第二十九話『走れ!イーヤ!』その1

 昼過ぎの刺すような陽射しの下、ぎこちない日本語を話す一人の少女がいた。


 彼女は水色髪の上に魔法使いのつば広帽子を被ったウンディーネと向き合って何やら話している。


「私は……イーヤ、と、いいます」


「そうそう、上手いよ」


 片言ながら一文を唱える少女に、ウンディーネの魔法使いであるフーリエがニコニコしながら手を叩いた。


 しかし、誉められたはずの銀髪の少女のイーヤは不満そうに頬を膨らませていた。


「これ、くらい、できるよ?」


 イーヤはロシア人のプレイヤーだ。三日前からセイリア達と行動を共にし、現在はコミュニケーションの練習として、ロシア語を含めたいくつかの外国語に通じているフーリエが日本語の先生を買って出ている。


「イーヤちゃんって日本語勉強してたの? ちょっとは話せるみたいだけど……」


 セイリア、イーヤと同じヒューマン族であり、【蒼弓】と呼ばれるアーチャーであるグレースが持ち前の栗色の髪を指に巻き付け質問する。


 しかし、イーヤは銀髪を揺らして首を傾げた。その分かっていない様子にフーリエがすぐさま通訳に入る。


「ああっ! そうですね……んー、すこ、し」


 グレースの言葉の意味を理解してパッと表情を明るくしたイーヤは指をわずかに開いて見せる。しかし、その後は困り顔に変わるとフーリエに通訳を頼んでいた。


「彼女は最近親の仕事の都合で日本に来て、学校に通うために自己紹介の練習と少しの会話を勉強していたようだね」


「へぇ、それならセイリア君が相手をしてあげたら?」


「なっ、何でだよ?」


 隣でレベルアップによるステータス振りに頭を抱えていたセイリアは突然話を振られて飛びのいた。


「イーヤちゃんにできた初めての日本人のお友達でしょ? 私も手伝うから、ね?」


「……分かったよ」


 今日泊まる宿までの道中、セイリアはグレースの助けを得ながら、イーヤの日本語練習の相手をすることになった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 午後六時、空が紫紺色から濃紺色へと変わりつつあるなか、街灯も無い次の町への街道をせかせかと歩く一行。


 目標の時間までにマップに表示された宿に辿り着けなかったのだが、理由はごくごく簡単なものだった。


「うう、ごめんねみんな……」


 うなだれて最後尾を歩くグレース。少し前に立ち寄った雑貨屋らしきお店で買い物をしていた時に見つけた毛むくじゃらの看板犬と遊び呆けてしまい、かなりの時間を浪費してしまったのだ。


「だい……じょーぶ!」


 一つ前にいたイーヤがグレースに振り向いて笑顔でピースして見せた。弾けるような笑顔は年頃の少女らしく、かなりはつらつとしている。


「まあグレースの動物好きはオレもフーリエさんも分かってるからな。別に心配しなくてもいいじゃないか?」


「そうだね、安全に宿に着けば問題ないよ」


「うう……」


 セイリア、フーリエの両名からも励ましの言葉をかけられ、返す言葉の無いグレースだった。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 午後六時三十分。一同は何とかモンスターに遭遇することなく宿屋に到着することができた。


 他の旅人のいない殺風景なものではあったが、この辺りは近くに町どころか農村さえもない超過疎地域だ。


 その上モンスターの類いも出ると昨日立ち寄った村でそのような情報を仕入れていたこともあって、こうして戦闘にならずにたどり着いたのはかなり運のいいものだろう。


「何とか日没までに着いたね」


 早速注文した牛乳をあおるフーリエ。隣に座るセイリアもほっとした様子で白パンを口一杯にほおばり、牛乳で一気に流し込む。


「本当にすみません、柄にもなく遊んじゃって……」


「グレース……いいよ、いいよ」


 イーヤはしょんぼりする栗色の髪をかいがいしく撫でている。そんな妹のような姿にグレースは微笑んで「ありがとね」とお礼を呟いた。


「こうしてみると二人って姉妹みたいだよな。そんなに似てないけどさ」


 セイリアがぽつりと溢した言葉はグレースに一つの疑問を抱かせた。少しばかり気分を取り戻したのか、パンを一口かじって飲み込む。


「私とイーヤちゃん、どっちがお姉ちゃんだろ?」


「気になるのは良いけど、ゲームの中でリアルの事を聞くのは良くないんじゃなかったか?」


 スープまで飲み干したセイリアは自身の持ち合わせている数少ないオンラインゲームのマナーを口にする。すると、その会話を訳してもらったイーヤがフーリエさんを介してあることを伝えた。


