そして、一日の終わり
日が暮れた後、自分の家のマンションに着いてから、来週の月曜日に奈々美に見せてやる予定の宿題を自室の学習机に座ってさらっと済ませた俺は、そのまま、今朝、学校であった出来事に付いて、自分なりの考察を始める事にした。
特に、放課後に我が家に来た、奈々美との関連に付いてだ。
学習机の隣に据えてあるパソコン・デスクに移った俺は、PCを起動し、テキストを開いて、事件に関係する事柄を入力する。
まず容疑者候補として最初に検討して置きたい自分の友人知人の情報、続いて、朝のHRが始まるのを教室で待っていた時、上階から悲鳴が聞こえた事件の発覚時らしい時刻、それから、あの血に似た赤い色の塗料が飛散していた現場の詳細な状況……。
それら事件に関係していそうな事実のすべてを、思い付く限り入力し終えた。
一息吐いた俺は、自分がキーボードで打ち込んだその内容を
結論から言って仕舞えば、少なくとも俺の往年の幼馴染であり、クラスメートでもある松原奈々美は、この事件の犯人では無い──。
百%の保証こそ無いものの、少なくとも、今の俺が持ち
何故なら、仮にあの奈々美が犯人だったとするなら、幾つか──と言うか、事件に関連する殆どの部分に付いて、事実と整合し無い箇所が出て来るからである。
それは例えば、まず犯人の思考能力に付いて。
これは昔からそうだった事だが、奈々美は、出会ったその幼少の頃からと同じように、高校も三年に上がったばかりの今でも、自らの感情を抑え、決められた目標に向かって計画的に行動すると言う事が極めて
それは或る意味では、あいつが自らの気持ちに純粋で真っ直ぐな性格の奴と言う事なのかも知れないし、それは恋愛のような人間関係の中ではチャーム・ポイントになり得る事なのかも知れないが、だがしかし、自ら綿密な計画を立てて鋭意実行する事が出来無いと言うのは、一人前の社会人として生きて行く上で、何か大きなメリットがあるような事では無いよな。
むしろ、それは大抵の事に付いて単なるデメリット、欠点だ。
奈々美はその場その場の感情に振り回され、妄想に基くような分別の無い行動を軽はずみに取る様子を示すあの四字熟語──『軽挙妄動』と言う言葉を絵に描いたような、無計画な存在である。
そんな性格のあいつに、夜の校舎に張り巡らされている警備会社の敷いたセキュリティ網を見事に
そう言えば、春休みの最中、香織と一緒にあいつの家へ遊びに行った時、学習机の棚の中に二年生の最後に渡されたあいつの通知表があったので、それをちょっとした隙に盗み見てみたが、相変わらず学校の成績も不出来と言うか、相当悪かったな。
多少頭の良い人であったとしても、この一種の密室トリックのような事件の犯行を可能にする方法を思い付き、実際にそれを実行する事は、相当に難しいはずである。
この事件で表れた結果を実際に実現する為には、綿密な犯行計画を練り実行に及ぶ胆力と、それを可能にする高度の知性の両方が、どうしても不可欠であると言える。
……そして、事件を起こした犯人が備えているようなそうした高度な計画性、そして知性を、少なくとも奈々美は持っていない。
つまり、この事件を発覚せずに成し遂げる事は、特に理科・数学の理系の成績が極端に悪い単純体力バカの松原奈々美には無理だ。
もし、あいつがこの事件の犯行をやろうとした場合──。
一階から窓などを割って、何とか校舎内に侵入出来たとしても、まずその時点で備えられたセキュリティ装置が反応し、自動的にスイッチの入った非常ベルが鳴り響く中でまごまごしているうちに、車で駆け付けて来た警備員に捕まるのがオチだろう。
だいいち、犯人が窓を割った段階で何らかの幸運によりセキュリティ装置が反応し無かったにせよ、校舎の内部には、窓の警報装置に加えて、天井の各場所に赤外線で周囲の動く物を感知する動体センサーが設置されている。
あれは警戒範囲に照射した赤外線の反射状況をモニターし、その差分が著しい場合に異常として検知する、一種の赤外線レーダーだ。
当然、人や動物などの侵入者が警戒範囲に入れば、それは異常とされる事になる。
