第三十話『走れ!イーヤ!』その2
夜風を身に纏いながら草原をひた走るイーヤ。
空は新月で月が無く、星明かりだけを頼りにするしかなかったが、彼女にはそれをカバーするスキルがあった。
今彼女が見えている景色は真っ暗な闇ではなく、夏の風に揺れる背の低い草地と蒼い弓を抱えて必死に逃げるネズミの姿だ。
スキル【暗視】は大気に満ちたマナの力で暗い場所でも良く見通せるようになるスキルだ。
熟練度が上がれば、真っ暗な洞窟内でも敵の姿がハッキリ見えるようになるほどの有用性である。
逃走するネズミは足こそ速いものだが、体長の倍はあるグレースの弓を担いだせいか、どこかよたよたとした走り方になっている。
そうでありながらも、追いかけてくるイーヤに向けてネズミは何やら紫色の液体が入ったビンを器用に投げてきた。
「わっ!」
間一髪かわした先にあった岩にビンがぶつかり、中にあった液体がベットリと岩に掛かると、そこから煙を上げ始めたのだ。
「酸……なのかな?」
そう予測したイーヤはネズミが再びビンを取り出したところを見計らってから体勢を低くする。
「ふっ!」
鋭く息を吐きながら手近にあった石ころを拾い、ネズミがビンを投げつけると同時にそれを投げたのだ。
放物線を描きはじめたビンに対してイーヤの投げた石ころはピンポイントで命中し、液体がネズミの背中を掠める。
「ギッ、ギィー!」
短い悲鳴が響き、ネズミは足をふらつかせるが速さを緩める事は無い。
【ラット・オブ・シーフ】はゲーム内の設定は一度目をつけた獲物は絶対に諦めないというものだ。
それ故にグレースの弓を捨てて逃げてしまえば、おそらくはイーヤから逃げ切れるはずであったのに、ネズミは諦める事無く一心不乱に闇夜を走り抜けていく。
草原から徐々に背の高い木が増え、イーヤの視界は森の様相へと移りつつあった。このままではどこまで追いかける事になるか予想もつかない。
しかもネズミのねぐらは森の奥深くにある上に群れを成している。イーヤ一人で太刀打ち出来る数では無いだろう。
「時間も無いなあ……」
イーヤは得物の
空中でネズミの位置を把握しながら短刀を逆手に持ち替えると、体を右に捻りながら構えを取った。
すると短刀が白色に輝きだし、辺りの景色を明るく照らし出す。
「……っ!」
無言の気合いを吐き出し、彼女は左手を器用に使ってネズミの進行方向に着地すると、短刀を下から上に一気に振り上げた。
「グギーッ!!」
最初等の
威力は高くない短刀だが、スキルを喰らったネズミはノックバックでグレースの弓を夜空に放り出した。
「どろぼうは、ダメ!」
「クケーッ!!」
片言の日本語を呟くイーヤは再び空へと飛び出して弓を回収しようとしたその時、鳥の鳴き声が彼女の更に上から襲いかかってきた。
夜行性の鳥型モンスターである【ナイト・イーグル】が急直下降の強襲を敢行してきたのだ。
【ナイト・イーグル】は黒い鷲の姿をしたレベル二十のモンスターだ。イーヤはそれを認識した時に苦戦を想定していたのだが、それは杞憂に終わる。
「イーヤちゃん、それこっちに頂戴!」
突然現れたグレースが栗色の髪を揺らして、手のひらから魔法を飛ばしたのだ。
その中級魔法【アルス・ウィンディオン】の詠唱から作り出されたバレーボール大の圧縮された風の弾は黒い鷲を直撃し、モンスターの隙を作りだした。
「ぐ、グレース!?」
少しの間の後に参戦したグレースは、すぐに空中でイーヤから蒼い弓を受け取ると、一呼吸置いてから矢をつがえ、スキルが発動した事を確認してから闇の中に矢を撃ち込んだ。
「ギャアッ!」
「ギギーッ!」
二体のモンスターの断末魔が聞こえてくると、風に吹かれて光の粒が蛍のような淡い光を放ちながら流れてきた。
「ふうっ! 助かったわ。イーヤちゃんすごく足が速いのね」
取り戻した蒼い弓を我が子を慈しむように撫で、自分となんら変わらない速度でダッシュをして見せたイーヤにお礼を言った。
そんなグレースにイーヤはいつもの弾けるような笑顔を見せると、右手の上で器用にダガーを回して腰のホルダーに納める凛々しい姿にグレースは拍手していた。
「こんなに扱いが上手いなんてね。それの技、結構練習していたの?」
イーヤは初めはキョトンとしていたが、短刀を指差されたところで質問の内容を理解したようで、ニコニコ笑顔でうなずいた。
