第20話 図書館でなら、また偶然

 毎日が同じことの繰り返しで、朝が来て夜が来る。それは澪とのことがあってからでも同じで、気がつくと朝も夜も、彼女と少しでも話せる機会を持てるのを待っている。

 どうかしている。

 二人で話せるのを待っているのは、どちらかと言えば澪の方だった。それがなぜ今、僕ばかりが待ちぼうけなのかわからなかった。そうして待っている間も澪の言う通り、僕は一花の忠実な恋人だった。

「一花ちゃん」

「相田ちゃん、久しぶりー! 最近会わなかったよね?」

 女子二人は突然の遭遇から盛り上がり、当然の成り行きで僕たちは一緒にランチを取る事になった。

「松倉さ、あのこと、ちゃんとした?」

 あのこと? すぐに合点がいった。小野寺は小野寺なりに伏せてそれを聞いてくれたけれど、余計に隠し事をしているという感じが際立って見えて、すぐに答えが出ない。小野寺の顔が真っ直ぐ見られない……。

「ああ……。うん、大丈夫だよ」

「そっか、それならいいけど。ま、一花ちゃんも元気だしな」

 え、わたしのこと? と隣に座った一花が言った。なんでもないよ、と僕が答えると、一花はまた生き別れの姉妹のように相田さんとおしゃべりを続けた。

「たまにはさ、相談しろよ」

 カレーライスを食べながら、小野寺はボソッと呟いた。こいつは本当に友だちなんだな、と今さら感心した。




「でねー、すごいの、小野寺くんてば」

「何が?」

「先月の相田さんの誕生日に、サプライズで遊園地のチケットくれて連れて行ってくれたんだって! すごくロマンティックで驚いちゃった」

「……そうされたいってこと?」

 一花は思った通り、という顔をしてププッと笑った。

「そうじゃないの。いつもの小野寺くんからは考えられないほどロマンティックなとこが驚きなの。それだけ」

「ふぅん。僕は真夏の鎌倉に連れて行くような男だから、期待に添えないんだね」

「だからー、そうじゃないよ。大体、夏でも鎌倉に行きたいって言ったの、君じゃなくてわたしの方だよ?」

「……暑かったね」

 一花は上目遣いに僕を見た。そのいたずらっ子のような視線がかわいらしかった。

「暑かったよ。ほら、言ってた通り、日焼けなんてキレイに消えちゃったでしょう?」

「消しゴムかけたの?」

「もう! そうじゃないってば」

 ひどい、と思ってもいないことを言いながら一花は僕の背中をボコボコ叩いて、僕はひたすら笑った。確かに一花の肌は、いつの間にか僕のよく知る色になっていた。




「……こんにちは。お久しぶりです」

「あ、澪ちゃん、久しぶり! 最近、全然会わなかったけど元気だった?」

 澪は今日は、ダークブラウンのたっぷり長いスカートを履いていた。それは背の高い彼女によく似合っていた。

「はい、お陰様で。お二人があんまり仲がいいのでそのまま通り過ぎようかと思ったんですけど」

 澪は口に手を当てて、くすくすと笑った。僕と一花はバツが悪くて二人で顔を見合わせた。大通りで大っぴらに騒ぎすぎたのかもしれない。

「一花さん、わたし、遼くんとは別れようって思ってて、今話し合ってるところなんです。それで、皆さんにはあまり会わなかったというか」

 そこまで言うと、澪は僕の目をじっと見た。あの日以来連絡もなくて、僕も知らなかったことだった。

「そんなぁ、別れちゃうの? お似合いだったじゃない?」

「お似合いっていうのは、一花さんと松倉さんのような人たちのことで、わたしと遼くんはそこまでお互いに深く知ることができないっていうか……ごめんなさい、わかりにくい説明で」

「ううん、いいの。二人のことは二人にしかわからないものでしょう? 澪ちゃん、辛いかもしれないけど相談ならいつでもしてね。わたしも丞としかつき合った経験ないから役に立つかわからないけど」

 澪は一花の返答に、曖昧に微笑んだ。それは一花の話を好意的に受け取ったようでもあり、そんな意見はまるで必要ないんだと拒絶したようでもあった。そうしてまた、僕の目をじっと見た。

 こんな風に求められている、と感じたことが生まれてから今まであっただろうか?

