうかという数がある。
「は……何だよこれは?」
オレは適当にドアを開けて運良く一発で自分のいた部屋に戻ることができたのだが、見慣れた自分の部屋でさえ原型を留めていない。
「何も……無い?」
ほとんどの私物が消えていた。教科書やマンガが入った棚、お気に入りの曲を聴く為の愛用のコンポ、更には外の移動に不可欠な車椅子さえだ。
ほとんど……いや、全てが無くなっていた。大切にしていた物、愛用していた物、果てに自分の部屋ですら全て消えていたのだ。
そして呆気にとられていたオレが目についたもの。それは窓際にあった木製の机の上に残されていたものだった。
「トリニティデバイス……」
ずっと楽しみにしていたメダリオンをプレイするためのトリニティデバイスと、その側には買ったパックに入っていた五枚のメダルが昨日の夜のままで積まれている形で置かれている。
そして、セットに同梱された五枚のメダルが入ったゲーム内で装備するメダリオンのデータを送るためのケースの一式が残されているだけだった。
「電源……入るのか?」
仕方なくオレは充電したままコードだけが消えていたヘッドギアのスイッチを入れてみると、軽やかな起動音とともに内側のディスプレイにホーム画面が映る。
「ここってネット繋がるのか?」
早速ゴーグルを掛けて操作してみるも、ネットに接続出来ないという表示しか出なかった。夏の始まりらしい部屋の熱気に額からは汗が滴り落ち、手の甲でそれをぬぐっていくことしかできず、ついには焦りでそのことすらも意識の外に放り出していた。
「頼む……繋がってくれっ」
天に祈りを捧げながら色々とヘッドギアのボタンやら、メニュー画面の項目を弄っていると、突然視界が広がり頭が軽くなる感覚を覚えた。今までにフルダイブモードを使ったことがなかったからそれを起動しただけなのかと思ったのだが、そんな甘いことではなかったのだ。
「どういうこと……」
頭に手をやってみると、掛けているゴーグルの感覚が無い。部屋にあった姿見も消えていたのでオレ自身を見ることはできなかったが、突如としてトリニティデバイスのヘッドギアが影も形も無くなってしまったのだ。
「うっ、嘘だろ?」
慌てふためいてゴーグルを探し回るオレは更に一つ無くなった物に気が付く。
「メダルケースも……無いんだけど!」
今の今まで机の上に置いていたデータ送信用のケースも忽然として消えてしまったのだ。ゲームに必須の二つの機械を無くし、手元に残ったのは拡張パックに入っていた五枚のメダルだけだ。
全くの未知の状況に、どうすれば分からなくなってしまったオレはまず第一にある可能性を考えた。
「そうだな、これは夢だ。ここまで長くてリアルなものは体験したこと無いけど、学校に行ったら浩介たちとの話のネタになる……そうだよな?」
そこまでオレは考えると、早速夢の中から脱出するつもりで二度寝を決め込むべくベッドに転がり目を閉じたその時、鈴の鳴るような透明な音が耳に響く。
「めっ、目覚ましか?」
驚いて飛び起きたオレは辺りを見回すが、元々使っていた目覚まし時計は既に存在しないし、そもそもこんな音ではない。その正体はオレのすぐ前に出現した水色に薄く光るプレートだった。そこには『メールが一件あります』という文字が表示されているだけだ。
「差出人はコーネリア……浩介だ!」
浩介のアバター名がコーネリアだということは、フレンド登録によって知っていた。早速プレートにあった開くという項目をタッチすると、現れたその内容は彼の驚きが満ち溢れているのをありありと感じる。
『荷物まとめてすぐに外に出てくれ。この辺りで一番高い塔の下で待ってるから早く来てくれ。塔の真ん中に時計があるからそれを目印にしろよ!』
「……あいつ何か知っているのか?」
とにかくオレは浩介に会うために、握っていた五枚のメダルをポケットに押し込むと、無我夢中で謎の建物から出た。
そこまでしてようやくオレは気付いたのだ。外に出ていたオレが自分の足で、しかも手すりも何も支えを使わずにここまで来たことを。以前のように全く違和感なく走ることができていたことに……。
「歩けてる……のか? 自分の脚で……」
今の状態をオレは信じられなかったのだ、事故に遭って半年、血の滲むようなリハビリしても回復できたのはようやく家の中でも手すりで移動できるとこまでだ。
それが今日になって突然、その上こんな状況になっている時に幸か不幸か、完全に脚が回復していた。これを奇跡と呼ばずして何と言えるのだろうか?
「本当にどうなっているんだよ?」
そして目の前に見える景色は見たことの無い街だった。
見た目は中世の様な雰囲気、地面は石造りでファンタジー小説のような鎧や剣などを携えた姿をした人たちや生成りの服を着た人が見たことの無い野菜や果物を売り回っている姿がそこにはある。
しかも普通の人とは異なり、耳の尖っていたり、猫耳、青い髪、赤い髪、現実ではほとんど見ないような人が大勢ですぐ前の道を歩いているのだ。
「ゆ……夢か? はっ、ははっ……」
迷い込んだおかしな世界と自分の身に起こった突然の出来事に、乾いた笑い声しか出なかった。
周りの人たちはそんな茫然とするオレを見て、変なものを見るかのような表情をした人が一割、見た目はその人たちと同じでもオレと同じように困惑し、不安がる人が九割くらい見える。
とにかく、何も分からないオレは浩介からのメールにすがり付くしかなかった。なんとしてでも一番高い塔を探さなければいけないのだ。
「……行くしかないよな?」
こうしてオレは突然訪れたこの世界での最初の一歩を踏み出したのだ。
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