もっとも、そうした反射量の差分は、地震や風雨などにより、元々内部にあった物が動いても発生するので、それを異常として検知した場合は、良くあるセキュリティの誤作動と言う事になる。
動体センサーは、設置された場所の全周を警戒している訳では無いが、廊下や出入り口など、人の行き来がなされるような場所を警戒ゾーンとして見張り続けている。
なので、窓の方の警報装置をどうにか出来たとしても、
つまり、殆どの場合に力づくでの解決を図る事の多い奈々美が、この事件と同じ犯行をやってのけようとしても、どうしてもそのどこかで学校内のセキュリティを作動させて仕舞い、見付からずに犯行を成し遂げる事は不可能と言う事になる。
さて、どうして一介の男子高校生である俺がこんな事を知っているのかと言えば、なにしろ、このマンション自体がその手の警備会社と契約して、学校にあるのと同様のセキュリティ装置を、各部屋に取り付けているからな。
それをオンにしてある状態でドアを開けると、途端にセンサーが反応するので、約一分半以内と言う僅かな時間内にメインのセキュリティ装置にその解除キーを差し込まなければ、不法侵入者として、自動的に警備会社の方に通報が行く仕組みだ。
今日は香織がぐずぐずしていて、朝の支度が時刻ギリギリだったので、作動させずに家を後にしたが、普段ならば玄関のドアを開ければ、そこで所定の操作をして警報を解除しなくてはならない。
そんな訳で、母親だけでなく、俺と香織も解除キーを持ち歩いており、万一、学校などに行っている間にそれを無くした場合に備えて、靴箱の奥にある特定の場所に、予備の解除キーを隠してあるのである。
そこまで考えた時、俺はふと、その解除キーが今もちゃんと同じ位置に仕舞ってあるのか、気になって仕舞った。
キーを失くした時に見付から無いと面倒だし、ちょっと、確かめて来るか……。
俺は自分の部屋から出て、玄関の靴箱の中を確かめる。
それは、そこにあった。
解除キーを元通りにし、部屋へと戻った俺は、再び椅子に腰掛ける。
更に、奈々美を犯人と考えた場合、不自然な点はまだある。
幾ら女子バレー部で部長をしており、体育が一番の得意科目である奈々美の腕力が強いとは言っても、あれでもやはり女なので、その腕力で出せる力は、その辺の平均的な成人男性よりは弱いはずだ。
これでは、あの現場の状況を実現出来無い。
多分、大人の男性でも、素手では無理だ。
よって、あの重さ約二kgくらいに見える金属製のパイプを、階段室の天井に張り付けられたタイルを割って突き刺させほどの力で射出する事の出来る、何らかの機械装置が、セキュリティを破る方法とは別に必要だと結論する事が出来る。
中学生の時、技術と理科の成績が壊滅的だったあいつに、そんな高度で複雑な装置が作れるとは、とても無いが思えない。
仮に、何かの偶然でそんな射出装置を手に入れたにしろ、その装置自体の重量に伴う運搬の手間と言う問題がある。
作用・反作用の問題として、装置はパイプよりも二、三倍は重く無ければならないだろう、
やはり、そんな重量物を機敏に運ぶ事の出来無い奈々美が犯人である可能性は、ゼロに等しいと言うべきだ。
今日、愛の告白をする予定だった奈々美には、妖精の存在を半分信じている彼女には、その成功を確かにする為のおまじないをすると言う、それらしい動機が見当たらないでは無い。
しかし、その犯行の実行は、奈々美の持つ資質からして、極めて確率的に低く、ほぼゼロだと言って良いだろう。
そんな訳で、奈々美の事は、ひとまず朝の事件の容疑者リストからは外しておくか。
と、俺は思うのだった。
そこまで考えて、俺は阿部に借りたゲームをやる事にした。
「ジェリー・パラダイス2」こと「ジェリパラ2」は、中堅のソフトハウスが開発した、新発売の恋愛シミュレーションADVだ。
奈々美はやけ食いすると言っていたが、今日、憂さを晴らしたいのはこっちも同じだ。
俺は学習机の上に置いてある自分のパソコンに、そのインストールを開始する。