「さてと、そろそろ戻らなくちゃ、男たちが心配しちゃうわ」
「あっ、うん、そーだね」
最後の言葉は何となくしか分からなかったが、『戻る』の意味を理解していたイーヤは先に歩くグレースの後を追っていった。
「そう言えば私、まだイーヤちゃんにプロフィールカードをあげてなかったわね」
そう言いながらメニューを操作してプロフィールを送った。その後に後ろで銀髪を揺らしながらメニューを操作するイーヤから同様のものが送られてきた。
「レベル十八!? 私より全然低いじゃないの……」
あれほどの身のこなしと
レベルの低さを思いもしなかった彼女は、銀色の少女の後ろ姿に秘められたポテンシャルをまざまざと感じ取っていた。
「あの子って将来性ホントにすごいんじゃないの?」
日をまたいだ草原を戻るグレースはそんな思考を胸に、星明かりの下を銀髪の長い髪を揺らめかせる少女と共に歩くのだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
宿屋の食堂、女子陣はまだ眠そうな様子で朝食のパンをちぎって食べる。
結局帰ってきたのは夜中の二時を回り、起床時間の六時まで、おおよそ四時間弱しか眠れなかったのだ。
「ふわぁーあ」
あくびをしながらご飯を食べきったグレースと、皿の上にまだジャムを塗った食パンが乗ったままこっくりと船を漕ぐイーヤの様子を見ていたセイリアとフーリエは不思議そうにその様子を見ていた。
「何があったんですかね?」
「さぁ?」
食事を済ませてから出発する頃にはなんとか目が醒めていたようだったが、なおも二人は目をこするばかりだ。
「二人とも、ホントに大丈夫か?」
「うん、でもイーヤちゃんの綺麗な戦闘技術見れたし良かったわ」
セイリアは心配したようにグレースを見ていたが、イーヤの昨晩のネズミ退治を彼女は追い付いて見ることができたのだ。それだけでもグレースにしてみれば大きな収穫だったのだろう。
「オレもサハギンと戦った時も見たけど、本当に動きがすごいよなぁ……」
先日のウォルリーネでのサハギン襲来時に見せたイーヤの動きを頭の中で再生させるセイリアにグレースは顔をしかめて忠告した。
「ハッキリ言ってね、君一番このパーティーの中で弱いと思うからちゃんと練習とかレべリングしておきなさいよ!」
「うげっ、分かってるよ……」
辛辣な忠告にセイリアは肩を落として歩き出す。しかしグレースはそんな彼にも当然のこと期待している。
――君だって頑張っているのは知ってるよ。私を助けに来てくれた時も、旅の途中に頑張って特訓している事も、ウォルリーネで頑張ってモンスターを引き付けていた事も。だからこそ、皆の前に立って引っ張るような存在になってほしいのよ。
そんな期待と願望を胸にしまいこんでグレースは道を歩き出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
そして、ヒューマン族の領土の旅を始めて間もなく二ヶ月が経とうとしていた。
この間にまだ立ち寄っていない火、土、光のホームタウンも一通り滞在したのだが、これだけのじかんをかけてしまったこと、そしていまだ現実世界への帰還方法も確認できていないことも、かなりつらいことだった。
しかし水の里の領主であるセシリアに頼まれていた外交も上手く取り付けながらの旅もここで一つ、大きな節目を迎えようとしていたのだ。
真剣な目でワールドマップを睨むフーリエは確認を終えたところで顔を上げる。
「皆、ここからついにケットシーの領土に入るよ!」
季節はそろそろ秋になる頃、ついに旅もケットシーの領地へと足を踏み込むのだ。
「ここまでかなり長かったですね……」
「そうね、私たちが風の街を出てからほぼ二ヶ月経ってるもの」
セイリアとグレースが呟く重たい言葉。それはヒューマン族の端っこにあるアレスティアから、ケットシー族の領地までに掛かる時間が二ヶ月というかなりの時間を要する事が分かったからであった。
このままでは単純に全種族のホームタウンを徒歩でまわる事になれば、年単位の時間が必要になる事は容易に予想がつく。
ワープ転送などの高速で移動する手段が無い現状、これでは全プレイヤーが協力した上で脱出できるまでに一体何年掛かるのだろうか?