「イーヤさんは十四歳みたいだよ?」


 その言葉にセイリア、グレースの両名は凍りついた。彼女の年は分からないにしても、セイリアも同い年の中学二年生だったからであったからだ。


「おっ……オレもイーヤと同い年だ」


「わっ、私だってそうよ! イーヤちゃん、小学校の高学年くらいと思ってたわ……」


 二人の告白にイーヤ、フーリエの両名は目を丸くした。片や自身に歳が同じ仲間が出来たこと、片や自身がこの中で最も歳上だと気付いたことによるものだった。


「ここにいる全員が未成年とはね、普通ならそうあることじゃないけど面白いじゃないかい?」


 全員が未成年、思わずフーリエが呟いた言葉は自らがまだ子供であることを示していたのだが、銘々も目の当たりにした激しい衝撃に、このことは誰も追求などしなかった。


「……??」


 そして、通訳を忘れられていたイーヤがこの事実を知るのは4人の間からこの驚きが冷めた後、ちょうど夕食を終えた後になる。


 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※


 時刻は午後十一時。そろそろ翌日の為に寝なければいけない頃に、とある事件が起こった。


 それはグレースとイーヤが泊まる部屋でグレースが荷物の整理をしている最中に起こったのだ。


「ふん、ふん、ふーん」


 鼻歌混じりにグレースがアイテムのチェックをしていると、ふと整備の為に窓の近くに出していた愛用の蒼い弓を肘で小突いてしまったのだ。


 そして案の定弓は窓の外へと消えていく。


「あちゃー、取りに行かなきゃ……」


 幸いにも下は夜露に濡れた柔らかい草地。弓もキズは付いていないようで、彼女は胸を撫で下ろしたところに見えたのはすばしこい影が駆け寄っていく。


「キキィー!」


 闇夜を切り裂いて現れたのは二足歩行のネズミ、【ラット・オブ・シーフ】。レベル十のそこまで強くはない敵だが、このモンスターにはある恐ろしい特性があるのだ。


「ちょっ! 嘘でしょ!?」


 そのモンスターを知っているグレースの顔から血の気が引いていく、ネズミは二足歩行とは思えない速さで真っ直ぐ弓に近付くと、残りの小さな二本の腕で器用に自分の体長の倍はあろうかという蒼い弓を持ち去っていったのだ。


「キッ、キキィー!」


 そう、【ラット・オブ・シーフ】はその名の通り物を盗むネズミで、強くはないが武器さえも盗んで逃げてしまう。そして見失えば最後、二度と戻ってこないのだ。


 ゲームだったらメダル装備はある程度の距離離れると瞬間移動で戻ってくるのだが、人にメダルを譲渡できるこの世界ではどういう扱いを受けるのかまではわからない。


 それでもグレースの通り名【蒼弓】を支えてきたレアメダルである【疾風樹の弓】を蒼くカラーリングした、この世にたった一つの相棒に代わる物など無いのだ。


「絶対許さないんだから……」


 怒りを込めた呟きと共に装備を寝間着からいつもの物に変更したグレースは窓枠に手を掛けようとしたその時、


「まか……せて!」


 銀色の髪をなびかせて夜の闇に先立って飛び出したイーヤ。草の上で星の光を受けて輝く水滴を飛ばしてふわりと着地するその姿は、まるで妖精のようだ。


 そしてネズミが消えていった草原を睨む銀色の妖精が後を追って行く姿を、グレースも見失うまいと全力疾走で追いかけていった。

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