春を待ちわびて

ちかえ

春を待ちわびて

 寒い。寒すぎる。何故自分がここにいるのだろう。

 降りしきる雪の中。クマさんが思った事はそれでした。

 いつもは絶対に歩かない雪道を一歩一歩、踏みしめます。

 おかしい。そう思います。間違いなく自分は秋にたくさん食事をとり、冬眠に入ったはずです。なのに、どうして彼女は雪の中を歩かなければいけないのでしょう。

 足はかじかみ、お腹は痛く、気分は最悪と言っていいでしょう。


「これはいかん! はやくシャベルを! 急いでこの洞穴から雪をどけるんだ!」

「はいっ!」


 ゆっくりと足を進めます。どうして自分は歩かないといけないのだろう。

 とにかくここを出なければいけません。

 でも、冬というのは長い事を知っています。去年の冬眠の時だって、巣穴から出た時の自分はやせ細っていました。お腹もぺこぺこでたまりませんでした。

 それでもあの時は陽の光は温かく、食べ物はたくさんあり、すぐに元気になる事が出来ました。

 でも、今は……。


「隊長! 発見しました!」

「ずいぶん弱っているな」


 もう疲れた。

 歩けど歩けど、土には巡り会えません。あるのは雪だけ。

 だんだんと体が弱っていくのがクマさんにも分かりました。

 足は力を失い始め、ふらふらします。おまけにどんどんお腹が痛くなっていきます。

 自分は死ぬのでしょうか。どうしてこんな雪の中で。絶望感だけが彼女を支配します。


「おい! この熊!」

「妊娠……してるな」

「こんな弱った体で産めるはずがない。お腹の中にいる小熊は諦めよう。この雌熊だけは救助を……」


 それでも何か大きな事が起きようとしている事はクマさんにも分かりました。

 お腹を痛くしている何かに出会えれば幸せになれる。そんな気がするのです。


「何言っているんですか! この熊は頑張っています! こんな寒い中、産もうとしているんです!」

「そうです! 見て下さい! もう出産が始まりそうですよ!」

「……それは」

「誰かお湯を沸かして……ああ、もう! あたしが沸かしてきます!」

「とりあえずここから出そう。近くに小屋があったはずだ。みんな手伝って!」

「はい!」

「あまり動かすなよ! 母体に影響が出る」

「はいっ!」


 あまりの苦しさにその場にうずくまります。それでも希望をなくしたつもりはありません。

 この雪がなくなればどんなにいいだろう。クマさんがそう思った時でした。

 突然、あたりの雪がぽかぽかと熱を持ちだしたのです。

 雪はそんな熱は持たない事は、クマさんにだって分かります。

 なんだか体もふわふわとしてきました。

 まるで何かにくるまれているように。

 そうして何かがクマさんを応援しているような気がするのです。


「おい、もっと暖炉を燃やせ!」

「分かってますよ!」

「あともう少しだ。頑張れ! 頑張れ!」


 その次にクマさんが見たのは柔らかい光でした。それが彼女にすり寄るのです。


「よーし、よく頑張ったぞ」

「おめでとうございます。元気な男の子ですよー!」

「おま……、それ助産師のセリフ……」

「いいじゃなーい! 雰囲気だけでも!」


 さっきから騒がしい声が聞こえてきます。何だかもう大丈夫な気がするのです。それは声が笑っている事からも分かります。

 頭がふわふわとしてきます。

 なんだか周りの雪もゆっくり溶けていくような、いいえ、消えていくような気がします。

 少しずつ意識が遠くなっていきました。



****


 クマさんが目を開けると、そこはやっぱり見知らぬ場所でした。


 いつもの森ではない。でもさっきまで見ていた雪地獄でもありません。


 クマさんはきょろきょろとあたりを見回します。ここはどこでしょう。木も草も土もありません。木の感触はあります。でも、それは彼女が知っている『樹木』ではありませんでした。

 体は温かいのですが、彼女の体を温めているのは日の光ではありません。近くにある穴の中にある火の光です。


「おい、熊子が目を覚ましたぞ!」

「本当か!?」

「てかお前、まだ『くまこ』とか言ってんの? やめてやれよ。熊が可哀想だろ」

「可愛いだろ、『熊子』」

「ないわー!」


 元気な声が近づいてきます。クマさんには彼らが何を言っているのか分かりません。


 この動物は確か『人間』という生き物です。彼らは危険な動物である事はクマさんも知っていました。筒状の何かを使ってお腹がすいて食料を探している熊を殺すと彼女も聞いていました。


 その人間の巣にいるのでしょうか。クマさんの背筋がぞっとしてきました。


「あ、大丈夫、大丈夫。何も持ってないからね」


 人間が手を開いて何もない事を示します。なら大丈夫でしょうか。


 一人の人間が小さな塊を持ってきました。それはもこもこと動いています。どうやら生き物のようです。


「熊さん、あなたの息子さんですよ」


 そう言って差し出されたのは子供の熊でした。何となく目元に見覚えがあります。


 その子熊はクマさんを見ると嬉しそうにすり寄りました。


 それでクマさんは思い出しました。この子は川で水を飲んだ時に見た自分の顔に似ているのです。


 その意味が分かったクマさんはそっと体勢を変えます。子供がお乳を吸いやすいように。


 もしかしたらこの場所は安全なのかもしれないと少し思い始めます。

 自分の子供が無事だったのですから。


 クマさんはそっと微笑みます。


 この場所で唯一外に繋がる穴からは、綺麗な青空が広がっているのでした。

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春を待ちわびて ちかえ @ChikaeK

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