許されたかった、いじめっ子

小嶋ハッタヤ@夏の夕暮れ

寝覚めの悪い毎日

 今日の目覚めも最悪だった。


 俺はかつて、いじめの主犯格だった。小学校から高校にかけていじめを繰り返し、悦にひたっていた。


 しかし四十歳を過ぎた今となっては、そのことを大いに後悔している。


 そんな俺を苦しめているが、毎夜のように見る夢だ。学生時代の俺が、笑いながら弱者を虐げる姿。そんな過去の汚点を、繰り返し見せられている。


 酒量も日に日に増えていった。酔いつぶれて寝てしまえば、あの日の夢を見ることがないから。







「おや、お一人ですか。お邪魔でなければ話でも?」


 行きつけのバーで酒に酔っていると、高級そうな燕尾服を着た男が話しかけてきた。


「何か、悩みがおありで?」


 何も言っていないのにもかかわらず、男は話を続けてきた。俺は壁に話すようなつもりで「悩みの無い人間なんかいないだろう」とつぶやいた。


「それはそうですね。けれど大小は異なります。些細な家庭のトラブルに日々悩む主婦の方もおられれば、命を預かる任に就く自衛官の方もおられます。どちらが上で、どちらが下でしょう?」


「なんだあんた、禅問答がしたいのか?」


「私は貴方の悩みを解決したいと思っているのですよ」


 酔っているからといって、怪しげなビジネスに巻き込まれるほど俺は馬鹿じゃない。席を立とうとしたが、男の眼力がそれを許さなかった。身動きすべてを握られているかのような、そんな圧力を感じた。


「貴方は自家中毒を起こすほどに苦しんでおられたのですね。さぞお辛かったことでしょう」


「……何の話だ」


 言いながら、俺は高鳴る鼓動を抑えきれなかった。初対面なのに、なぜそんなことを知っている?


 いや、これは詐欺師の常套手段だ。誰にでも当てはまるようなことを、さも俺だけの悩みのように言っているだけ。そうして俺を信用させるつもりだ。


「過去の幻影が、今も貴方を捉えて離さない。ですが、私ならばそれを取り除くことができます」


「じゃあ、その幻影とやらが何か具体的に言ってみろ。出来ないだろ?」


「貴方は自身の過ちを悔いていますね。ひどいいじめを繰り返していたという、その過去に」


「なっ……!」


 酔いはすっかり冷めていた。目の前の男は、なおも話を続ける。


「過去を精算しましょう。それが唯一の救いの手段です」


「どうすれば、いい?」


 俺はすっかり、男の言葉に飲まれていた。どこか蠱惑的で、それでいて目が離せない。俺の身体は、ひどく酒に酔った時よりもはるかに熱を帯びていた。


「貴方が犯した罪。それは『いじめ』などという軽い言葉で括れるほどではありません。暴行、恐喝、迫害。けれど、それでも貴方は許されたいと思っている」


「ああ……」


「過去をどうすれば精算できるか。それは、貴方自身がもう、分かっていることでしょう?」


 そうだ、分かっていた。俺はどうしたいのか。


「あいつらに直接、謝罪をしたい。今更どの面下げて、って言われるだろうが……。そうでもしなきゃ、俺はいつまでもこのままだろうから」


「無論、彼らと会って頭を下げるだけでは済まないでしょう。暴行を受けるかもしれませんし、金銭を要求される恐れもあります」


「いいさ。俺がかつてやってきたことだ」


 男は「覚悟がおありでしたら、私がお膳立てを整えましょう」と言った。


 俺は「よろしく頼む」と頭を下げた。


 それから帰宅したあと、倒れるように寝てしまった。久々に熟睡できた。


 翌日の目覚めは最高だった。それからも、過去の夢を見ることはなくなった。


 もうすぐ心配事が消えてなくなると思うだけで、ここまで心が軽くなるのだと、俺は心底実感した。





 一週間後。


 あの男から連絡が来た。指定された場所へ行くと、男が待っていた。あの日とまったく同じ燕尾服の姿。真昼の明るい場所で見ても、どこか現実味に欠けたような、そんな姿をしていた。


 今日は、俺が中学時代にいじめをしてしまった「安田」という男と出会うことになっている。


「さて、準備は整いました」


「俺はこれからどうすればいいんだ? いちおう、金ならそれなりに持ってきたが」


「私には必要ありませんよ。それは安田様に差し上げて下さい」


 とりあえず三百万ほど鞄に入れて持ってきたが、何だったら半分は男に渡すつもりだった。しかし受け取るつもりは無いようなので、そのまま仕舞っておくことにした。


「本日、安田様とはレストランで会ってもらうことにしました」


 男に連れられて、路地裏まで歩いてきた。事件か何かでも起こりそうな、人通りの少ない通路だ。


「これだけ人気がないと、死体の一つや二つがあっても中々気付かれないだろうな」


「ええ、そうでしょうね」


 男は無表情のまま言った。


「お前が『過去を精算しろ』と言ったのが全ての始まりだったな。もしかすると……」


 不気味な雰囲気に飲まれて、ついそんなことを口走ってしまった。


「まさか。そんなわけないでしょう」


 男はすぐさま否定した。その言葉にずいぶんと安堵してしまった。


「俺も冗談だよ。サスペンスドラマの見過ぎだな、こりゃあ」


 俺はわざとらしく大声で笑ってみせた。


 俺の声に、男のつぶやいた言葉はかき消されてしまった。




『死んで贖罪を果たすというのは、ずいぶんと甘い考えですからね』







 路地裏にあったレストランは、その立地に見合わないほど高級な店だった。男が受付の人間に話をすると、そのまま個室へと連れられた。


 男は個室の前で「では、私は安田様をお連れします」と言ってどこかへ行ってしまった。


 俺はたった一人、部屋で待つことになった。


 それから三十分が経ったが、安田も男も、そして店員すらも部屋に入っては来なかった。しびれを切らした俺は男に連絡をしようとしたが、そのタイミングを見計らったかのように電話が鳴った。