このゲームのヒロインの一人を完全にクリアする所までは行かずとも、クラブ活動などを通じて校内デート的な事をするとか、そう言う良い関係になる所までは攻略して置きたいな。
デスクトップには、ダウンロード専用の海外のゲーム・プラットフォームに付属したチャット・ツールのアイコンがあり、「ジェリパラ2」のインストール中に、ついでにこれも起動して置く。
高梨とか阿部と言った、交友グループ内での連絡は、これを利用している。
小さな画面でメールをやりとりするより、キーボード入力が使えるパソコンのチャットを使った方が、何かと面倒が無いしな。
チャット・ツールからオンラインしているフレンド一覧を見ると、そこに表示された奈々美のゲーム用ハンドル・ネームの横に、オンラインである印が点灯している。
俺はチャットルームの入力欄にカーソルを移動させ、チャットを飛ばした。
≪なんだ、まだ寝て無かったのか≫
すると、奈々美がチャット入力中と言う表示が出て、すぐさま返信が帰って来る。
≪寝て無いわよ。まだ七時だし≫
まあ、そりゃそうだ。
≪隆一はもう寝るの?≫
俺はそこで注意をする。
≪おい、前にも言ったが、ここで他の奴に下の名前で呼び合っている所を見られるとマズいから、このチャットでの俺の呼び名は、
≪え? うーん……呼び辛いから嫌≫
≪なら、今後の会話は無しだ。じゃあ、またな≫
≪あ! こら! ちょっと待ってよ! 話を始めたばかりでチャットを閉じるな!≫
≪じゃあ、呼び方を言われた通りにするんだ≫
≪分かったから、じゃあ、チャットをプライベート・モードにしてよ。成海って呼ぶと、何か、深い会話し辛いし≫
≪OKだ。じゃあ、プライベートにするぞ≫
……結局、傷心の奈々美のアフター・ケアに付いては、駐車場での会話と奴の家への送って行くだけでは足りず、夜になってから普段使っているオンライン・チャットでしばらく会話し、その残りを済ませる事になった。
──そして、そんなチャットをし続けて一時間後。
傷心の奈々美を慰める為、俺はオンライン・ゲームにログインし、彼女と二人で狩りを始めた。
朝鬱と同様、何か別の事に熱中していれば、今日の失恋で傷付いた奈々美の心も、深い傷にはならないはずだ。
一旦、夕食を食べにログアウトした後、風呂からあがった香織と、その彼氏である阿部も同じゲーム内に参戦した。
その金曜日の夜、俺達は、マッシブリーな規模の人々が集い、剣と魔法が織りなすファンタジーなその世界で、四人でPT《パーティ》を組み、いつも行っている狩り場に繰り出し、そこのモブとボス・モンスターを狩り尽した。
夜中の九時半頃、モニターの向こう側で夜食を食べながらプレイをしていた奈々美が寝落ちを宣言する。
≪私はもう、ここらへんで切り上げね。お腹一杯食べて、眠くなった。もう寝るわ≫
≪そうか。ちゃんと、歯は磨いてから寝ろよ?(笑≫
≪寝落ちの直前に夜食を食べるって……太るんじゃねーか? それ≫
≪ね、ナナミちゃん、食べ過ぎは良くないよ?(´・ω・`)≫
≪大丈夫よ。ちょっとだけだし……。もしそうなったら運動して痩せるから平気≫
≪マジかよ……最低の体調管理だぜ、それ(驚≫
≪あ、みんな……まあ、その、なんだ。ナナミは今日、ちょっとツイて無い事があって、ストレスを溜めてるんだ。察してやってくれ≫
≪ん? そうなか? 良し、分かったぜ。では、またな≫
≪うん。じゃあ、また≫
そんな会話を交わしてログアウトし、俺は土日で二連休になる明日からの予定などを考えながら、その日は寝た。
インストールしたギャル・ゲーに付いては、明日以降にやる積もりだ。
そんな風に今日は朝から色々とあったが、これだけは確実に言う事が出来る。
俺の往年の幼馴染みであり、女子バレー部の部長であり、三年六組で教室を同じくするクラスメートの松原奈々美は、今朝の事件のような複雑な犯行などおよそ不可能な、完全犯罪など及びもつかないバカである。
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