「でも一つ進んだよ!」
加わっておよそ一ヶ月半で片言ながらも簡単な会話をマスターしたイーヤが前向きに発言する。
「うん、二ヶ月で初心者のセイリア君とイーヤさんもレベル二十を越えたんだ。皆確実に成長しているよ」
フーリエが二人を見て微笑んだ。そう、レベル一でスタートしたセイリアはもちろん、全員がはこの世界で少しずつだが進歩しているのだ。
先輩のフーリエとグレースもセイリアの成長をひしひしと感じ取っていた。
「あと少しでレナちゃんにも合流できるんだね……」
グレースが嬉しそうに言葉にしたこの旅のもう一つの目的、グレースの所属するギルド【クリスタルローズ】のギルドマスターであるレナとの再会と今後の目標の決定だ。
まだまだやるべき事が山ほどあるこの旅、それでも着実にセイリアをはじめとした、このパーティーの全員が脱出の為の一歩を歩んでいる事を認識して、ケットシー族の領地に足を踏み入れたのだった。
※※※※※※※※※※
「良いかの? もうじきじゃぞ?」
そしてもう一つの旅立ちの時も近づいていた。
小さな祠で一人の老婆が少女を目の前にして、真剣な表情で語りかける。薄暗い中で蝋燭に照らされる少女はそれは幻想的な雰囲気を放っていた。
「はい。覚悟は決めております」
淡い光に照らされるのは息を呑むような少女の純白の長髪。腰まで伸びるそれをかき分けて出てきたのは、これまた同色のふわふわした羽毛のような毛に包まれた小さな存在だった。
同じく真白なローブに身を包んだ少女は、一つ目を閉じる。
「メダリオンの目覚めた今、私がその所有者を見定めるのが使命ですよね?」
「そうじゃ。三ヶ月前にお前を呼び戻したのは、こつ然としてマナの消えたメダリオンをお主が再びこの目で見てきてもらいたい訳だ」
少女の傍に置かれた杖は柔らかな光を放っている。そして、小さな手に握りしめられると光はより強く、より美しく少女の体を飾った。
「ふむ、どうやら力は順当に覚醒しているようじゃの」
「長い時間を掛けてマナを溜めてきましたからね。体の成長とともにその強さも大きさも増しているのを感じています」
少女の心強い言葉に老婆は大きくうなずいた。
「ならば頼むぞ。世界を担う白龍の巫女よ、小さな龍と共にこの広い世界を再びその眼に焼き付けるがよいぞ!」
「分かりました」
そう応えて少女は外へと踏み出る。その後ろ姿を、老婆は孫を見るように少女の姿を慈しんで見つめていた。
「頼むぞルル……この世界の行く末はお主に懸かっておるぞ」
少女は村の門にいた。肩に乗る小さな龍は甘えるように喉を鳴らして純白の少女、ルルに頬ずりしている。
「それでは行きますよ。まずはここから一番近いリリヴィオラですね。はあ、何日掛かるのか不安ですよもう……」
そしてルルは歩き出す。自らに背負うのは使命。それはあまりに大きく、あまりに困難な旅路の始まりでもあった。
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