 澪の瞳は僕を捉えて離さなかった。

 その間、一花は何か続きを話していたけれど、僕と澪の間には何の音もなかった。どんな言葉も意味を成さなかった。

 澪の唇がふと、ほころぶように開きかけた時、僕は彼女の言葉を待ったが、出てきたのは思っていたのとは別の言葉だった。

「お邪魔してすみませんでした。一花さん、これからもよろしくお願いします」

 他人行儀な挨拶をして、彼女は人混みに紛れて行った。




「君、知ってた?」

「何を?」

「田代くんと澪ちゃんが別れるってこと」

 何をどう話したらいいのか、考える。どこからどこまでが言っていいことなのか、どこからどこまでが言ってはいけないことなのか。そもそもそんな考えがおかしいんだよ、と自嘲する。

「前に、話したじゃない? 僕は澪の相談に乗ってるって。あれが、そうだったんだよ」

「別れたかったってこと?」

「いや、正確に言うと、田代の方が他の女の子と浮気したんだって聞いてる」

 一花は一瞬黙った。たぶん、自分と澪をダブらせて考えてるんだろう。一花はいつでも誰かに同調してしまいやすかった。

「そんなの、ひどいじゃない? 澪ちゃんだってつき合ってずいぶんになるじゃない?」

「うん、そう。だから別れた方がいいって結論に至ったんだ」

「……他人事だけど……かわいそうだね」

 僕は彼女の後ろ頭を撫でた。いつも誰よりも小さい彼女の身長が、今日は更に小さく見えた。他人事でもこうなってしまうなら、もし僕が……。そんなことは考えるべきじゃないと、そう自分に強く言い聞かせた。




『久しぶりに松倉さんに会えたのに、言いたいことの半分も言えなかった気がします。わたし、普通でしたか?』

 普通かと問われれば、確かに今日も澪は悲しげな瞳をしていた。瞳にかかる前髪からこちらを覗く視線を、思い出していた。それより。

 会いたかった……。

 会えなくてさみしかった……。

 そんな言葉が不意にぽろっとこぼれてしまいそうで、あわてて胸の奥に押し留める。決して口に出せない言葉だった。何より僕は一花を失いたいわけではなかったから。

『大丈夫、普通だったよ。元気そうでよかったよ』

 僕の送れる言葉はせいぜいこの程度で、やはりなぜあの時、彼女の手を握ってしまったのか説明がつかなかった。それはただの衝動としかいいようがなかった。

『なかなかバッタリどこかで会ったりできませんね。偶然て意地悪なのかもしれない』

『図書館ならまた偶然、会うかもしれないね』

 たわいもない冗談のつもりだった。

『図書館で、また偶然を待ちます』

 澪の言葉も冗談に過ぎないと思っていた。






 なんの理由もなく、空きコマの間、図書館前の階段に腰を下ろしてみた。今日は雨が降りそうも無く、ほんのり暖かい小春日和インディアンサマーだ。

 図書館前の大きな楠にハンモックをかけようとしては、次々と誰かが警備員に怒られている。自分もしてみたいと思ってたので、なんとなく残念に感じる。

 とにかく目の前の大楠の下で大攻防が繰り広げられていた。

 借りてきた一般書籍は、今流行りのミステリー物で、いちいちよくこんなにアリバイを作るよなぁと感心する。

 とにかく日和のせいか、ひとが図書館前に集まっていた。

「松倉さーん!」

 そんな中で、誰かに大きな声をかけられて恥ずかしくなる。澪は恥ずかしげもなく、手を振りながら僕のところに走ってきた。「松倉さん……ほんとに……図書館にいる、なんて……」

「今日はもう来ないのかと思ったよ。約束したわけでもないし」

「違っ……今日は、授業が立て込んでて……。間に少しでも、見に来ればよかった……。待ちましたか?」

「いや、まだ来たとこだよ」

 息を切らして遠目から僕を見つけた澪は全力で走ってきたようだった。もう、ここまで来ると「誰かに誤解されないよう」なレベルを超えていて、思わず笑ってしまう。

「笑うほどおかしかったですか? ああもう、髪の毛が張りついちゃって……」

 澪の額に張りついた一筋の髪を、指で避けてやる。澪の動きがピタリと止まる。

「……そういうの、期待しちゃう」

「いいよ」

「そんなこと言って……どうせ一花さんにも同じようにするんでしょう?」

 黙って澪の長い髪を指で梳く。こんな大通りでこんなことをしていて、それが人の噂になっても仕方のないことだと頭の中では思っていた。

 行こう、と戸惑う澪の手を引いて知らない学部の知らない校舎に入る。そうして鍵の開いている空き教室を見つけると、そこに二人で身を滑らせた。

「……急にどうしたんですか? 誰もいないところで二人でいるなんて困ったことになりませんか?」

 引いていた手をそのまま握りしめて、言葉にしてはいけなかったことを口にする……。いつからこんな気持ちになったんだろう、と不思議に思いながら。

「会いたかったんだよ」

 はじめ、彼女はまるで時が止まったかのような顔をしていた。

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