「おい、どうしたんだ? 遅れているのか?」


「いいえ。もうそちらにいらっしゃるはずですが」


 気配を感じ後ろを振り向くと、そこには安田らしき男がいた。驚きのあまり、俺は携帯電話を落としてしまった。


「よ、よう。久しぶりだな。安田だろ? 声くらいかけてくれよ」


 努めて明るく振る舞おうとしたが、安田は無反応だった。


 それに、安田の姿は異常そのものだった。服はボロボロで頭髪も乱れている。そこらのホームレスのほうがまだいくらか身綺麗にしているだろう。そもそも、こんな高級店ならばドレスコードがあってもおかしくないのだが、どうして門前払いにならなかったんだ?


「今日、わざわざ来てもらったのは他でもない。お前に謝りたかったからなんだ。中学の頃、安田に対して行った非礼の数々。本当に申し訳ないと思っている」


 俺は土下座をした。頭を蹴られる覚悟だったが、特にそういったことはなかった。


 ゆっくり顔をあげると、安田はなおも無表情のまま突っ立っているだけだった。


「立たせたままじゃ悪いな。ほら、座ってくれよ。そのうち料理も来るだろうからさ」


「お前は……」


 初めて安田が喋った。くぐもった声だが、俺の耳には妙にはっきりと聞こえた。


「お前は、そうやって許されたつもりでいるけれど。僕はちっとも嬉しくなんか、ない」


「今日は、ちゃんと誠意も見せる!」


 俺は鞄の中から札束を取り出した。しかし安田はなんの反応も示さなかった。


「僕は……高校へは行けなかった。人に会うのが怖くなったからだ。小学校の頃は、学校へ行くのがあんなに楽しかったのに。僕の人生はあの時で、終わってしまった。全部……! お前が、僕をいじめたからだ!」


 安田が、机の上にあったナイフとフォークを手に取った。そして俺の目の前まで突進してきた。


「僕は目が覚めた。こうすれば良かったんだ!」


 まさか、あの男はこれが目的だったのか? 過去の精算とは、やはり……。


 しかし、俺の目の前で予想外のことが起こっていた。


 安田が自身の首にナイフを突き立てたのだ。勢いよく血が吹き出し、あたり一面が朱に染まった。


 安田は、ぱくぱくと口を開けて声にならない声をあげていた。しかし何故か、俺の耳には安田の断末魔の怨嗟がはっきりと聞こえていた。


「これは自殺なんかじゃない。僕は、お前に殺されたんだ……!」


 そして、安田は事切れた。


「ほう。安田様は立派にやり遂げたようですね」


 落とした携帯から男の声が響いた。いつの間にかスピーカーモードになっていたのか?


「安田が、俺の目の前で……!」


「ええ。依頼者は貴方様一人であると、私は一言も言っておりませんよ?」


「どういうことだ!?」


「安田様からもご依頼を承っておりましてね。過去の経験が原因で毎日が辛い、と。だから私は、安田様を目覚めさせてあげたのですよ。『すでに死んでいるような人生ならば、いっそのことその身を捧げて復讐をやり遂げてみては如何でしょう?』とね」


「安田をそそのかして、自殺に追いやったってことか!」


 この男の能力があればありえる話だ。


「いいえ、私は背中を押しただけ。彼は言っていましたよ。『復讐を果たせると分かった途端に、悪夢から覚めたような気分になった』と」


「詭弁だ!」


「おやおや、意固地な方ですね。では、次の方をご紹介しましょうか」


 個室の扉が開いた。そこには、高校時代にいじめていた田中が居た。


「まだまだ、残りのタマは残っていますよ?」


 男の声には、下卑た笑いが籠もっていた。


 田中もまた、安田と同じく俺の目の前で死んでみせた。


「あああああああ!!」


 俺がいくら叫んだところで、死のパレードは止まらなかった。







 あれから一ヶ月。


 仕事にも行けなくなった俺は、部屋に引きこもり続けていた。


 延々とあの日の風景がフラッシュバックして、気が狂いそうだ。


「俺が殺したんじゃない、俺がやったんじゃない……。あいつらが勝手にやったことだ……」


 そうつぶやくことで、ほんの少しだけ救われた気持ちになった。しかし。


「いいえ。彼らはみな、貴方のせいで命を散らせたのですよ」


 どこからか、あの男の声が聞こえた。


「俺は、俺があああああ!?」


 髪の毛を引きちぎり、血が出るほど壁に頭を叩きつけた。


 だがそれでも、奴らの声は消えなかった。

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